※ちゅうい※おかしいと思う人はあまり真にうけないでくださいね





少子化対策の一環として行われたアンケートの、結婚したくない理由の選択肢を見てみよう。


行動や生き方が自由」

「家族を養う責任がなく、気楽」

「結婚する積極的な動機がない」

「適当な相手がいない」

「異性とうまくつき合えない」

「今は趣味を楽しみたい」


この選択肢、違和感あるわ。

例えばさ、


「物心ついてから独立するまで親から常態的な虐待を受け続けたため、今の誰の世話にならず独立し、一人でいられる平和で穏やかな生活を続けたいと思う」

とか、

「大切な人ができたとして、大切な人と自分の親の間に縁を生じさせるのが気の毒なので結婚できない」


とかいう選択肢が無いから、選べない

って人がいるとは思ってないんだね、と思って


そのほかにも、レイプ事件や痴漢事件の届出数よりだいぶ多いと推測されている発生率を考えると


「過去に犯罪に遭い、男性が近づいただけで冷や汗が噴き出るので結婚どころか婚活もできない」


という選択肢があれば選ぶ人もいると思う。


何がいいたいかというと、

このアンケートは、そもそも


普通の恵まれた家庭で普通に育ち、犯罪にもあわず、異性愛者で、相手に紹介したいと思える親がいる などの


いわゆる「マジョリティ」

のことしかはなから想定していないのだ。


そこから外れる「マイノリティ」

のことは、最初から存在していないかのような選択肢の羅列。


「いなかった」ことにされた人たち

を除外して進んでいく社会政策


さて、では、この「いなかったこと」にされた子供たちは、大人になって、どのような生活を送っているのだろうか?

少し想像してみてほしい。


とりあえず、自分の普通ではない生い立ち等については、社会生活を送る上でひた隠しにし、普通のマジョリティに見えるような振る舞いをするという、日常的な嘘を強いられる。

体面を繕う家族ごっこには慣れており、親とも表面的には良好に見える関係を演じきる。

この時点で、結構疲れる。


普通にしていると、普通に見えるのか、


飲み会で部長:

「〇〇さんアイドルみたいでモテるからって理想が高くなってるのかな〜?お高くとまるの、よくないよ〜?男なんてみんな一緒だから、程々に妥協して早く幸せになってね〜?」

職場のおばさん:

「あの部署行くと、いろんな人紹介してもらえるよ〜?独身最後を楽しめたらいいね〜」

茶道教室の女:

「25までには結婚しないとね〜。いろいろ詰むよね〜」

職場の班長:

「自分が受け取ったものを返せてこそ大人の証明だろ。子供を産まない奴はギブしないテイクだけの人で、人としてどこかおかしい。」


上記のようなことをいろいろ言われる。


「幸せになってね」の意味が本当にわからない。

どゆこと!?結婚してない私は不幸だったんだっけ??って思う。

幸せの定義まで押し付けないでほしい。


男はみんな一緒だとかいう考え方もよくわからない。その論理だと女もみんな一緒だと思ってんのかな?相手に失礼だと思わないんだろうか?

人は一人一人ちがうじゃん。違うことが価値じゃん。それ、当たり前のことじゃん。

他ならぬ人間を、そんな、まるで家電量販店の炊飯器選びみたいなトーンで語るのはおかしい。

人間は機械ではないのに、目的だけで存在まで一括りにするみたいな発言を平気でするのは、本当に何か心が麻痺してると思う。


日常的にこれらの無神経な人たちのセクハラ謎発言をにこやかに当たり障りなくこなしながら(悪気はないんだろうから)


その上、


その人たちが家族休暇を取る際は、仕事を代わるためにヘルプに出さされ、

遠方への派遣や出張も、家庭を理由にする人の代わりに駆り出される。


仕事場では、このように、家庭を持つ人の代わりに独身者が仕事を代わる

ということがたびたびある。


しかし、この私の「ギブ」は、少子化対策視点で考えたときに、私が子供を産まないのであればノーカンであり、「なかったこと」となる。


マジョリティ家庭の子供たちさまよ


お前の父や母が家に帰って来ているのは、その代わりに働いている独身者がその職場にいるからだじょ。


これも広義の「子育て」だじょ。キミを育てているのは、キミの父母だけではないんだじょ。


そしてお前たちの父母は、キミたちの知らないところで、その仕事を代わってくれた独身者に、飲み会で「テイクだけの人」な〜んて⭐︎

言っているかもしれないじょ?


その可能性について、少し考えでみてほしい。

それがどんなに残酷なことか、分かるだろうか。

ぴえん🥺だじょ。


こんな思いを抱えているだろう人は、きっと私だけではない。一般社会に紛れ、潜伏しているだけで、確実に大勢存在するだろう。


子供を産むこと自体が正義で、その後子供がどうなろうとも、どうでも良いことなのだろうか?

それでは、大量生産しても、どうせ大量消費というか、大量に使い潰してはいないかな?

量より質が大事では?


子供が、自分が生まれてきたことを申し訳なく思ったり、呪ったりしないで済む世界

そんな世界では、自然と次世代が増えていくのではないかな?


昨今の少子化の、見落とされた、本当の問題点は何か。

「生命方向から反転した世界で相殺された者たちの声が、かき消されている。」

ことではないだろうか。


菅原道真公を追いやったがために祟られ滅んだ栄華のように、

臭い物に蓋をしているだけでは、巡り巡ってしっぺ返しがやってくる。


ちなみに、

私を長年まるでサンドバッグのように扱っていた親は、自分の過去の振る舞いを忘れ去ったようなそぶりで、少子化の話題になるたびに、


「私は21で結婚して、4人も子供産んで、少子化に貢献しまくっている」と胸を張っている。


そのたび私は心の中で、

「本当に真心からの親にならず子供を家畜みたいな単なる所有物と思えるからこそ、そんなふうに数だけカウントするのかな。」と思った。


極め付けが、この母の口癖は、


「人は自分の世話ができているだけでは一人前とは言えない。人の世話ができてこそ一人前」


恐ろしいのは、これがギャグではないらしいことだ。


私は問いたい。

「自分の感情ケアを疎かにしたまま、家畜にエサをやるように他人の世話をする人は、果たして本当に一人前なのか」と。


入れ物のために、中身を疎かにしている反転世界においては、母は正義なのだろう。


しかし、この反転世界をだましだまし続けてきた結果、世界は「圧殺された者の悲鳴」という「見えない負債」を溜め込んでいるのではないか?


負債を無くさなければ、いくら増やすことに尽力してもプラスに転じることはできない。


その観点を無視して、ただ闇雲に「生み増やすこと」を正義とすれば、またこの悲鳴(負債)が溜まっていくだけなのではないか?


このジリ貧社会の緊縮財政を改善するためには、まず


「負債」を直視する(無視しない)


ことから始めるべきではないだろうか…?


そのために誰でもにできること、難しいことなんて何もない。


ただ、少しだけ、ほんの少しだけでいいから、想像力を使ってみてほしい。


それだけで充分。

それだけでも、確実に肉体に纏う空気感が軽くなり、きっと他人を見えない縄で縛らない人になれるはず。


そんな人たちで一杯になれたら、きっと子供たちを育むにふさわしい世界につながるよ。