今日発表された

2100年「8000万人国家」に係る少子化対策についての提言

について、

政治ニュース収集の一環で、一通り目を通してみた。


なんてことはない、特に目新しいことは書いておらず、今までもすでに何度も語られてきた、誰でも聞いたことのある、通り一遍の少子化対策に係る言説について書き連ねてあった。

(検索したら誰でも読めるものなのでここでは内容は割愛する)


私は、これを読んだとき、


「なんで紀元後2000年以上経ってるのに、人間はまだこんな原始的なことを言ってる⁉️

違う違う違う違う‼️

そうじゃないそうじゃないそうじゃないそうじゃない‼️

バカバカバカバカ‼️」


って思った。


なんでそう思うのか

何についてそう思うのか

きちんと筋道立てて語りたいので、何回かのシリーズにして記事にしようと思う。



政府や一般社会が語る少子化対策は、まず、前提がおかしい。

何がおかしいのか。それは、


「8000万人国家を達成する」

という数量的・軽量的目標をまず掲げていること

がおかしい。


「社会を維持できなくなるから子供を作ろう」

は逆。なんでそんなことに気づかない?


「子供に愛を注ぎたいから良い社会にしようよ」

でしょ?


「卵と鶏の理論かよw結局は同じことじゃん、しょうもなっ!」

と反論されるんだろうね。

けど違うよ、全然違うんだよ。


どちらが先かが重要なんだよ


生命方向とは逆方向の考え方から始めると、

方法が生命から反転したまま進んでいく。

このままでは、今までのように人間は、反転したマイナス世界の地獄で、虚数解の中をもがき続けることになる。


「入れ物を作ってから、中身を詰める」

これは、生命を殺す方向の考え方だ。


本当に次の世代を育みたいと願うなら、先に「入れ物」を議論してはダメだ。


世界には、二つのベクトルがあって、


①生命方向(1→2…∞)

「全てを生かすために集まろう」

個が調和され統合に向かう


②相殺方向(2→1に押し戻す方向、これが勝つとマイナスに転じる)生命方向と逆方向

「集団ありきで個を選別・淘汰する」

統合側から個に解体する


2つのベクトルは世界の全ての根っこで繋がり

人体の抗炎症vs炎症

マイナスイオンvsプラスイオン

陰vs陽

女性性vs男性性

植物vs動物

など、たぶん例を挙げ出したら止まらない。


今の社会は、主に②の相殺方向が強く働いている。

相殺方向の考え方が「常識」「必要悪だ、受け入れろ」などと言われ、当たり前のようにまかり通っているからだ。



「戦争」(人の命より上に置くものがあるという概念)

「学習内容よりもネームバリューで学校を選ぶ」

「人柄よりも肩書で判断する」

「心のありようはどうあれ言ってることが社会のマジョリティ側なら正しい人」

「社会善のためなら個人は死んでも構わない」

「真理はどうあれ法律が全てなので裁判で勝った方が正しい」

「何に興味をもち、どんなふうに取り組んだかではなく、テストの順位で評価する」

「見た目のよい野菜を作るために、もし食べる人の健康を害したとしても農薬ぶち込み祭り」

「体内の全細胞との適切な会話による自然な美容方によって実現した健康美ではなく、生命に反するため後遺症不可避な外科的工作によって実現した人工的な造形美を美だと判断する行き過ぎたルッキズム」

「組んだシフトを守り通すために社員を人権無視レベルに酷使する」


など、

この相殺方向が示す「入れ物ありきで中身置いてけぼり」の価値基準は、現在の社会で幅広く違和感なく受け入れられているだろう。


逆に、上記と正反対の生命方向の価値基準を唱えると、現在では

「クソスピリチュアルかよw」とか

「胡散臭っ」とか

「一銭にもならない無駄話」とか

「負け犬の遠吠えですか?w」とか

「出たよ、メンヘラ乙w」

などの変人扱いをされがちだと思う。


相殺方向が悪いわけではない。

でも、それがマジョリティを取り続けたら、やがて生命が枯渇する。


その枯渇が、たまたま「少子化」という社会問題を派生させただけ。


人間社会はまず

「1から始めて2に至る」

をしなければ、始まらない。そう思う。