タイプ論にはどんな形であれ偏見が潜んでいる。
だからmbti的な分析に染まるのは、あんま好きじゃない。
この記事を書いてるのは、
世間のINFP叩きが酷すぎる
というか、
INFPに対する誤解を招く解釈が出回りすぎているのでは!?と思ったから。
(正反対の心理機能を使う人から見たらその解釈になるのは仕方ないのか?とは思うが)
ネット上に星ほど溢れるINFPに対する偏見や誤解は、実態を知らない人が垂れ流してるだけのものだって(少なくとも私は)思うから、
「傷つく必要ねぇんだぜ同胞」
って言いたくなって書いた。
⚠️あくまで個人の意見にすぎないので、これが正しいとか一般論というつもりなどは毛頭ありません⚠️
混同されがちなINFPとINFJ
その違いは当人たちには明白なのに周りは分かりづらいらしい
そこでケース別にINFPとINFJの見分け方書いてみた
(ケース1)
大人数飲み会など苦手な場面において、気を許せる人がおらず、いつもの自分らしくいられないとき
↓
🐰INFPは自分の本当の感情を隠す
アウェイ飲み会のようなパニック時は基本、過適応気味。
相手に好かれてさえいれば最悪な状況にはならないと思っているため、相手の機嫌を損ねないのが得策と思っている。
ケータイ触るなんてもっての外、全力でコミュ強演技をする(が似合ってない)
相手と同じ雰囲気を転写し、
面白くない話でも本心から面白いと思っているかのような反応を返す。
結果どことなくアホで無防備に見える。
🐼INFJは自分にまつわる情報を隠す
大人の対応が得意なINFJは、アウェイ飲み会もそこまで難関ではない。
そつなく義務をこなすが賢明なため人に自分の情報を不用に握られるのは避ける。
時々手元のケータイを触るのは、精神的に疲れすぎるためこっそり距離を空けてますポーズを挟むことで牽制しているように見えることもある。
プライベートな情報を聞かれたとき、(多少空気を犠牲にしても)自分の秘密を隠す。
案外、他人への値踏み目線も隠さないので、そもそも不用に踏み込まれにくい。
(ケース2)
みんなで遊園地に行って無表情なメンバーがいたとき
↓
🐰INFPはその様子からそのメンバーの体調不良に気づくが、そのメンバーと二人きりになれるまでそっとしておき、二人きりのとき声掛けする
(そのメンバーが周りを盛り下げたくないからこそ今敢えて無言なんだろうと深読みし、介入するなら相手の意向を確認してからにしたいから)
🐼INFJは、みんなが聞いている前で、そのメンバーが無表情だねと指摘する(何か問題があるなら早く共有した方がよいと思って)
はぐらかされても、本人が白状するまで指摘し続ける。(それが言えるのが友達じゃん!)
(ケース3)
旅行に行った人からお土産のお菓子をもらったとき‼️
↓
🐰ありがとう❣️と喜びINFPは次に自分が旅行に行った時にお土産を買いお返しする。(旅行に行かなければお土産も買わないので、お返しもしない)
機会もないのにお返ししたら、相手が逆に気を使うだろうと深読みするから
🐼ありがとう❣️と喜び、INFJは三日後くらいまでに同じくらいの値段の相手に気を遣わせない程度のお菓子をお返しする。(借りを作ったままの状態が気持ち悪い)
(ケース4)
酷いことを言われた
↓
🐰心の扉を閉めるがストレートには示さない。
拒否したことが相手にバレるとまた別のトラブルが起きると恐れるからである。
既読スルーとか思われるのも嫌になり、衝動的に携帯の電源落とす(真っ黒に塗りつぶされた気分を切り替えたいから)
リアルでその人に遭遇した時、相手を傷つける気配は廃し、あ、ケータイ機種変したんだ〜とか言って、何も悟らせない態度で笑顔で応対。
しかし、内心辛いので会話の空気感をたくみに操作し相手が核心に触れるような話はし辛い雰囲気を作って何も語らないままそっと距離を置く
🐼INFJはその人にされたことを、なる早で親しい人に相談。自分の考えが整理できたら次のステップへ。
自分からは近づかないが、社会上の必要があってその人が近づいてきた時には、会話は普通にする。それが大人の常識だから。
しかし、態度にはそれとなく嫌であることを出す。(相手に反省を促したいからである)
その後、もし仲直りしたとしても、決して相手からの仕打ちは忘れず、折に触れて話題に出す。(相手がもう二度と同じ過ちを繰り返さないための予防策)
それでもダメだ改善されないと見切りをつけた人は視界から消す
例は以上❣️
要するに、
INFPはどこか自分は社会のマジョリティを成す中央値的価値観からは要らない子だという意識があり、集団内では辺境に居て、むしろそんな人間にしかできないことができればいいと思ってる
INFJは、要る子になるための不断の努力を怠らず、ポジション関係なく、辺境にいたとしても、それは自分の中で正しさを貫いた結果であると思い、一人でいるのは好きだが、集団への帰属意識はキッチリある
みたいな…?
同じタイプでもいろんな人いるので、網羅してるわけではないが。
ケース1で紹介した行動の違い(過適応か秘密主義か)は、この原理によるものと推測している。
つまり、
INFPは、メイン社会集団の「外」に自分の存在を置いているため、社会の空気に「同化」することが社会から要請されるペルソナとなる。
自分が異質と自覚しているからこそ、逆に外面的には空気のように周りに同化しようとするのだ。
秘密主義はその異質性をかえって際立たせる悪手であり、集団から距離を保とうとする際、かえって墓穴を掘る。
例えば、忍者は忍者として潜伏する際、商人や薬売りや山伏など、市井の人に化けた方が仕事やりやすくなる発想だ。
対して、INFJは一応自分の存在を社会集団の「内」に置けているため秘密主義など集団からわざと距離を取るポーズを示すことを恐れる必要がない。
むしろ、集団への過適応を防ぐための好手となる。
(知り合いINFJは実際「私、実は冷淡なので」という発言をわざわざしていたりした。これは、INFPには取れない行動だと思って驚いた記憶がある。)
例えるなら、少女の枠組みから外れてはいるが、「少女の枠組みから外れた少女という枠組み」からは外れない少女小説の系譜(恩田陸小説の少女みたいな)イメージ。
忍者はその生き様自体がミッションであり、市井の人たちとは違う原理で自分が動いていることを脊髄で理解している。常に揺るがない北極星が脊髄に命じるていため、己の核は保たれ続け、表面上で別の民に次々姿を変えることは厭わない。
一見、社会から自由でいるようだが、忍者としてのミッションに失敗したら奥歯にセットした丸薬を噛んで自害するしかない運命という不自由さもまた刻み込まれている。
忍者は、どこの地域にも定住せず、誰からもその個人を認識されないからこそ、見えない神仏に背くような行動だけはしなかったという。
もし神仏に背くような行動をしても、誰にも見られないにも関わらず。
どこにも属せず、誰にも見られないこそ、その見えない神仏との接点(絆)までも失ってしまったら世界全てから引き離されてしまうから、という論理らしい。
この話聞いた時に、自分の人生観を言われたのかと思った。
社会の中のルールにではなく、もっと広い世界のどこかにいるはるかな天上の自分にしか見えない自分だけの神に人知れず忠誠を誓う生き様は、Fi志向の究極形だろう。
(逆に言えば、「はぐれもの」にとって最後の命綱、唯一の光明がFiとも言える)
対して「少女」は、少女でなくなっても死んだりせず、通り一遍の成熟した女になるという社会的地位は保証されているが、だからこそ少女という特異な枠組みを保つことのアイデンティティを死守しようとする。
社会の構成員としての明確なポジションが確保されているが故に、不可逆的な同化への波を同時にひしひしと感じている。
その波に抗うために、枠組みプレイというポジショニング術により意識して差別化を図ろうとするのだろう。
(これには、高度な社交性と観察眼の鋭さが不可欠で、とてもINFJ的だと思う)
INFPはまるで「(伝統的な意味での)忍者」みたい
INFJはまるで「(文学的な意味での)少女」みたい
って思うことがある。
INFJの中の少女(ある種の自意識過剰性)は、まさに今も水をやり続けている生花だけど、
INTJ女子はその自意識を氷点でブリザーブドフラワーにしてガラスケース内で永遠だから、戦術のドアを開けて踏み出すのかと思うことがある。
INFJ女子の言動は、どこかまるで少女小説の構造のように「世界の輪郭を切り取って完成させた閉じた世界観の中で「異端的な自分」を敢えて強調することにより特別視されたい」というような印象を受けることが多いが、
INTJ女子は、現実を現実的に見つめすぎて、輪郭に自覚的な分、虚無主義に寄ってしまったために、すでにその手の自己演出には全く酔えなくなっているような印象を受ける。
INFPはその輪郭を引くことすら初めから放棄して自覚的に単なる趣味でナンセンス中を一生漂流してるみたいなところあるから、その意味で虚無主義的なので、
INFJのことは不思議なくらい毎回痒くないところ掻いてくるな〜と思うのに(他の誰かにはちゃんと刺さるんだろうなとは思う)
INTJの事はどこか気になってしまうんだと思う。
なんで虚無マインドなのに、そこまで強いの?みたいな。
(実のところそこまで虚無ってないの?)
INFPもINFJも「生きづらい」と言われるタイプなのは納得できる。
INFPは奥歯の毒を放棄して風来坊(ISFP化)になれたら少しは楽に生きられるし、
INFJはどこにでもいる量産型ローカル主婦(ISFJ化)になれたらその潔癖な特異性からくる孤独を脱せる。
しかし、生きづらい性質は生まれつき要素も強いので辞めようにも無理なことも多い
ちなみに、S型化せずに知的かつ孤独を突き詰めた方向に行き着いたらINTJとかいうレアキャラ爆誕する。(しかしさらに孤高のためさらに生きづらくなる)
例えば、自分の敷地にゴミ捨てられたとして、
INFPは敷地内に穴を掘ってゴミを埋めて、全てなかったことにする。
ある日雨で土が削れて埋めたはずのゴミの大量さに絶望し引きこもる。
しかし知らないうちに勝手に復活、ゴミを集めて壮大な空き缶アートを作り始める。
ゴミをゴミと割り切れず違う視点から捉えたい、そして無意識にゴミという存在に自分を重ね合わせてしまう自分の気持ちまでをも昇華させたい‼️
INFJは、ゴミを勝手に捨てるのはいけないことなのでやめてほしいよね〜と仲間に愚痴る(自分の敷地内だから怒るのではなく、そもそもポイ捨てに怒っている)
しかし、ただでは転ばず必ず起き上がる。
ポイ捨て防止ポスターをつくり、ゴミを正しく捨てるという機運の醸成から手をつける。
社会通念から変えるというシステマチックな方法で解決することにより、ゴミを捨てられた過去が上位にアウフヘーベン、これすなわち正義の顕現。
どちらもゴミを投げられたら即金属バットで打ち返しちゃる‼️
みたいなやる側キャラではなく、
基本やられる側、控えめ天然系、一人でいるのが好きなのも同じだから、外から見たら混同されやすくはある。
しかし、その根源的な部分について考察すれば実は正反対で、
世界は美しい数式に収斂できると思いたい新古典主義的ロマン主義者か、(Ni)
数式は確かにロマンだが、どこか懐疑的に見てて、世界は実は数式すら超えた半音階的カオスの総体なのでは?と思い続ける垣根超えたい系ロマン主義者か(Ne的?)
上手く言えないけど、
両者は表裏なだけで、どちらが正しいとかは無い。
野放図世界が不安だからこそ、筋の通った秩序を信仰していたい(INFJ)
or
人為的社会に絶望したとしても揺らがない精神のために常に選択軸を多数感知しておきたい(INFP)
?
がゆえに、
極性(二元性)への適応を採用したい(INFJ)
or
脱構造的な多元性を呼び込みたい(INFP)
みたいな…?
ちなみに、
体癖との関連は(推測に過ぎないが)
1種2種-8種ならINFJに分岐しやすく
(1種はINTJ寄りに見え、4種はISFJ寄りに見える)
6種又は9種軸はINFPに分岐しやすい(そのどちらもINTPにも多い)
INFJは4種複合率高い(?)ので「自分のタイプがどちらかわからない」という人多いんか?
(Fe(他人軸)は偶数体癖っぽい)と思ってる。
(素人の戯言なので聞き流してね)
RPGに喩えるとINFPとINFJは魔法使い枠なんだけど、
INFJは自分が光だからその影の闇魔法使えてて、
INFPは光魔法繰り出すために自身は影である闇の中に潜んでる
みたいな、光属性と闇属性持ち的な印象
そしてこれ、INFPとネガとポジの関係であるINFJさんから見たらそっくりそのまま逆転してて、INFPが光属性の闇魔法使いに見えてるんだと思うw
で、両者の魔法は光と闇で打ち消し合うから、同じパーティ内にいない方がいい。
イメージ論ばかりで申し訳ないが、まるで
修道院で温室栽培されし折り目正しき「少女」
VS
野原にランダム出没するナゾの人外「妖精」
みたいな
(いうまでもなく前者INFJ後者INFPですw)
両者は、集団の中にいると一括りにされそうな雰囲気はあるが、個別に見た時には全く異質。
妖精と少女は2人きりの時なら問題ないけど同じパーティに属してしまうと「混ぜるな危険」的異種交流譚
まず少女は妖精に、ある種の「辺境性」を感知して、もしかしたら同種かもしれないと思う。
そして、良かれと思ってその辺境性をあえて周囲に対し際立たせるような働きかけを行なってくる。(相手が人間だという当然の前提のもとに)
そしてこちらを辺境から中央へ引き込もうとする。
それが人としての最善だと、彼女はあくまでも善意である。
しかしその行動は、実は妖精にとっては潜伏先を明かされる存亡の危機をもたらしている。
妖精には妖精の生態があるのに、それを理解されず、人のやり方を当然のように推奨されることへ残念さを感じる。
おのれの辺境性を際立たせたくないから、妖精なりのやり方で場に溶け込んでいるのに、その魔法を無理矢理そちらの手法で解かさないでほしい、勝手に暴かないでほしいと、内心泣きそうなくらい困惑している。
中央部への進出はリスクだ。
光を当てられると、自らが場に落としている異界的な影がより目立ってしまう。
よって、妖精はその少女の魔法の中和を試みる。
具体的には、少女の発言の額縁の外側や裏側を示唆するような発言を被せ、額縁の中に描かれた絵に注目させない効果をもたせることにより、その少女の発言自体を陳腐化し、無力化するという魔法を用いる。
その「世界観」を形取るコンテクスト自体を解体する、というイメージだ。
もともとコンテクスト外にいる妖精は、その少女の額縁設置能力(ある種の打算)を瞬時に見抜くため、造作なくやってのけるだろう。
その相殺魔法で事物の全ての輪郭を自然にボカし霧の中に葬ることで、自分の居場所すらわかりにくくする。
同じ水属性でも、可塑性のある氷のINTJと電気を通す水流のINTP
同じ炎属性でも、
青い炎のENTJと赤い炎のENTP
同じ風属性でも、
竜巻みたいな求心的ENFJと山から吹きおろすみたいな遠心的ENFP
のようなイメージだけど、
これは、そんな風な擬似同一関係内だからこそ分かる、とても微妙な空気感操作だと思う。
温度や重力すら動かす実体のあるエレメンツを使えるそれらのタイプと違い、INFJとINFP(光属性と闇属性)がもたらす効果は不可視な領域に属し、その魔法の燃料は魂なので、MP消耗がことさら激しい。
少女はその妖精の必死の牽制の意味を理解できないから、それを不本意な敵意の表現と捉えて傷つき、ドアを閉めてしまう。
その傷ついた少女をみて、妖精は「違うのに、そうじゃないのに」と呟く…
みたいな結末を迎える…(?)
表現が抽象的すぎてわからん‼️って言われそうだけど、このような表現でしか言い表せない微妙な水面下の駆け引きなんだ。
ちなみに
N型目線ではS型のことは「なんかいつも見たことない謎の物理武器持ってるNPC」に見えて、その武器見ても
「フーン、運営はプレイヤーにその武器買わせたいのかな〜!?残念でした、そんな金あったらMPの上限値上げるアイテムか新しいバフ覚えるための魔法陣購入するわw」とか言っていつも観念的に攻めるから、
時々レベルを上げたS型に、物理武器で完璧にバッサーやられてグオオ‼️となるイメージ。
↑救いようのないゲーム脳w
※すぐN型マウントかとか言ってくる人いそうでダルいので先に言っときますが、S型からみたら私なんてただの「弱すぎる丸腰の雑魚」と自覚した上で言ってる。
こちら視点の話をしてるだけだし、上だの下だのという議論ではない。
ついで言うと、私は物理攻撃強いキャラが好き。MPを無駄に消費しないのに強いとかマジ最高。
<ここから余談>
INFJから見たINFPていうYouTubeあげてた文さんっていう人の動画内で語られたINFPについて、いいところ所々かすってるけど、惜しい‼️
やっぱりINFPのことは本人にしか理解できないんだな〜っておもった。
INFPは確かに、時と場合に合わせる。
しかし時と場合に合わせるにしても、行動を裏打ちする一貫した何かに基づく思考は、ちゃんといつも内面にある。
INFPは、文さんがいうような「その場における快を選び続けてる人間」ではなくw(そう見えることは否定しない)
ちゃんと根底には人生哲学があるんだと思う。
一貫性がないという一貫性、そのアンビバレンスこそINFPなんだよ❣️たぶん
このINFPの志向する一貫性は、おそらくINFJのそれと根本的に違うので理解しづらいのだろうから、今から説明するゾ
INFJの志向する一貫性は、思想的(または宗教的)な、何らかの完成された体系的イメージなんだろうな、と文さんの動画を見たところ読み取れる。
それに対して、INFPの志向する一貫性とは、もはやもう一つの世界線レベルの手触りで自分という存在の枠外に存在するユニバースなので、確固とした思想体系なんていう規模に収まってない。
このもう一つの世界線の可能性は無限大であって、予知夢と現在が重なる瞬間みたいに、一つの事象にも無限の可能性のレイヤーがかかっている。
この無数の世界線から示唆される可能性はいつも無限だから、体系的な一貫性はない。
禅問答みたいな話とは思うけど、
例えば、この動画で文さんは、INFJは理知的たりたいと思ってるというのだが、
理知的に「なりたい」自分を世界から捕捉された時点で、もはや「理知的」ではない
みたいな現象起きてないかな?
定義づけた時点で、「観察者の枠内のもの」になり下がり、そのものの元来の在り方は変性してしまう。
よって、
INFJが得意とする(?)ところの法則化、ルール化が、こちら視点からは
真実に迫真する上では逆効果
であり、
単なる陳腐な観察者のエゴの押し付け
のように映ってしまう。
言葉に変換する
とか、
法則性に当てはめる
などの何かしらの定義づけを行った時点で、それは、その実態からは微妙に違うものに変性してしまう。
定義づけとは、そのものの可能性の一部を切り捨てることでり、
安易に言葉にしないのがより真実に近い
このような
何かを目指すと、しばしば実体としてはその何かから遠のく
という、複雑かつアンビバレントな世界に私たちは生きている。
例えば、
夜空の星は、直視せず、少し焦点をずらした方が明るく見えるでしょ?
これ、
「真実を見たいなら決して世界を不躾に直視するな」
っていう、人間に与られたヒントの一つなんじゃないかと思うんだけど、
そんな要領で、
こんな不条理世界に捕捉され、その窪みに囚われないためには、万華鏡みたいに無限に屈曲率を上げ、視点を無限に増やし、変え続ける必要があるんじゃないかな?と思う。
この屈曲を外から観察したとき、一貫性ない場当たり人間に見えるんだろう。
自分が選んでる可能性は可能性の中の一つに過ぎないんだ、現実なんだけど現実じゃないんだ、みたいな…
(この現実感の薄さがINFPの弱点なんだろうけど)
実際、世界は人間が法則化できるほど簡単にはできていないよね?
目に見える、人間が作り上げた世界を基準に世界観を構築することに何の疑いも持たない人たちが不思議。
人間が体系化できる範囲なんて高がしれてるよ。
所詮、人間の集団内での思想だの宗教だの、まるで箱庭の中で遊ばされてるハムスターみたいじゃん。
出来レースか?って感じでしゃらくせぇ。
INFJハムハム🐹
「お前、箱庭の壁勝手にかじるなよチュー。箱庭破壊されるじゃないか、そういうエゴはよくないチュー」
INFPハムハム🐹
「なんだチュー?そもそも世界は箱庭の外にも広がってるのに、誰かの勝手な都合で壁で仕切られてるだけだチュー。この壁の設置こそ、その知らない誰かのエゴだチュー。こんな壁、齧るが吉だっチュー(ガリガリ)」
INFJハムハム🐹
「や、やめろっチューねん!壁に穴ボコ空いてたら不安がるハムハムいるだろっチューねん!」
INFPハムハム🐹
「大丈夫だっチュー。穴ボコで通気性良くなって内心嬉しがるオイラみたいなハムハムは潜伏してるだけで確実にいると思うチュー…
大丈夫。オイラ一人だけで出て行くからよ。出た後は穴塞ぐなり好きにしていいチュー。
一度シャバを歩いたら、永遠にあのアホくさい運動器はガラガラしたくなくなるチュー」
INFJハムハム🐹
「箱庭が気に入らないなら、みんなが気にいる箱庭にしよう。まずその努力をするのが正しいハムハムだチュー」
INFPハムハム🐹
「お前の言ってることは正しいチュー。でも、オイラはわざわざ世界を壁で仕切る必要性自体に疑いを抱いてんだチュー。でもって、箱庭の中ではみんな同じ方向向いてないとすぐ尻尾の毛毟られるだろ?この魔女狩りならぬハム狩り的な雰囲気が苦手なんだチュー。」
INFJハムハム🐹
「なら、箱庭が苦手じゃなくなるように心を入れ替えたらいいんだチュー。箱庭を悪く言うなんて、もっての外だチュー。箱庭には先祖代々のハムハムがより良い箱庭を作ろうと努力した知恵が詰まってるんだチュー。箱庭の歴史に敬意を払えっチューねん」
INFPハムハム🐹
「箱庭内の正義は、お前が知りもしない間に生み出されてる声をあげられないあまたの弱きハムハムの犠牲の上に成り立ってるって考えたことないのか?
箱庭にいたいハムハムは居ればいいチュー。各個の自由だチュー。でも、それを良しとする考えを他のハムハムに押し付けないでほしいチュー…
お前のいう心を入れ替えるっチューのが、全体主義プロパガンダでの洗脳とどう違うんだ?っチューて問いたい」
INFJハムハム🐹
「その問いに即答はできないけど、いつかは全ハムハムが快適に暮らせる箱庭が作れるはずだチュー!そのためにはいろんなハムハムの意見が不可欠だから、お前の協力も必要なんだチュー!
箱庭には確かに問題が山積みだチュー…
でも、だからこそ、箱庭内の方法論に正々堂々則ったやり方で改善しないと、箱庭全体に訴えかけられず、いつまで経っても進歩がないって言ってるんだチュー。
脱落してしまったら、その改善のスタートラインにすら立てないチュー!お前はそれでいいのチュー?」
INFPハムハム🐹
「その改善、いつかお前ならできるだろうなって、オイラも夢みてるチュー。
でも、お前のいう正攻法では、どうしたって他の大勢のハムハムと徒党を組む過程が必要になる。そして、徒党を組むと、どんな理想を掲げてようと、必ず偽善や欺瞞、腐敗や迫害を産む局面が出てくる。それが集団ってヤツの宿命だチュー。そんなの想像しただけでポイズンだチュー。
オイラには、全ハムハム共通の善なんて難しいこと、わからない。でも、自分なりのラブアンドピースを毎時毎分毎秒貫くことが、回り回ってきっとみんなのラブアンドピースに繋がると思うチュー。
みんなが自分なりのラブアンドピースを貫けばきっとハッピーだチュー‼️
オイラは箱庭にいる限り、本当のオイラらしくはいられない。オイラはオイラの人生を生きるために踏み出したいチュー。」
INFJハムハム🐹
「みんながみんな、お前みたいな自分自身の羅針盤を持ってるわけじゃないチュー。
それに、全ハムハムがお前みたいに無害な奴ではない以上、もし仮にお前がいうとおり全ハムハムが野放図に我が道歩いてしまった日には、きっと治安も秩序もへったくれもなくなるチュー。それはそれで傷つくハムハムいると思うチュー…そんなハムハムを守れる組織力がほしい…
というか、なんでお前はオイラほどじゃないにしてもエリートハムハムで、さらにかわいいと持て囃されるジャンガリアン種ですらあるのに、なぜその立場を気安く捨てるんだチュー?
みんな羨むハムハムであるお前自身と、その称号を与えてくれた箱庭に、何の不満があったんだチュー?
お前は箱庭から傷つけられたかもしれないが、その分貰ったものも沢山あるはずなのに、恩知らずではないのチュー?」
INFPハムハム🐹
「ジャンガリアンだかジャガリコだか知らないが、箱庭の連中はすぐ少しの差異をみつけては差別化するんだなぁ。そんなの必要ないチュー!
修飾語が少々違ったとしても、主語はみんなシンプルに対等な「単なるハムハム」だチュー。ただの平等に自由なハムハムたちがそれぞれ思い思いに毎日を生きてる。それが一番幸せなはずだッチュー…
こんなフリーダム思考の異分子がこの閉鎖的な箱庭で他のハムハムにしっぽ齧られないようにするには、デキるハムハムを装うしか方法がなかっただけで、好きでエリートやってたわけでなし、肩書や立場には特に執着ないチュー。
見ろよこのお腹の10円ハゲ。装い続けるストレスのせいで、他者からは見えないけどボロボロだ。このままでは表の毛も抜けて、ハムハムとしてのアイデンティティをなくし、ただの毛なしネズミになってしまうチュー。
他人から与えられる称号なんて、空虚だチュー。欲しいなんて言ってないのにいつのまにかつけられただけだチュー。
オイラは、自分で自分に称号与えられるハムハムになりたいんだチュー」
INFJハムハム🐹
「そうか、オイラなら箱庭を良くするためなら自分が少々毛なしになろうが箱庭の恩恵にあずかってるネズミである限りは石にでも食らいつくんだが…と言いたいところだが、同じレベルを求めるのは流石に酷だろう。人が返せない恩も返せるオイラみたいなハムハムがいるから、この箱庭は大丈夫だチュー。オイラだってストレスヤバいけども、ストレス溜まったときは向日葵の種爆食いしてどうにかしてる。まあ、お前がこれ以上禿げたら大変なのわかったからもう止めないけど、お前が居なくなったら少しは淋しいチュー」
INFPハムハム🐹
「そんな自己犠牲を見せつけられる側も辛いんだチュー。そこまでしろなんて、だれも頼んでないチュー。毛なしで石に齧り付くハムハムなんて、側から見てて怖いんだチュー。
そこまでして恩を返さないといけない箱庭って、一体何なんだチュー?
頼むから無理せず、かわいい毛並みのお前のままでいてくれチュー。
淋しいって言ってもらえて嬉しいチュー!
箱庭にいてもいなくても、同じ空の下でそれぞれ幸せなら、オイラとお前は一緒にいるのと同じだチュー。同じ箱庭のなかで、幸せなハムハムと不幸せなハムハムでいるより、ある意味ずっと近くなる。
だから、これはサヨナラではなくて、新しいこんにちはなんだチュー❣️」
みたいな…?(突然のハムスター劇場)
話それた‼️
法則性を見つけ出して体系化したり、
神を想定して宗教を作り出したり、
それらはどんなに崇高なツラ下げて歩こうとも、つまるところ、人間が安心するための道具にすぎず、人間の都合に過ぎない、と思う。
でも、世界自身はどうなんだろう?🐹
定義づけられたいだろうか?
いや、
ただ無限に広がり続けたいのではないだろうか?と思う。
勝手な想像だけども
だから、私は世界を規定せずに、その原理に従ってスイッチを変え続けることにしてる。
たかが人間なんかの考えうる範囲をいくら上手く纏めても、ほんとに理知だと言うんだろうか?
答えはその先にあるだろうことを感知することこそ、人間にとって真の理知では?
ことわりをしれないことをしる、みたいな矛盾
そのレベルで考えてないと、精神が虚無感に浸されちゃう瞬間でてくる。
文さんの持論に過ぎないんだろうからINFJ一般には関係ないとは思うけど、この人は
INFJはエゴが嫌い
INFPはルールが嫌い
とか並びたててるんだが、
そのとおりだとは思うけど、
これではまるでINFPがエゴ丸出しなルール破りみたいに見えるじゃねーかと思った
※本人に悪気ないのはわかってる。
上のハムハム劇場を引用すると、これが違うことがわかって貰えるだろうと思う。
世界の捉え方が違うだけ。
そして、私にとって一番侵してはならないルールは、人に価値観を押し付けないということだから、何かしらの一方的な価値観を押し付けてる系のルールの存在は、私にとってルール破りなんだ。(あまのじゃくかよ)
で、文さんのいう「エゴ」のない状態とは、
集団内の理念に従うために自我を滅却するものなんだと思う。
それはとても素晴らしいことだけど、じゃあもしその自分が属する集団が、宇宙や世界やもっと普遍的な法則からみて道を外れてしまっているときには、知らず知らず集団と一緒に悪をなすことになる諸刃の剣ではないのかな〜と思う。
その危険性を何よりも感じているからこそ、自己埋没的な集団心理からは常に距離を置いてきたのかもしれない。
一つ一つ、何の既成概念にも汚染されず、何の集団的心理にも影響されずに選んだ自分の心が一番喜ぶ真実だけが、本来の意味で人間としての「ルール」を守っていて、無意識な「エゴ」を身に纏ってない状態だと信じてるから。
どの本で読んだか忘れたけど、
「正統とは無意識にことを成すことである」
って言葉は、ホントにその通りだと思う。
何故かこの世では、自律的であろうとすればするほど、知らず知らずに異端に近づいていくんだよ。
文さん曰く、INFJは集団としての善を成すための犠牲は(INFPと比較すると)やむを得ないと考える傾向があるという。
(全てのINFJがそうだとは思わないけど)
たしかに、両者の違いを論じる際、そこが肝なのかな〜思う。INFPの非現実的なまでの理想主義が現れてる箇所だと思う。
INFPは(少なくとも私は)何らかの犠牲が生まれた時点で、
犠牲の上に何かを成し遂げようとする理想をもはや真の理想とは見なさなくなるから。
世界の絶対的善というものが存在していたとして、それは多分普遍的に永遠に美しいものだから、犠牲など生むはずがないから。
よって、誰かが犠牲になるような目標は、世界の普遍的法則ではなく、人間の独善的思考による相対的なものに過ぎない、ということになる。
ならば、誰かの視点から見て正義となるに過ぎないその目標を達成するために、誰かの犠牲を強いることは、ただのワンサイドゲームで犯罪行為に等しい愚行だ。
そんな愚行の上に達成された目標など、何かを達成したとしても、独善に過ぎない以上、永続する普遍性は獲得しえない
まるで、次の波が来たら呆気なく崩れる砂の城みたいに。
だから、そんな理想などは理想ではなく手前勝手なその場凌ぎの幻想だと思って、はなからそんな欺瞞には加担したくない、と考えるのだ。
文さんはINFJは時として犠牲を出しても達成すべきことがあると分かっている、と動画内でおっしゃるのだが、もしINFPが、ただ目の前の犠牲を嫌がるだけの理由で達成を諦めているのだと考えているのだとしたら誤解だ、と思った。
選別・排除しないことで守られる何かが守られるならそれも一つの価値だと思う。
本当の正義を明らかにするのは、たぶん人間ごときでは無理だから。
その集団内の正義にのっとって犠牲にされちゃう側にだって、宇宙の可能性のひとつを作り上げる権利はあるんだから、それを妨害するのは、その人にとっては犯罪となる…
我ながら、これ行きすぎるのはヤバいと思う(自由にさせようと思うと放任しかなくなる)から、確かにそれはそれでどうかと思う
ここで話したのは極論であって、実際はその場に応じた判断をするよ。
INFPが生きにくいなんてこと分かってる。
でも、人間として生まれて、能うかぎりの人間としての誠実さをもって生きようとしたときに、こんなふうに生きることしか選びようがないんだよなあ。
こんなふうに少しの矛盾でも欺瞞だと認識して自然に避けようとしてしまうんだからなあ。
大学生のころ、私がゼミでなにげなく、
「殺人犯を死刑にするのって、その殺人犯と同じことやってるよね?同じことしたら、こっちも殺人犯になっちゃうのにね〜」と言ったら、
隣にいた子に、「え?アナタは殺人犯の人権認める派なの?」と眉を顰めながら言われて
「私なんか変なこと言った⁉️てゆーか「派」って何?みんなそれ疑問じゃないの?」
と思った。
その場にいたフランス人の先生は私の言ってる本当の意味分かってくれたみたいだった。(日本に来る外国の人は言語じゃなくて空気で本質察するの上手い人多い)
私は殺人犯のした事を認めたわけじゃないけど、
誰かを断罪すると、断罪した方も断罪されうるのに、それでいいのかな?
ってことが言いたかったんだけど、これが伝わる人と伝わらない人がいるんだと思った。
果たして、その隣の子がINFJだったのかは知らんけど。
世の中の法律なんかよりずっと根元にある宇宙的な秩序みたいなものにより、
殺人者は人を殺した時点ですでに罰されている。
敏感な人は、法律上は無実になったとて、
存在そのものに降りかかる「罰」からは誰一人逃れていないことに気づいていると思う。
自分の世界の中にあるものを害すと、自分自体も同時に害されている…
エネルギーに敏感な人は、それを即座に感じ取るだろう。
(ブッダが蚊を殺さなかったのはその理由ではないか?と思う。極限まで研ぎ出したら、蚊を損なうここですら自分の世界を即座に害される感覚が、肌感覚で迫るからだ。)
なのに、殺人者をまた殺人する、という穢れをダブルで引き受け続ける「社会」側…
それが謎なのだ。
これ続けていくと、そのうち
何をしているのか?何がしたいのか?自体、
よくわからなくなってくるのではないだろうか?
正義か?or悪か?
ではなく、
世界を欠けさせないか?or否か?
に秤を置かないと、
本来的な意味で人間を裁くことにはならないと思う。
その視点から見ると、
他人は自分を裁いたりなどしてくれない。
そんなに甘いものではない。
ってわかるだろう。
その本当の厳しさを見た時、誰一人として故意に人殺しなんかできなくなると思う。
死刑なんか無くせばいい
っていうのは可哀想とかいう甘い理由じゃなく、
自分の罪は自分だけで贖わせたらいいよ。
社会まで一緒に殺人者に堕ちてあげるような
「過剰サービス」してやる必要ないよ。
だれも一緒の地点に堕ちてこないと悟ることが、
人間にとって何よりキツい罰なんだから、
安易に甘やかしてんじゃねーよ
という、
この上なく厳しく突き放した視点からだ。
文さんは「INFPは自分のことをブランドみたいにとらえて大切にしてる」
と言うが、
INFPは自分のことだけじゃなくて、すべての人間のことをそれぞれ個々のブランドだと思って尊重すべきだと思ってるよ。
みんな違ってみんな良いと思ってる。
にしても、そんなふうに、
他人に対して、わざわざ
「自分をブランド品みたいに大切に思ってる」
と言う心理って何なんだろう?
だって、自分を唯一無二の存在として大切に思うのなんて、全ての人間にとって当然のことだし、
本来、祝福する類のことのはず。
なのに、なんで…?
その言葉に
「私は自分を大切にするのも忘れるくらい、こんなに周りに合わせて無個性になってあげてるのに」
という逆の意味が浮き彫りになっているような感触がある(のは穿ちすぎか?)
まあこの手のセリフはINFPに対してやたらコメントつけてくる系のINFJの定型句だろうと思うが、
私は逆に、
他人から「周りに合わせて自分を殺している様子」を見せつけられる方が、よほど拷問だ。
そんな我慢をしてくれなんて誰も頼んでないから辞めてくれって思う。
自己を軽々に犠牲にしてくる人に限って、後から他人を恨みがちな傾向にあるだろう。
後から恨み言を言ってくるくらいなら、最初からしてくれなくていいのにって思う。
嫌々やってたのか?と思わせられることほど、
相手にとって辛いことはない。
そんな心理的負担を強いる親切は、果たして親切と呼べるのか…?
周りのために自分を犠牲にしたがる人って、確かに親切かもしれないんだけども、
その分、
他人に対しても無理な自己犠牲をすることをナチュラルに要求しがちじゃないか?
あのマイルド軍国主義みたいな思考が怖いって思う。
「自分を大切にしないで他人を大切にする」
なんて綺麗なことを口でいくら言おうとも、
実際のところ、
「自分を大切にできない人には、他人を大切にする仕方すら分かりっこない」のだ。
そっち系思考で生きてると、自分視点で「報われた」と思えない限り、他人を突き回しがちにエスカレートして
「私がこんなに自分を殺してるんだから、
あなたも同じくらい自分を殺してくれなきゃダメよ(脅)」みたいな雰囲気まで出してくるやん?
怖いっちゅーねん‼️
そんなこと言うくらいなら、
「私は好きにするからさ、あなたも好きにしたらいいよ」
ってのが、まだフェアじゃないのか?
INFJさん目線ではエゴなのかもしれんけど(?)
私は、全ての人に、
「私は私という特別ブランドだよ‼️」
って堂々言って、
自分の好きなことしてて欲しいよ。
誰も、自分のカラーを染め替えたりしなくていいって曇りなく思って、生き生きと個性を伸ばしてほしい。
そして、そのことこそが、私にとっても救いになるから
文さんは、また、
INFPは自己啓発より他愛のない会話を好むとか言ってるんだが、
大筋では合ってるが、この文章が示してるニュアンスの中に、少し誤解があると思った。
INFPは他愛のなさげな会話をしながら相手の言外のサインや感情の発され方などの細かい情報を拾い上げて、そこからその人の人生観や心の中の徳の高さを読み解き、そこに啓発されるんだと思う。
所謂「自己啓発」が嫌いというのはその通りだと思うが、
この人がいうように、かったるいとか、劣等感が刺激されるからという理由ではなくて(INFP舐められすぎてて草)
自己を啓発できるのは、自己しかないと確信してるからだと思う。
啓発のヒントは、日常のどこにでも転がってて、その隠されたヒントに気づくことができるかどうかを試されてる。
真実は自分の中から自分で探したい。
ちゃんと自分自身で導き出したたことしか、真実じゃない。
わざわざ「自己啓発」だなんて銘打って語られる、おあつらえ向きの「啓発」なんて、所詮借り物だと思う。
啓発のヒントになる情報なら積極的に取りにいきたい。だけど、どう料理するかは自分で決めたい。
誰かが組み上げたジグソーパズルいらない。自分でやらせろ!的な
(「啓発」ときいて避けちゃうのは、INFPはそんな感じの「他人に影響与えたいだけの人」に近づかれやすい性質上、距離とるしかないと思ってるのも理由ではないかな?)
あと、
無駄っぽく思えるのかもしれないけど
「雑談を気持ちよくできる」っていうのは、人の品性が一番顕わになると思う。
実は、人の本性って、なんならちゃんと文章になってないくらいの本当に何気ない一言のほうに如実に現れてくる。
その文明的に構築された文章の文脈からは外れた「なにげない言葉」を発する際にどれだけ純粋なエネルギーと空気を言葉に纏わせることができてるのか?
っていうところを、私は一番その人の「本質」部分だと思って注意深く観察してるよ。
言葉を発しながら、言葉を受けながら、
しかし、その背後にあるものを見る感受性と察知能力こそ、本当の意味での高度な人間関係構築のために必要なことだと思ってる。
「良い雑談」とは、いわば、
「場」の調整
だ。
たとえば、神社に生えてる木々は、
何も「啓蒙」じみたことを喋ったりしないのに、
その辺の小難しい理屈ばっかこねてる小汚い人間(もちろん私も含むw)
なんかより、
よほど人間の意識を引き上げるだろう。
あんなイメージ。
INFPの人って、
人間同志の論理ゲームとか正直どうでもよくて、
実は、何を言わなくても何か癒してくる木みたいな、
あんな領域をリスペクトしてるんだと思う。
その言語を超えたリスペクトを交換しあえることが、「人間関係」の根幹だと思う。
それさえあれば、
脳だけでこねくり回したチャチな啓蒙も啓発も、
本来は不必要なものだと感じる…
「啓発」を何と看做すか?が別なだけで、
決して自己を啓発したくないわけではないんだが…
(前述のとおり、雑談こそ啓発かもしれないから)
という点を
INFPの立場から訂正させてもらいたい
学校でも家庭でも愚行としか思えないくせ無駄に強大な多数派の力をもつ何かに、暴力とか分かりやすい権利剥奪とかの手段で常に黙殺させ続けられてきた経験から、メインストリーム的なものへの懐疑がすごい私個人の偏見かもしれんけど
極端な話、多数派をなせば悪でも正義ヅラできる現場を私は今まで何度も見てきた。
声が小さくて集団で浮きがちな人間は、そこから離れることでしか身を守れないから、集団としてカウントされないところに知らないうちに追いやられる。で、その集団はそもそもそうした弱者を数に入れていないのに「総意」と主張する…
群れたがる人の深層心理について、少し考えた方がいい。
まとめると、
言語化なり、集団形成なり、体系化なり、何らかの括りや囲い込みを行ったとして、それらは完璧ではなく、常に漏れ出づる何かは存在する。
そして、そこにむしろ本質が隠れてる可能性すら否定できないことを、忘れてはいけないと思う。
言語化によって拾いきれなかったイメージ
形成された集団からあぶれてはいるが、だからこそ集団化の原理自体に疑問符を投げかけられる人々
正統派が何か決めるために便宜上異端の烙印を押された、そのものの可能性を広げてくれたはずの数多のバリエーション…など
挙げたらキリがない。
だから、すぐに世界を解った気になってはいけない。一方的な視点で括ってはいけない。それは傲慢な行為だよ。
もっと先入観なく、まっさらな、謙虚な心で世界とは向き合わないと、世界や他人に対して失礼になってしまう。
完成された思想にもノスタルジーに似た憧れは抱くけども、世界には、実はもっと外側にギアがある気がする。
世界から自分を捕捉されないために、私も世界を縛らない。
私は他人や世界を規定しない代わりに、世界や他人からも私を規定されたくない。
だから自分の立ち位置や視点をその場ごとに変えて、世界から自分の実態を捕捉されないようにミスディレクションさせ続け、影踏み鬼に影踏まれないようにしてるのかもね。
いつだって無限に開かれた可能性の幅こそ自由
自由こそ、人間の人間たる所以であるところの、世界へのアクセス権だから、何より尊いものだよ。
他人という名の独立した世界がもつアクセス権にもズカズカ土足で踏み込まないのが礼儀だと思う。これを侵すことが何より罪深いことだ。
だから他人や世界を一方的な眼差しで捉えた気になってはダメだよ。それをすると、自分も閉じ込められちゃう。
そんなの人間らしくいられないじゃん。
INFJから見たINFPというINFJのこの人の見方について、なんか誤解も多々あると思ったし、一方的でフェアじゃないと思ったので、私はINFP側の観点から説明しなおしてみた。
まあ、前述のとおり、おそらく世界観の前提からして違うので、誤解が生じるのも仕方ないのかもしれない…😅
INFJの人がYouTubeで人権侵害的なレベルでINFPやISFPの人を叩いてる動画もあったけど酷いと思った。
おそらく、INFPってサンドバッグにさせやすく、叩きやすいんだと思う。(基本スルーするだけで言い返したりしないから)
現代は、コンプラうるさい時代だから、何しても黙ったままでいてくれそうな人を虐めて憂さ晴らしする人もいる。
特にINFJ男性だと、肉体的アドバンテージなどの男性性(攻撃性)を実社会でストレートに出せずに抑圧してしまうのかもしれない。
それで、抑えきれないテストステロンが暴発してネットで人権侵害に走っているのかもしれない
男の人もホルモンに振り回されてそうで大変なんだな…と思った。
現代社会では、その攻撃的本能は、戦争やスポーツなどの特殊な環境下以外の普通の社会生活では、不適切な行動と見なされるだろう。
ならば社会に合わせてテストステロンも抑制されたら良さそうなものだが、男性には原始時代と同じ局部が付いているので、社会と生物特性とがズレるのかもしれない。
それは、思えば残酷な話なのだろう。
邪気が溜まってる時に、
自分しか自分を見ない領域に逃げ込み他者からの視点の追手を完全断捨離して自己回復しようとするのか?
(この人たちみたいに)
普段なりをひそめた排他性暴走のタガを外すことで行き過ぎた全体性への埋没回避を図ろうとするのか?
という面も、両者の違いなのかもしれない😅
(どちらが良い悪いとかではない)
あくまで個人的感覚だが、
ネット上のINFJの一部の人が、
「他人のために自分を犠牲にして苦しんでます私」
みたいなことを語っている様子に恐怖を感じるのだ。
当人たちは、それがさも美徳みたいな感覚で言ってるが、
自然体で他人を思える人は、わざわざそこをアピールしないはずなので、
アピールするのは、何らかの見返りを求めているからなんじゃないか?と思ってしまうのだ。
実際その手のアピールする人は、経験上、以下のような手口をやってきがちだったからだ。
【自己犠牲アピールする人の手口】
①「あなたは他人のことより自分のことを考えているのですか?悪い子ですね〜👿」
と、相手の罪悪感を煽る
②わたしはあなたとちがって他人のことを優先できる善い人ですよ〜👼
私のようになれば、あなたも悪い子ではなくなりますよ〜?という
③相手の行動に対し
たびたび「うーん、ちがうかな〜、あなた、まだ自分のことを考えてるかな〜自分勝手な悪い子👿だな〜?もう一度、私のいうとおりにやってみよ?」
と何度も否定し、揺さぶりをかける。
③何度も否定された相手は精神ボロボロになり、次第に無気力になる。そうなれば完了。
洗脳術者は無気力になった相手を自分の望む方向に操縦する👼
以上
「社会のため、他人のためになることをしよう?」👼
といいながら罪悪感を植え付ける手法で他人を操縦できてしまった人は、何度も平気で用いてくる。
なぜなら、やられてる側が、その悪意に気づきづらいからだ。
客観的に書いてみたらヤバい手法だが、一見、悪人には見えづらい。
この手法では、洗脳術者自身は汚れ役にならずに済むためだ。
予め「自己犠牲」をアピールすることで、
「自己犠牲を否定する人は「エゴイスト」として断罪されるべき」
という集団心理を利用して自分を守りながら攻撃しているためだ。
日本人は自己犠牲が美徳だという洗脳が国民全体にすでにマイルドにかかっているため、
この支配手法は社会に広く跋扈してると思う。
INFPはすぐ人を信じるアホの子すぎて(?)この手法で犠牲になりやすいから、もはや本能で避ける。
愛の仮面をかぶりながら近づいてくる支配から逃れるために、心の中に不可侵なまでの真正領域を保とうとするのかもしれない…?
私は、INFJがこの手法の常習犯だと言ってるわけではない。
INFJはINFPの「他人のため」を優先しない態度を批判しがちだけど、
INFPが安易に「他人のため」というワードを使えないのもまた、ちゃんと他人を想ってのことなのだと、わかって欲しくて、この話をしてるのだ。
「他人のため」っていう言葉を免罪符にして、他人を縛りたくないんだよ。
それで、縛られた過去があるから。
だから、
安易に責めないでほしぃ
ほんとの意味で「相手のため」を考える人は、
何が「相手のため」になるかを自分視点で決めつけたりして来ない。
だから、
「相手のためにやってます」なんてワード選び、そもそもしない(できない)と思う。
だが、多分ここは、平行線だ。
逆もまた、たぶん、真実なのだ。
これが他人のためになるはずなのだとアタリを付けるからこそできる行動もあり、
それを必要としている人も、広い世界には当然いるのだろう…
このように、
限りなく近くに近接してはいるものの、
近接しながら真逆の方向性に根ざしている両者。
だからこそ、
どう努力しても「断絶した繋がり」みたいな矛盾が生じるもどかしさ。
INFPとINFJが互いに感じているのは、おそらくそんな感覚が近いんだと思った。
同じN型(直観型)とはいえ、おそらくINFPの「直観」とINFJの「直観」は、実は全く別物なんだと思う。
こちらにとっての愛はあちらにとっての不安
こちらにとっての不安があちらにとっては愛
そのくらい、多分、目には見えない根っこ部分が違う。
しかし結局のところは、これさえもただの相対的水かけ論であり、世界の絶対値に迫れるものなどではないんだろう。
一点透視図法で概念的モチーフの具現化を果たした崇高で正統派な宗教画か、
ピカソみたいに多面的な視覚を融合させた絵画の概念問い直す系問題作か、
的な違いはあれど、どちらも素晴らしい絵画には違いないんだし、世界自体は多分どちらも等しく肯定してる。
所詮あなたの言う「客観性」なんて、限られた額縁の中での遠近法みたいな虚構でしょ?その額縁まどろっこしいのよ!
なんてコチラが言い出すより先に、すでに
あちらは、こちらが知らないうちに王女の瞳の中に王と王妃を描き込んでいて、その遠近法的手法でしか出来ない「次元の上げ方」をしている…みたいな
INFPとINFJの、ポジとネガが反転している、とは、例えばこんな感じなんだと思う。
どちらが正しい正しくないとかいう以前に、
ただ「反転している」それだけ。みたいな感じ(?)
ほんとうに、どちらが正しいとかではないと思う。
INFPの個人主義をエゴだと決めつける人に、ある共通の誤解が存在してると思う。
「集団から離れようとする者=他人より自分を優先する奴」
という決めつけに基づく誤解である。
そのような人は、
集団=統合
個人=分離
という単純な構造論に陥っている。
私からみたら、それ180度逆だ。
INFPは確かに自分の心の声に従って判断するが、心には既に「統合」が「前提」としてある。
要するに、
「人は皆、心の根っこでは繋がっているから、人と繋がるために、自分の心に問いかけようよ」
ってことなんだよ。
こちら視点からみると、
社会を成さないと統合に向かえないという考えは、その人個人としては無意識下で「分離していたい」って思ってるように見える。
そんな人たちにとっては、社会の方を統合と見なすためには、個人は力のない単一的エゴである方が都合がいいんだろう。
孤独にならないように群れる合理的な理由を見つけるために、根っこでは既に繋がっているという意識を捨てたがってるように見える。
すでに繋がってる確信(本当の意味でのコミュニティ意識)があるから、安心して自他の個人主義を受け入れられるのに、
これ「社会の形成こそコミュニティ意識の形成だ」というを信仰を持ちたがる大半の人には伝わらないんだろうね。
なんでも目に見える物的な形にしないと存在したことにならないと思う人間らしい考え方だ。
デザインしないと現れないのに、
現れたものからデザインされてしまうんだね。
それだと反転して変質すると思う。
もちろん、この「心の中のコミュニティ意識=現実社会」が実現したら、それが一番理想なのはいうまでもないけど、
今の世界のままでは難しいから、せめて心の平安を守りたいと思ってるだけ。
本当にあなた方がいう通りに、社会側がイコール善なら、なんで今こんな社会なんだろ?
破綻したシステムに人間性が押しつぶされている事実から目を背けているだけではないだろうか?
社会的集団は、ルールと秩序の産物なので、
「ルール・秩序を重視しない」から、一足飛びに「それは犯罪的な悪人だ」みたいに論理飛躍しているような見方をしがちな人いる。
けど、
秩序やルールを守らないと、人としてあるべき倫理まで守れないのかな?
違うじゃん。人間にはもともと良心や自律がある。
ゆえに、ルールでガチガチに縛ることは、逆効果なことがある。
ルールで無理矢理既定路線を作らないからこそ、その都度その都度、何が一番優しい行為か、考えられるって面もあるでしょう?
まさにその自律と良心こそ、人間の美点たる一番の資質だと、INFPの人は信じてる面大きいと思うし、INFPの得意分野だと思う。
それが、爬虫類脳も哺乳類脳も超越した、進化論なんか関係ない、人間だけの「人間脳」であり、
その超越こそ、人間の本質たる神性です。
現に、全ての人間に自律と良心が備われば、ルールや秩序なんかで強制しなくても平和なはず。
神性と、真の社会性とは、矛盾しない。
本来、共存すべきもののはずだ。
だから、
ルールや秩序を優先しない人に対して、十把一絡げに悪人みたいな印象与えるのは間違ってる。
善や美はわざわざ外に求めなくても自分の中を問えばおのずと分かることなのに、なんでその判断を自分の外に外部委託しないといけないのだろう?って本当に不思議なんだ。
倫理とか神性とかの、人間が感知しうる中での至高の「価値」については、世界の外側に共通する言葉では言語化できない以上、自分の内部(世界の内側)を観るしかない。
だから、見てる(聞こえてる)だけ。
そしてそれは硬直的な人間界のルールとは矛盾するから、その時々で自分の心の中の声を優先せざるをえなくなるだけ。
それは、罪なんですか?
なんで、それをそんなに世界は恐れるの?
もしかして、自分が幸せになったら、他人は不幸せになるとでも思っているの?
だから、自分が幸せになろうとする人が許せないの?人の幸せを奪ってる…?
それ、違うと思う。
自分も他人も幸せになれる道があるって信じることが、一番みんな幸せになると思っている。
幸せは、奪い合う有限なものではなく、いつでも、いくらでも、生み出せるはず。
それを自ら体現してみせることが、つまり、愛ってことでしょ?
(※言葉とは不自由なもので、この手の説明はどうしても語彙が宗教言語と被るが、ここで私がいう神性も愛も宗教的文脈とは全く無関係です。😅私は何教信者でもないです(というかどちらかと言うとアンチ宗教))
自分に必要な分の愛は、自分自身で自分の中から精製したらいい。
たくさん生み出す努力をして、もし余剰が生み出せたら、他の人に分け与えたらいい。
みんながそうできたら、きっと誰も悲しくならないはず。
なのに、こちらをやたら「ギブ」しない「テイカー」扱いしてくるのは、違くない?
自給自足できるはずのものまでギブだのテイクだのしたくないだけなんだよ。
それ、「依存」の元になるだけだから。
自分の中に、枯れない泉が湧き出てて、必要な愛全てあるから、そこから供給しようと思う。
私は、自分の中の無限の泉が枯れ気味になると、自分を狭く捉えてしまうから、他人のことも狭く見積もってしまい、
他人を狭く見積もると、自分の視野も余計狭くなってて、それに気づかないまま行動するから、他人から見てその行為が押し付けになる場合がある。
だから、
決めつけや押し付けを回避するために、まず他人を狭く低く見積もるのやめたらいい。
もっと他人って広くて重くて未知のはず。
そう思っていれば、それを尊重して、自由にさせてあげられると思う。
そしてそれが、まわりまわって自分の泉を枯らさないコツでもあると思ってる。
「私は社会を愛してる」と言って、
自分の好きにするより社会(集団的無意識)に合わせたいと思えるほどに社会に賭けられるのは、確かにすごいことなんだろう。
でも、そのように語られる「社会」なるものに対して、心の中で警鐘が鳴りだす。
社会側に希望を押し付けすぎている。
まるで宗教の神にすがる信者みたいな…
安易に自分以外の何かに託してしまうことによって、何か、純度が落ちている。
自分の人生に対して当事者意識を待つことから逃げるために「社会」を隠れ蓑に使ってるように見える。
まるで
真っ直ぐな背もたれにもたれながら
「私は背筋まっすぐです(キリッ✨)」
って言ってるみたいだ。
その背もたれが無くなった時、
あなた自身の背筋はどうなってしまうの?
背もたれに頼っていた分、自分の力で立とうとする自立筋は退化しちゃってんじゃねーの?
他人を勝手に自己中呼ばわりする前に、
まずはその背もたれから腰あげて
自分の自立筋で、
自分の二本足で立ってみたらいいじゃんか。
そしたら、まるで自己中みたいに見えてた対象でも、
「背もたれ無しで歩いたら、人間って、そんな感じになるんだろうなw」
くらいに思えてきて(?)
叩きたくなる気持ちを少しは和げてくれるんじゃないかな?
などと希望を持ってみたりした…
(しかし、背もたれにもたれられないのも、それはそれで弊害あるだろうから(遊離物質の刑に処され続けるw)どっちが正しいなんて言いたいワケじゃない)
少なくとも私は、
借り物の価値の上にのさばってたら、心の方はどんなに取り繕ってもどんどん薄汚くなってしまうって思う。
そこは本来、人間として一番手を抜いてはいけないところだって思ってる。
社会にもたれかかることと協調性とは、別のことだから。
自分の好きにすることがいつも幸せってわけではない。
逆にそれが辛いこともある。
自分だけ楽してるワケじゃない。
INFPの人は、あまり自分を外に出さないから、他人が観察してるのはその人の氷山の一角のそのまた一角にすぎないと思う。
そのような人生観に至るには、たくさんの知られざる紆余曲折があったと思う。
例えば45度の角度で切りたった雪山を一人で降っていくような孤独と覚悟が背後にある。
いつか雲間から光が差すと信じて、吹雪を一人、道なき道をひたすら進んでる…みたいな厳しさに直面してる
自分の拾える範囲の幸せを落穂拾いみたいに拾いあつめてる民のことは、そっとしておいてほしい。
いろんな気持ちを押し込めて、精一杯の勇気をもって、やっとこさ笑ってるのに、その、なけなしの笑顔さえ非難されるのは悲しい
その人の視点(主観)は、その人の「存在そのもの」みたいなもの。
人の視点の数だけ、世界がちゃんと存在している
(世界ありきの個々人ではなく、個々人ありきの世界)
その多元世界は、バラバラに見えて根っこではちゃんと繋がってるよ、みんなが自分なんだよ、って信じて、
みんなが望むことを自分の自由意志にできる日が、いつか来る。
いつか、みんなが自由とコミュニティとの共存を同時に実現できると思う。
そして、その理想社会の芽は、おそらく心の中にある。
だからこそ、今の世界では、自分の心を大切に生きようよ!
って思うのだ。
結局のところ、
どちらが正しいとかではなく、単に好みの問題だ。
あざなえる縄のごとく折り重なって世界は発展できるんだ。
だから、
ラーメンは塩か味噌か?
くらいの気軽さで論じようぜ⭐️
ちなみにラーメンは塩派です
トッピングはメンマ一択、薬味は白胡椒オンリー
と、…自分で書いといてなんだけど、
頭おかしいほどの長文かよ
私がおかしいだけなので、INFP全体に汚名着せないでください‼️
話長すぎて自分でもドン引きなんだが。
わかってくれる人いたら、
うれしい