ソシオニクスでは、INFPはEIIにあたり、INTJはILIにほぼ一致、EIIから見てILIは先生(教師)のような存在だという。


INFP(EII)の私にはINTJ(ILI)の妹がいるが、その理論のとおり、INTJは INFPにとってプロデューサーみたいだ驚きと思うことが多々ある。


mbtiでは、なぜかこの逆で、INFPはINTJの苦手なことをこなせるため、INFPが教師側みたいに説かれている。


でも、これ、なんか当人としてはしっくり来ない。経験からして、どう考えても逆だから


おそらくINTJ第三機能のFiがINFPの主機能だからそのように言われるんだと思うけど、

私の主観では、INTJはエレガンスを優先するためにそれとトレードオフとなるイノセンスを意識的に抑え込んでいるだけであり、INFPの主機能を欲しがってはいないように見える。

INTJから常に「やりてぇことは分かるし間違ってはいねぇんだろうけど、なんかダセェなコイツ」みたいな目線を察知するんだもん(←被害妄想やめろwww爆笑)


それよりも、INFPの劣勢機能TeがINTJが得意の第二機能であるという、INFP側のメリットの方が大きいのでは?と妹の言動にハッとさせられることが多かった今までを振り返って思うのだ。


根っからのプロデューサーINTJやべぇカッケェ

ということで、

ここでは、INFPから見たINTJの「たまげるスゲェ点」を挙げていきたい。




INTJのスゲェ点その1:急所のみを狙える言語力


このブログ読んでる方なら分かると思うが、私の文章は散文的・寓意的・フィーリング重視であるがゆえ、時に冗長(自覚あるなら直せばいいのにwゲロー)

対して、妹は、口舌も文体も一貫して無駄なく洗練されている。


たぶんINTJは洗練を守ることで自身のプライドを支えており、かつ、プライドを支えたいという考えを周りの人間なんかには悟らせない自然さで洗練を通常運転できるんだろうと思う。

おそろしいw爆笑


何故か、言葉少なに必ず会話の急所のみにクリティカルヒットさせる技が搭載されているらしい。

呪術廻戦の常に7:3クリティカル狙えるななみんを見てると、妹の技はこれか⁉️的なデジャビュ感あって吹いた爆笑




INTJのスゲェ点その2:徹底した目的志向


いつもシルク混とかの素材は上質だがデザインはシンプルな服を着ている妹が、流行りの臍見えそうな韓国アイドル風の服を着てる時あって、いいね👍って言うと、

「最近私が行ってる美容室、客を見た目で判断してきて、流行りの服着てないと微妙に舐められて手を抜かれるから、ギャル武装してるの」と言ってた。

「何その美容室怖っ!私なら、そんな感じ悪い店行かないよ!大泣き」って言ったら、

妹は

「最新の技術を導入してる店が、県内ではそこだけだから。確かに態度胸糞だけど、技術は確かだし、髪綺麗になるならいいかな〜」と言っていた驚き


私は、流行りの美容室で

若い女性客に対して美容師がしてくるあの謎のホストみたいな営業や隣の席のギャルのムダに生々しい内容の雑談やズンズンドコドコしたうるさい音楽や毛染め薬の薬剤臭に満ちた空気が苦手で行きたくなくなり、近所のご夫婦がやってる個室貸し切り状態のホッコリ系美容室に通っている。


センスがナチュラル系すぎて、正直、私の普段の服装との調和が微妙なんだけど、シャンプー上手いし、気分よく過ごせるのが一番の優先事項なんだ。


だから、妹の、この目的を果たすための行動力や、最後に笑う忍耐力には、自分にはない発想への驚きと共に、その精神の強さへの尊敬を感じる。


これは単なる一つの例にすぎず、そのほかのことについても妹は、目的を果たすためには過程におけるどんな困難も鋼の精神力で駆け抜けている。


しかも本人は、それを困難とも思っておらず、拍子抜けするほどけろっとしてる。

やべぇカッケェ爆笑

目先の優しさや快適さに靡きやすい私が、この美点に見習うべきことは多い。


(しかし、おそらく彼女とは人生観からして違うので、どこまで見習うことができるかは未知数。

私にとっては、

「瞬間こそが、永遠」

瞬間、瞬間が永遠への入り口であり、瞬間が永遠そのものとして永遠に保存される、というイメージ。

だから、瞬間を永遠への供物にできない。

だって、どんなことを未来になしとげようとも、瞬間を取りこぼしてしまったらダメなのだ!

その取りこぼしてしまった瞬間も、自分の中の見えないアーカイブで永遠になるから。

そしたら、その成し遂げはずの永遠までも、くすんだ色彩になってしまうのだ。)



INTJのスゲェ点その3:「嫌い」を表明する際の可愛らしさ


INFPは、嫌いなことを嫌いと表立って表明しない。

嫌いなことも、好きなことだったことにする。

好きという表明は、ある意味ではオフィシャルなものなので、表面上いくらでも増刷可能。

嫌いという感情は、自分を規定するものであるが、それを表明すると自分の求める平和が揺らぐため、心の奥深くにしまうべき秘密だと思っているからだ。


しかし、INTJは、嫌いという表明に、なんなら自分のアイデンティティを掛けて、気合いを入れて表明しちゃっている。

「嫌い」が、自身を規定するとでも言うように。

しかし、その表明の一世一代感が、なんとも可愛らしいのだ。


ENTJくらいになると、もう無能だと認識した時点で、相手を自動的に嫌っている。嫌っていることにも無自覚なほど、自動的である。

無能は、知らないうちに嫌われている。


しかし、INTJは、「嫌い」の内容を、ちゃんと一つ一つ、その都度吟味している。


だから、INTJが「私、これ嫌い」というのを聞くと、私は内心「出た出た、「嫌い!」か、か、かわいい〜❣️」とテンション上がるのだ。


この、なんともまごついたツンデレ、とても可愛いと思う。


INFPは自分が何かを嫌いと表明したと仮定して、その場にいる人の気持ちが害されないかを先に考えてしまうため、「あ、でもこれ、この場の一人でも不愉快にさせる発言ならば言わないでおこう」となり、言わないでおいてしまう。

嫌いなものからは嫌いだと発言する前に避けるしね。


だが、「嫌いの表明」という自身のアイデンティティ確立を、その場の人たちの気分よりも優先させているように見えるINTJが、コチラの目からはとても子どもっぽく見えるのだが、その子どもっぽさはある意味甘えだと思うから、普段はこちらのやることなすこと無駄扱いしてきて頭よさぶってる人が、そんなふうに甘えてるのはギャップがあって可愛いと思う。


しかし、知ってる。

そんな風に、

好きと嫌いの供給量を場に応じて変動させるINFPのやり方が、INTJから見て、

まるで市場の紙幣流通量を見てその流通量をコントロールする日銀みたいに、

何かいつもコソコソとコントロールしてて無駄に打算的

みたいに映ってるところが、まさに嫌われちゃってるんだって、

その眼差しから、ちゃんと分かってる滝汗ガーン


INTJのいつも造幣局から直接、安定サプライの潔さ、すごいカッコイイと思ってるんだよ?

私だって、できればそうしたいよ。

だけどダメなんだ。INFPの国では、


偽札が1枚でもあったら、全てが麻痺して、市場全体がストップしちゃうんだネガティブ

だから、打算的って言われたら、そのとおりなんだけど、仕方ないのだ。


嘘ではないの、その好きは。

単に増刷してるだけで、偽札ではないの。


「増刷する分、価値は下がってるぞお前」

って事がいいたいのよね?


ホント賢いねぇINTJ

そこ見抜くのお前くらいだから、まじ怖い。


わかってるんだよ、

無駄に好きと嫌いの価値を下げんなよって叱ってくれてるの、知ってるんだけど、監視しちゃうのだ凝視


そんな眼差し、するなよ〜

許してよ〜魂が抜ける



INTJのスゲェ点その5:優しい嘘なら要らない、欲しいのは本心と当然のことのように言える


おそらくINFPに無くてINTJにあるものの最たるものがコレ

自分に正直な分、他人にも同じレベルの正直を求めてくるこの人種は、ちゃんとを見抜いてるんだね。 


「人との摩擦を避けるための悪意のない言葉は本心でなくても仕方ない、その誤魔化しは無罪だからノーカン」みたいな、INFPがやりがちな、ある種の手抜きは求めてないんだね…


でも、だからって

「核心から逃げてる。守りたいのは自分だけか?」なんて、言っちゃ嫌だよ。


言い訳に聞こえるだろうけど

何か言う時慎重になるのにも理由がある。

受け取る相手の感情無視してまで本音で語ってくる人、私は苦手なんだよ。

相手が傷つくかもしれないことは、なるべく言いたくないんだよ。傷つけるくらいなら口なんて要らないじゃんって本気で思ってる。

だから、自分を守っていたと言われればそのとおりかもしれないんだけど、少なくとも、こちらの意識としては、相手も守りたいと思ってたんだ。


自分の優位性を示すための言葉、

自分の考えに合わないことをイコール悪だと主張する言葉、

「言わないと負ける」「言ったもん勝ち」と思って言葉を重ね続けてる人は、

その言葉を発するたびに、心が鈍っていってるように見えるんだ。

(必要な鈍さも時にはあるとは思うけど)


もしこの鈍りが当たり前になって、にいよいよ侵食されつくした人は、生きてるだけで「歩く逆パワースポット」みたいになって、息をするように知らず知らずに人を傷つけてしまう存在になってしまうと思う。そうなったらおしまいだ。


だから、一言一言、相手の反応見ながら、毎回ちょうどいいポイント探ってるんだ。

相手の反応ゆえに、私の主張が途中辞めになって、それで私が誤解されても、「無自覚なまま陥る心の墜落事故」という最大の脅威を回避できるなら、その方が傷が浅いじゃん。


突き詰めれば、

人間同士の会話の目的って平和の実現だろ?

なら平和にならない会話は必要なくね!?(極論)


頭が常に無自覚にズレてる(?)私が本心を喋ってしまえば、世の中に当たり前に転がってる常識とか通説とかを悪気なくディスるみたいなことになるだろうから、何らかのトラブルのもとになることは明らかなんだし。


しかし、この見た目は私以上に華奢なくせ、精神力は信じられないくらいゴリマッチョな妹なら、たとえ私の小さい脳味噌がディスり文句たれまくった後でも、「全て想定内」と言わんばかりに、いまと変わらずアホ話に付き合ってくれるのかもしれない。


全部聞いたあとで、

「で?」と天気の話するくらいのトーンで言ってきそうwww(目に浮かぶ)爆笑


そんな懐深すぎる発想、想定外だったんだよ。

ダメだよ、ポンコツを甘やかしちゃw


それはさておきw単純に考えると、


「相手がとりやすいボールを投げることに特化しすぎて、本気の豪速球を常に封印すること」についてダメ出しされたんだ。

この鬼プロデューサーは、常に上に上に引っ張ろうとするね。

INTJくらい精神力の強い「豪速球ばっちこい」民相手なら、私もいつか最速記録更新球を投げられる日が来るのかもしれないね❣️

(肩なまりすぎてて、投げ方忘れた説〜爆笑)


わたしもちゃんと自分について言葉で伝えられるように、これからちゃんとべんきょうしたいです(小学生並みの感想かw)




INTJのスゲェ点その4:周りの人間を信頼している


いやwwそれww人間として当たり前のことやん⁉️wwと思われるだろうが、

私が言いたいのは、INTJは

「周りの人間には自分を嫌う権利も否定する権利もあるから、そうしたいならそうしてよい」

と割り切っている、ということだ。

それは、ある意味、周りをちゃんと信頼しているからできるんだ、と感銘を受けたという話。


例えば、コロナ禍中の話だが、

私の通っている習い事の教室は、ゴリゴリのワクチン推奨派で、先生はじめ生徒全員、「回数は打てるだけ、なるべく早く打つ」という暗黙の鉄則があった。

教室内では、ワクチン打たない人や旅行に行く人は人外だレベルの非難が毎回ゴーゴー飛び交い、先生は自分基準の感染対策にそぐわない人を何人か破門にしたという話までしていた。まるで中世の魔女狩りのような絵がそこにあった。


その教室で、ちょっと配慮足りなさそうな女に皆の前で「何回打ったの?」と聞かれた時、内心、なんで人のプライベートなことそこまで突っ込むのかなと不快に思いつつも、私はほぼ脊髄反射的速度で「3回は打ってないかな〜」と、あくまで自然に、相手と同じオーラを鏡のように転写して別人格を憑依させるいつもの対応をした。


体質の関係上、実は一度も打てていないが、この教室の空気感の中そんなことを言えば、人狼ゲームみたいに吊るされるのは必至だと思った。

それに3回「は」打ってないというのは、言葉遊びみたいだが、少なくとも嘘「は」ついてない。


しかし、この件を妹に話した際、

「なんで嘘つくの?」

と少し詰問ぎみに問われたのだネガティブ


私は、四面楚歌分かりきった状況で、みすみす自分から迫害されそうなタネを撒く必要まではないと誰でも思うだろうとタカを括っていたので、この反応は意外だった。


私が「じゃあ、どうすればよかったと思う?」

と聞くと、妹は、

「私なら普通に「打ってない」と言う。その理由を問われたら、自分の考えをそのまま言う。淡々と当然のこととして言えば、皆それ以上追求してこないよ」

私「でも、あの怖い人たちに何言われるか分からないじゃん」

妹「国自体が強制ではなく自分の頭で考えて決めなさいと言ってる。ましてやその人たちにお姉ちゃんの行動を強制する権利はないんだから、何か言われたところで何なの?お姉ちゃんが悪いわけでなし、何がそんなに怖いの?」

私「びっくり⁉️」


この発想は、目から鱗というか、鱗どころか目から魚🐟出そうだと思った。


私にとっては、

「他人とは、基本的に私を信じない人たち」

ゆえに、

「私が他人を信じないのも当然だ」

という思い込み・前提があったことに気付かされたのだ。


信じてない人にまで本心を打ち明ける必要はないから、その場に応じた仮面を付け替えて、その場に一番相応しいと思う人物像を演じ切る。

私は今まで、それが一番ベターなやり方だと思っていた。


その結果、誰にも本心を語れなかったとしても良い。真実なんて、誰にも知られなくていい。

本心を語る言葉のみがその人を示すものではなく、本心含む心ばえが醸し出す佇まいで周りを感化できればそれで充分だと。

(チェスゲームのように絶対的な位置取り能力で圧する「格」の高さで勝負できるINTJと、囲碁のようにじわじわと染み渡すみたいな「品」の良さで醸したいINFPの価値観の違い)


それに、妹は集団ヒステリーが私にとってどんなに怖いことか分かってない。みんなが妹みたいに理性的判断できる人ならいいが、現実問題そうではない。マスメディアの言説鵜呑みに自分が見たい現実を見る人に、理論的に考えた客観的事実がどうかなんて通じないのだ。

吊るすと決めた人に対して、あの人たちは私が触ったものすら汚物扱いするくらいのことはするだろう。

そしたら私は涙が洪水になって動けなくなるだろう。


でも、そのことも妹はある程度折り込み済みだろう。(精神ゴリマッチョだから)

その上で、

「自分の中の正義を曲げるな、周りに構わず貫け」

「本当の自分を隠すばかりではいつまで経っても真実は語れず、本当の自分と向き合ってもらえる人は見つけられなくなる」

と、心を鬼にしていいたいのだろう。


妹は、いつも本心を貫いてて、虐待母からもよく生意気だと殴られたり、誤解されて他人から叩かれたり、側から見たら「それイジメじゃん!」みたいなこともあったみたいだ(というか、側で見てきた)

私のような空気読みの自己抑圧もそれはそれで辛いのだが、当時は、何されても正面から顔を背けない妹がどこか痛ましかった。


だけど、それは悪いことばかりではなく、

だんだんと、妹の「本心からの言葉」に共感し、賛同する人も、じわじわ周りに増えてきている、と側で見てて分かる。

分かる人には分かるのだと、姉として嬉しくなる。

多分、妹はそのメリットが分かっているから、私にも「常に正直であれ」と言ってくれてるんだと思う。

リスクはあるけど、配当デカいぜ⁉️みたいな(?)


わたしの中に搭載された「リスクを最小限にした、誰も不快にしない発言自動作動機能」は簡単には解除できそうにない。

それは一番私が慣れ親しんだ生存戦略ではあるし「不用な波風立てない」メリットもあるから、一概に捨て去るべきとも思わない。


それに、私は、何とも闘わないわけではない。

ちゃんと正すべきは正そうとしてる。

しかし私の性質は、そもそも正さないといけない問題が生まれる前の芽の段階での和解に特化したものゆえ既に強固に顕在化した問題への対応が弱いだけなのだ、と半ば肯定ぎみ半ば諦め気味に捉えている。


だけど、妹の言葉にはいつも心を動かす何かがあるから、たまには違う選択もしてみたいと思う。

選択肢の多い自分になれるかも?と思うのは楽しいことだから、試してみたいと思う。


妹は、きちんと「自分という人間について考えてもらうための判断材料」をいつでも平等に他人に渡している。

「判断材料をちゃんと渡す」ことに力点が置かれているから、その後その材料がどう料理されようと、それは副次的産物であり、それに振り回されないでいられる。


それに対して私は、

「私の目から見て私の情報を渡すに相応しいと考えられる人にだけ、判断する必要がないまでに絞りきった情報を渡す」ということをしている。

相手とこちらの認識に違いがありすぎるため、そうでないと伝わらないことが多かった経験からくる癖だろう。

そもそも、自分の世界を頻発に外の世界に展開しようという気がそもそも希薄だ。


妹がよくいう言葉に、

「いつもお姉ちゃんが推測したとおりに相手が考えているというわけではない」

「言葉を発した本人の意志どおりに受け取られることはない」というのがある。

多分これもヒントなんだと思う。


これは勝手な想像なのだが、この言葉で妹は、

「勝手な妄想で怖がって殻に篭るなよ。お姉ちゃんは、「自分が意図したとおりに受け取られないなら言葉にする意味はない」という執着があるようだが、どう他人が受け取るかまで決めることができると思うな。それは相手の自由だと割り切れ」

って、多分(?)言いたいんだ。

鬼プロデューサーすぎる魂が抜ける


自分が発した言葉をどう判断するかを相手に委ねる勇気


他人の判断というコントロール不能な紙ヒコーキを、自分の価値観の中に落下させようと期待するような「甘え」は捨て去ること。


それが、真に「他人を信頼する」ということかもしれない…(?)


他人の紙ヒコーキが落ちてこないとか嘆く前に、そんなくだらねぇことに気づかないくらい、

自分が投げる紙ヒコーキにもっと集中しろや馬鹿者が‼️

一投一投に集中する誠意が回り回って他人への一番の親切だろーが‼️



ってことかな(哲学)…

深すぎる…


このように、彼女と話すと、考え方が違いすぎて、咀嚼にめちゃくちゃ時間がかかる。

毎回ハッとさせられて、身を斬られるような苦しみも感じつつ、ものすごく面白い。


例は以上‼️

(長すぎかよw)


お前、そんなに憧れるならINTJになればいいじゃん

って思うかもしれないけど、このタイプになるためにはかなりの知力の高さが求められると思う。

勉強ができるだけではない、広範にわたる知識欲と、途中で曲げない実行力は、誰にでも備えられてるのもではない。


スプラトゥーンに喩えたらリッター4k遣いのような、狙い澄ました計略が持てるかどうか、という性格上の問題もある。

この人たち、狙ったものは逃さないけど、逆に言うと、狙ったもの以外は綺麗に無視してる。

多分、私は、この無視ができない。

打たれてもいい、インクにまみれて潜伏しながら地面をダイオウイカでぬるぬるしたい私のような変態(?)は、4kを使うために高台に登るのは諦めちゃう。そこは両立できないんだと思う。


なろうと思ったからなれるようなものではない。

だから、それらが足りない私からみて、INTJが圧倒的に教師側だな〜って、よく思う。


この人たちが難なくクリアできてる問題は、自分も考え方次第で、頑張ればクリアできそうな気がしてくる(※実際できるかは別)みたいな感じ。

上手いゲーム配信者のプレイ動画を見学してみた時の感覚に近い。

逆に、INTJでも難しいと感じてることが、本当に世の中で難しいことなんだろうな〜みたいな、難易度振り分けができる「指標」みたいな人たち。


では、INFPからはINTJに何も還元できないのかというと、そうでもないと思う。


妹は、私の発想の突飛さやオリジナリティに走ることを臆さない変な性格を面白がってくれるし、記憶力の高さには驚愕してくることも多い。


例えば一緒に旅行していたとして、


一度通った道は必ず覚えてて、あらゆる可能性を頭の中で瞬時に提示し、考えうる交通手段から妹の性質や諸々の条件に最適なルートを迅速に割り出した上で、相手のペースに合わせてさりげなくアテンドできる(自信過多にぐいぐいリードしたりしない態度が、かえって自分で選びたいINTJには合ってるっぽい)


などのこちらのスキルが意外に重宝がられたりする。


AIにはできない類の能力に潔く全振りするINTJは、意外にも、その手の日常生活での基本的な抜け穴があったりするw


だから、そんなときは、こちらの出番

いつものプロデュースのお礼として、喜んで助けてあげようニコニコ


あと、彼女に聞いたところによると、

INTJは傷ついた時、「INFPみたくガラスがガチャンと音を立てて割れる」ことはないんだけど、その代わり「すりガラスになる」みたいな感覚らしい。

だから、傷ついてないフリが上手いだけで、傷ついてないわけではないんだ。


もしかしたら、割れたらきっと立ち直れないくらい辛いから、傷ついている感覚機能をわざと遮断して、あまり感じなくしているのかもしれない。

INTJの心は、INFPみたいに心中に響かせないだけで、内奥でひっそりと人知れずこだましてる感ある。

「ガラスがガチャンと割れるのなんかデフォ」というINFPの方が、弱く見えて、ある意味においては強い(打たれ「強い」)という面はあるのかもしれない。

(自分の痛みに鈍くなると、他人の痛みにも鈍くなる気がして、そこの痛覚を敢えて切らずに毎回痛めつけられに行く変態がINFP)


本人もよく気づいてない、その「すりガラス」化現象を、いち早く察知して防ぐムーブができるとしたら、INFP「割れガラス」なのかもしれない。

こんな時ガラスがダメージだと、気づきやすいので。


強さと鈍さは裏表

弱さと鋭さは裏表

だから、補えるところもあるような気がする。







<ここからは余談>





一度、妹に

「母さんの理不尽な要求も暴力も言外に示す期待もすべて無限にイエスと受け入れ続け、自分を無くしたお姉ちゃんを見て、たとえ母さんの意に背いて余計に殴られたとしても「ノー」と言える自分でよかったと思った。お姉ちゃんみたいになりたくなかった。」

と言われたことがある。


この発言から考えてもやはり、INFPの弱点を乗り越えて誕生するのがハイスペック大王INTJという見方は、あながち間違いではないようだ…(?)


(ISFJ母に対抗するには、INFPではどうあがいても火力不足なのだ。その点、姉として頼りなく、妹には申し訳なかった。たまに無自覚装った光属性攻撃したら相手が1ターンの間ちょっと非道さ反省してグェッてなるくらいの弱キャラでまじゴメン😭)


INTJにだったら、INFPは踏み台にされるのもやぶさかではない。(愛が重いからヤメロwww)オエー


え??

あれ????

この言葉、

もしかしてだけど


私の無能さが君のトラウマになってんの⁉️⁉️


だとしたら、マジでごめんよ(土下座)😭


私は母の理不尽な要求の押し付けに、心の中では反抗しまくりで唾棄していたが、家庭内平和のために必要なことだと思ったから表面上忍従の道を敢えて選んでただけで、意識的戦略であったという点では「自分を無くした」なんてつもりはなかった。


どんなに自分を無くすフリをしたとしても、無くさない自分が常に絶対にあるという自信だけが、私が私に対して持てる自信の全てだから。

(多分人間って、すべて削ぎ落とされて諦観に行き着いたら、その境地に至ると思う)


表面上で自分をいくら無くしても、意識的なダミー状態だと自覚しているのなら、それは私にとって本当の脅威ではない。

表面の乱れから起きる不意の侵略により、本体がダメージを負ってしまうことの方がヤバいから。


でも、私のその姿が、妹からはどう見えてたかに気づく余裕はなかったんだ。

妹の目から見たら、私は、表面上の振る舞いが内面にまで染み込んでいるように見えてたのかもしれない。側でそんなもの見せ続けられたらそりゃエグいだろうと思う。なんか申し訳なかった驚き


二重構造の精神を持ち、本体データを常に誰の目にも触れさせない山上のデータセンターに退避させ、その場の空気をミラーリングするダミーデータで対応モードにしばしば切り替える私と違って、妹はいつも目の前にいる自分一人の力で戦い切ってる本物の勇者なんだと思う。

心から尊敬する。

「守りたいのは自分だけか?」の意味わかったよ


これも言い訳にしか聞こえないと思うけど、

長女の私が母に忍従することで、妹だけは逃がして自由でいてほしいと思う一心だったんだ。(私がポンコツすぎてうまく逃がし切れてなかったから意味ないかもだけど😅)

でもそんなこと言うとなんか重荷背負わせるみたいで嫌だし、黙ってた。その私の行動で母サイドについてると思われて傷つけたことがあったのも知ってる。だけど、私が妹に軽蔑されるだけで済むならそれでいい。一生黙って誤解されたままでもいい。


妹には、また、「お姉ちゃんはお母さんに認められてる自分でいたいと思ってるから、嫌だ嫌だ言いながらも従ってるんでしょ?」

と言われた時も、私はいつもの仏像顔で「ふーん、そうなんだー(棒)」って普通に返したんだけど

内心ピンと来なかった。妹からはそう見えるんだなって思って、驚いた記憶がある。


そもそも心の支えである妹たちがいなくてもし1人だったら、家出してるか通報してるかして早々に逃げてたと思うから、妹を守りたい気持ち以外のことは、自分の中でピンと来てない。

(自分でも重すぎて怖いから発言はしないけどwwwオエー)


親に認められて嬉しいなんてこと、思ってない。

あの人たちと価値基準が同じだと思うこと自体屈辱なのに、有り得ない。


あの親は、子供は自分の所有物だから、いくらでも言うこと聞いて当然だと思っている。

肉体こそが人間の全てだとの唯物論者の成れの果てみたいな理論で、私の肉体を生み出した親である自分は娘にとっては創造主だから、娘を好きに支配できると思っているんだと思う。


あの人たちは、子供の中に自分とは違う魂が存在していることを受け入れられないほど、人間を単にモノとして捉えている。

おそらく、「子供は調教すべき家畜」くらいにしか思われていない。所詮、モノだから。


そのへんの認識は、人の生まれつきの品性に多分に左右されるため、いくら自分の親とはいえど、修正不能な部分になる。

親の人をモノ扱いする品性は生来のものであるため、もはや動かない事実だと、10代の頃の私は早々に諦めたわけだ。(もしかしたら潜在的には8歳くらいから気づいてた…?)


そんな絶望の中、せめて、人間でい続けるために、目には見えない心までは誰にも触れさせないように守ろうと思って、目に見える表面のみを、あの家畜遣いどものお望みどおり優等生ヅラ盤石コーティングしたっただけだ。


でも、そりゃ、妹から見たら、私は親に迎合していたように見えたんだろうね。

そう見える行動を私はしてたんだろうから(?)


私はこのカオスな内面を、ちゃんと外界につなげていかなければならないのか…?途方もない。




関連する話かは分からないけど、

私は、隠れキリシタンが踏み絵を踏めないのが不思議に思う。

心の中にある神を守っているなら、踏み絵を踏もうが信仰本体は守られるはずではないか?踏み絵はただの物的な像に過ぎないから神本体ではない、はずだ。

踏み絵を踏むことを躊躇うのは、信仰の中に、自分の心から来るものだけではない、社会的な行動も含まれるという思考が含まれているからなのか…?

「心の中の信仰」と「社会的要請による半強制的行動」は全く別物なので分離可能なはずではないのか?なぜ?

踏まないことが信仰と言うなら、信仰は心ではなく行動ということだろうか?


児童虐待は偶像崇拝とどこか似てる

私はずっと偶像として扱われてきた

偶像は、その中の魂が抜かれてるから偶像として機能できる。

しかし、偶像自身は自分が偶像だと絶えず認識してなければならないという矛盾。

神(魂)はちゃんと別の場所にあると示したままで、体は空虚を演じ切る。

偶像が踏めないっていわれたら、そっちは本体じゃないから大丈夫って言わないといけない。

自分は偶像だから踏まれてるだけなんだ。

だって自分本体が踏まれてるはずないじゃん?

もとからその像の中には、居ないよ???

だから、貴方は罪を冒してないよ

って、言わないといけない。


「わたしは、わたしのいうことをなんでもおとなしく聞くお人形がほしいの。でも、ちゃんと心がないとダメよ?だって、心から私のいうとおりにしたがっているお人形が見たいの💗」


こんな母の業の奥深いところにあるニーズを拾い上げてしまうほどの無駄な受容性は、妹にはない。

そして、そんな能力など、持ってほしくもない。

だから、そんな深みにあの子を近づけてはいけない。

脳のない贄になりきるための素養は、自分で自分を「捨てられるはずのパンの耳」だと思えるかどうか?というところに掛かっているからだ。

そしてそんな素養、私を生かしてくれている妹にだけは持ってほしくない。





(ごめんなさい、私は宗教に詳しくないので分からないだけだと思います。センシティブな例を出してしまい、何か気を害された方がいらっしゃったら誠に申し訳ございません)



多分、私がヘンなんだ。

普通は、心で思っていること=行動として考えてるんだ。

そこは一致するのが普通なんだ。

心で考えているだけで行動しないのでは、信仰したことにならないのだとしたら、

それが幻だと言われてしまったら、

心で思ってるだけで表出させない私の存在自体が幻か何かか…?(虚無)オエー


おっと、いつもの悪い癖出た、すみません




やっぱ、考え方違うといろいろ当たり前だと思ってたことの特殊性に気づけて面白いね‼️びっくり



さらに余談ニコニコ


INTJになれるのはもともと集中力高い人のみだろうなって思うけど、


INFPになるにも、一つだけ、欠かせない性質が必要になると思う


それは、

「たびたび不本意に負け続けたとしても、

生涯誰からも一度も理解されなかったとしても、

心の芯だけは常に自分の北極星を指し続け、

自分の心の中にある真実以外のものに意地でも染まらないという変態的(?)なまでの固い決意が持てるか」


(具体的には、社会的存在としてでなく形而上学的存在としてメタフィジカルに在ることに振り切る覚悟(?)的な)←頭やべぇじゃん


みたいな心持ちだと思ってる


「普通の人生」を諦めるまでの「どう転んでも無理ゲー」ルートの先に、普通の人生諦められたときにのみ開くボーナスステージが待っている

「そのボーナスステージに、君は行けるのか…?」

と、あらゆる瞬間に人生自体から問われ続ける。


それがINFPたる素質だと理解している。




変態って言うな!w

てかそれ、

スペックには一切関係ねぇじゃん‼️


もはや精神論で草w爆笑