「自主性・自立」と、「信用」。 | 沖縄で「売れる仕組み」を創るパンクバンド「ザ・電撃パンクゾンビーズ 〜シビれるロケンローマーケティング野郎〜」ロケンローブログ。

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さて


ブログテーマを募集しましたところ

いくつかいただきまして。



今日は
「自主性・自立」について。



とりあえず言葉の定義はこれ。

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(「コトバンク」より)



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(「コトバンク」より)





まずは「自立」から。



「自立」って、イメージ的に
「誰にも頼らないで生きていく事が出来る」
ってイメージありませんか?



仕事もして収入も得て
誰にも頼らずに生きていける。的な。


でも


私思うんですけど
「自立」って
「誰にも頼らないで生きていく」ってことではなく。



むしろ逆で。


「正しい頼り方」を覚える事だと
思います。



というか
「誰にも頼らない」なんて無理。
完全に1人で生活が成立してる人なんて
ほとんど居ない。




仕事だって
「外注」したりするでしょ。



それは「頼る」ってことでしょ。
正しく対価を払って「頼る」。


頼む。
頼る。
頼るってこと。



「自立」するには
「自分が出来ること」と
「自分が今は出来ないこと」の
区別がつくことが出来ればいいと思う。





逆に自立してないと
「正しく頼る」ってことが出来ない。

「自立」の反対には
「依存」がある。



これは
「親のすねかじり」だけでなく
人を支配しようとする事象も入る。



例えば
対価を払わずに
「時間」や「価値」を
奪おうとしたりすること。


親だったり
ブラックな取引先だったり。


そういった人たちは
「自立」をしていない。






あとは
一見自立してるように見えても
全部自分でやろうとしてる人も
「自立していない」。


正しく頼れず
全部自分でやろうとしたりするってのは


「自分で出来ない事」も
自分でやろうとしたりする。


そして
パンクしたりする。


または

人の価値を奪って
無理やり自分の居場所を作ったりする。



それは
従属ありきなので
「自立」とは呼べない。





「自立」するには
「自分の出来ない事」を受け入れて
「正しく頼る」ってことをすること。


そのかわり
「自分が出来る事」は
ちゃんと、やる。


それが「自立する」ってこと。





「自分が出来る事」もせずに
「自分が出来ない事」をしようとしてもいけない。


出来ない事をしてもらうために
自分の出来る事をする。


それが「自立」。





次に「自主性」。

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似た言葉に
「主体性」ってのがある。
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「自主性」と「主体性」の違いは
「自分の意志」があるかどうか。





例えば
「自主性」は
「自分の意志」が無くてもいい。


「朝は掃除をする」って決まりがあれば
「他の人から言われる前に」
「自分の判断」でやるってこと。



「主体性」はそれだけではいけない。
「自分の判断」と
「自分の意志」が無ければいけない。



「掃除をやる事」に
「自分の意志」を通わせる。

本当に、やるべきだと思ってるかどうか。



そのルール自体から考える。
やりたいかどうか。






私が商工会にいたとき
Facebookの非公開グループで
「青年部通信」というのをやっていました。


売上が上がりそうな情報を
ほぼ毎日発信してた。




それは
「主体性」だったと思う。


決められたルールではなかったし
「やりたい」と思ってたし。

誰かに言われたからやったわけでも
なかったし。




まぁ「主体性」がよくて
「自主性」が悪いと言うわけではないと思う。


経験が浅いうちは
「やりたくないという意志」が
幅を狭めることもあると思うから。





「自主性」が大事な場面もある。




場面による。








あ、あと一つ
「信用」というテーマもあった。


「魔法のコンパス」という本で
「お金は信用が目の見えるかたちになったもの」的な書かれ方をしていた。





そうだと思う。




例えば
私は最近
「これ欲しい。けど今振込出来ないから
後でちょうだい」という場面があった。





こんなメッセージが来た。


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「信用」があった。

私に対して。


めっちゃ嬉しかった。
(それは置いといて)






ここからは仮の話ですけど

仮に私に
支払うお金が無かったとしても



手に入れたコンテンツで
商売して、支払う期日までに
支払うお金が出来れば



元手なくても
お金が無くても


信用で、稼げる。




まぁ支払えなかったら
信用も無くなるけどね。







つまり
「お金」が無いなら
「信用」をたくさん作っておくといい。



「信用」をつくるには





ちょっと戻るけど
「自立」が大切だと思う。


「自分が出来ること」と
「自分が今出来ないこと」を
把握して


「正しく頼る」をして
「自分が出来る事」は、ちゃんと、やる。




そうすれば
「お金」か「信用」が出来る。




「お金」が無くても
「自立」してれば

「信用」が出来て

なんとかなる。



「自立する」には
「自分を知ること」。



自分の人生は自分で責任をもつこと。



誰のせいにもしないこと。



「自分で選択した」と
思うこと。



「自分に出来る事」と
「自分に出来ない事」がわかるには
情報にたくさん触れること。





「わからないことがわかってる」でないと
いけない。






たくさんの価値観に触れること。


たくさんのコミュニティ。


超嫌いなやつ。

好きな人たち。


憧れるひと。


理解できない価値観の人。



そういうのに
「主体性」で触れていくことかな。





「お金」が無くても
「信用」があればなんとかなる。




「信用」は
無人島で暮らしてない限り
誰でも作れる。



そしてそれは
やがて「お金」になるよ。




あなたがちゃんと
「自立」するには


「この人生は、私が、選択してきたし
これからも、私が、選択する」

って意志が必要です。



ちょっとこわいけどね。





そんな感じです。

あと気をつけるところは
「ちゃんと自立した相手」を選ばないと
「信用」が出来ない。


いいように使われてしまう。


あとは「依存」されたり。



相手にするのは
「自立」した人にした方がいい。







頂いたブログテーマ、順に書いていきます。






それを「信用」にします。