さて、今年初めてのブログを書こう!!
2020年から、コロナ問題を中心にして時事問題を多く、ブログで取り上げてきた。
世の中の矛盾を指摘して、コロナを口実に裏で世界規模に進められている邪悪な計画を多くの人に気づいて欲しかったからだ。
今年からは、ブログの趣向を変えようと思っている。
いままでにない視点を取り入れようと、あれこれ考えているうちに、今年最初のブログが、こんなに遅くなってしまった。
長い間、憂慮していた、ディープステートが進めてきた邪悪な計画は、すでに白日の下にさらされている。
この邪悪な計画は、計画の本当の目的がバレてしまえば、実現はできまい。
いまだその計画は推進中ではあるが、明らかにこの邪悪な計画を推進する力は大幅に弱まっている。
(邪悪な計画とは新世界秩序のことだが、何のことかわからない人は、本題と深く関わる部分ではないので、読みとばしてかまわない。)
もちろん、僕は、パンデミック条約や、コロナワクチン接種や、緊急事態宣言を含む憲法改正に反対の立場はとり続ける。だが、これからは新しい時代に目を向けることの方に、より比重を置く事にする。
本題に入る。
是非とも見てほしい、ドキュメンタリー映画がある。
「モンテッソーリ こどもの家」
今日のブログの目的は、この映画を一人でも多くの人に見てもらうことだ。
僕はこの4年間ずっと疑問に思ってきた。
なぜ多くの人が、メディアの報道に疑問を持たないのか?
政治によって、明らかに自分たちに不利益がもたらされているのに・・・・
不利益どころか、甚大な被害を被っているのに・・・
なぜそのことに関心すら持とうとしないのか?
それがずっと疑問で、考えても考えても答えが出てこなかった。
ただ、
きっと僕らが受けてきた教育のあり方に、何か問題があるに違いない。
という気はした。
日本の教育が日本人をダメにした。
日本の教育の何が問題なのか・・・それを考えていて、はたと思いあたったのが、子供の自律心を育てることに重点を置いたモンテッソーリ教育だ。(僕は一昨年、反コロナで活動してる仲間から、モンテッソーリという言葉を初めて聞いた。彼女は保育園で働きながら、モンテッソーリ教育を学ぶ学校へ通っていた。)
あらためて、僕はモンテッソーリ教育を解説する本を読み、この「モンテッソーリ 子どもの家」という映画を見た。そうして、モンテッソーリ教育が何であるかを知っていくうちに、ここに答えがあるのではないかという気がしてきた。
その時、ふと思い出したのは、心理学者エーリッヒ・フロムが著した「自由からの逃走」という本だ。
この本の題名は、この本の主旨を一言で言い表している。
人は自由に耐えられず、自由から逃げ出して、独裁体制の元に置かれることを望むと言うのだ。
自由から逃げ出すとは、奇妙な話だ。
自分が望むことを自分で選び、自分で判断し、自分で実行し、その結果は自分で責任を取った方が楽しいに決まっている。自分が望まないことを権力者に強いられることは苦痛以外の何ものでもない。
だが、よく考えてみよう。
自分で選び、自分で判断し、自分で実行し、自分で責任を取るとはどういうことか?
他人にただ従うだけなら簡単だ。
或いは、ただ従うのではないにしても、他人の意見に乗るだけというのも簡単だ。
実際、テレビのコメンテーターや批評家の意見に乗るだけの人は多い。
こういう人は自分で考えて、是か非かを判断してはいない。
あなたの周りにも他人の受け売りだけでしゃべる人が多くはないか?
憲法を改正すべきと主張している人と話をしてみると、その人は憲法改正草案を一度も読んでいなかったり、改正草案の中身を全く理解していなかったりするケースがある。
おそらく、そういう人は、正論とかWillとかHanadaなどの保守系雑誌を読んで、そこに書かれた主張に乗っかっているだけなのだ。もちろん、それなりに納得し、乗っかった理由が自分の中にあるのだろうが、主体性が弱い。憲法改正問題を改正すべきかすべきでないかの二択でしかないかのように、あまりに単純に考えている人もいる。普通に考えて、改正すべきかすべきでないかは、改正される憲法の条文の中身によるだろう。
自分で判断するなら、一切、知識人や学者の意見も見解も聞かず、一切の先入観を廃して、改正草案だけを熟読して、この改正草案を通すべきか否かを自分で考えてみればいい。
他人の意見に乗っかるだけと比べて、自分で考えることは、はるかに労力がいる。他人の意見に乗っかるだけの人は、その労力に耐えられずに自分で判断するという自由を投げ出すだろう。
自由であることは、そんなに困難なものなのか。
とは考えないでほしい。
自由であることが困難なのではなく、
日本人は自由を抑圧するような教育を受けて育ってしまったのではないか。
僕はそう考えている。
子供を教育するというと、日本では、一般的に厳しくしつけなければならないと考えられている。
子どもはわがままで、怠けもので、しっかりしつけないとまともな大人になれないからと。
モンテッソーリ教育は、それとは真逆の教育方針を取っている。
それは、子どもが自ら学び、自分で育つ力を信じる教育と言える。
子どもはエネルギッシュであり、この世界に対する好奇心が内に漲っていて、学んで身につけようとする強い意志があり、自分のやりたいと思ったことは、何でもやろうとする意欲に満ちている。
モンテッソーリ教育は、そうした子どもに主導権を与え、子どもの意欲に答えられる環境を整え、教育者はあくまで受け身で、子どもの知りたい、やりたいという思いをサポートすることに徹している。
そのことが子どもの自律心を育てると信じているのだ。
日本の教育は、子供のそうした自然な衝動を潰してきたのではないか?
教育の主導権は、教育者の方にあり、教育のカリキュラムに子供を従わせている。
子どもは何もわかっていないのだから、大人が何から何まで導いてやらなくてはならないと。
本来、子どもは自分のことは自分で決めたいのだ。
自分のことは自分でやりたいのだ。
その思いに答えずに、画一的に教育カリキュラムに従わせた結果が、今の日本人の有り様なのかもしれない。
その結果が、従うことに慣れてしまって、
「自分のことは自分で決めたい」が、「自分ではなくて、誰かに決めてほしい」になった。
自分で選ぶのではなくて、誰かに選んでほしい。
自分で判断するのではなくて、誰かに判断してほしい。
言われた通りにやっている方が楽だと。
自分がやりたいことも、何だかわからなくなってしまったと。
今こそ、自由の意味を今一度深く考え直すべき時かもしれない。
是非、「モンテッソーリ 子どもの家」を見てほしい。
YouTubeでも、400円で見ることが出来る。
参考動画
○書き手紹介
吉井豪
1979年生まれ。群馬県高崎市出身。
東京在住
小説家
趣味は海外旅行
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