タッピーのPhoto日記

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散歩や旅行でカメラに収めた一瞬をご紹介します。

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2011.07.03 妻籠宿(長野)




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妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道69次)で、長野県木曽郡南木曽町の蘭川東岸ににあります。

中山道と飯田街道の分岐点にあり、古くから交通の要所として栄えました。

妻籠宿は大きく分けると、宿場・寺下・在郷と3つに分かれます。

宿場では、切り妻造りの木造2階建て、出入り口は平入りです。2階は出桁(だしげた)造りで張り出し、間

口の広い建物で構成されています。

寺下は光徳寺の門前町として発展し、比較的規模の小さい町屋で構成されており、在郷は農家建築と町

屋が混在しています。

明治に国道19号や鉄道などの主要交通が街道沿いから外れたために、旧中山道宿場町の町並みを今

に色濃く残ることになりました。

1976年に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、木曽路を代表する観光名所になっています。




奈良井宿を出て、このまま神戸に帰るつもりでしたが、途中、嫁の一声で、妻籠宿によることになりました。意欲もなく疲れもでてきて、パスしたかったのですが・・・。妻籠宿は、何度も来ていますが、デジタル画像がありません。ということで、納得させることに。



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やはりここも、町並にひとたび足を踏み入れると、江戸時代にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれ

ます。江戸時代の面影を色濃く残している宿場です。





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妻籠宿の中で好きな場所は、観光案内所近くの枡形です。

江戸時代のはじめに制定された宿場には、城塞の役割も持たせるために、宿場の出入口には必ず枡形

が設けられたそうです。

枡形とは、街道を2度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたもので、妻籠宿の枡形は、少し改修され

ているが当時の姿をよく伝えているそうです。

石畳と住居の取り合わせが素敵ですね。



そうそう、今回の旅の帰りは、高速道路を使わずに、すべて国道で帰ると決めています。

ということは、青森の竜飛岬から神戸まで、地道で帰るということです。

凄いでしょう。

妻籠宿を後に、岐阜、名古屋、三重、奈良、大阪、兵庫と地道を走り続けました。



2011.07.03 奈良井宿(長野)


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奈良井宿は、中山道69次の34番目の宿場です。

木曽路11宿の江戸側から2番目で、11宿の中では最も標高が高いところにあります。難所の鳥居峠を控

え、多くの旅人で栄えた宿場町で、「奈良井千軒」といわれました。

現在も宿場当時の姿をよく残した建物が街道の両側に建ち並んでいます。

建物の多くは中二階建で、勾配の緩い屋根をかけ、張り出した軒先の造りが特徴的です。

もともと屋根は石置き屋根でありましたが、今はほとんど鉄板葺きに変わっています。

二階に袖壁をもつ建物もあり、変化のある町並みをつくり出しています。

昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。



 
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前日の夕方、道の駅「奈良井」に到着。

ここで休憩をしようかと思いきや、総檜造りの太鼓橋や芝生公園はあるものの、

販売所や食事処が全くない。自販機すら無いのですよ。これ道の駅。

しかもトイレは川の向こう側。「ここでは車中泊は出来ないな。」と思って困っていると、

川の向こう岸に駐車場を見つけ、行ってみることに。

線路沿いにある数カ所の駐車スペース。ここならトイレも近いので、OKに。

お店は無いけど、ここで車中泊をすることにしました。

もう、どこでも泊まれる根性が着いてきました。

でも、ときどき嫌な雰囲気の所もあるのですよ。そんな時は、次へと移動しますが。気まま旅ですから。

途中で買ってきた惣菜と冷蔵庫の野菜などの夕食です。まぁ、慣れたら満足ですよ。




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早朝5時、起床。6時には、奈良井の町へ。

早起きするのは、人が入らない写真を撮るため。昔町を撮るときは、そうすることが多いですね。

でも、困ったことが幾つかあります。

まず、相反することだけど、店に活気がないこと。戸が閉まり、暖簾もでていない。

2つめは、車が所々に止まっていること。夜間は、家の前に車を止めるみたいです。

3つめは、資料が手に入らないこと。案内所などが閉まっているため、詳しい地図や説明無しに動くことに

なります。自分の感で撮影しています。ときどき、肝心なものを撮り漏らすこともあるけど、ずぼらな旅です

ので、仕方ないかな。(「もっと下調べしてから来いよ。」と言う声が聞こえて来そうですが)。


さすが、江戸と京の都を結ぶ中山道で、「奈良井千軒」といわれた奈良井宿ですね。

街道を行く旅人でにぎわいが伝わってきます。

杉玉を掲げた酒屋、軒灯りの旅籠、千本格子の家が軒を連ね、江戸時代の面影を色濃く残しています。

時代を超えた風格が感じられます。



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山側に6ヶ所ある水場のひとつ、下町の水場では、水をくんでいる地元の方と挨拶を交わしお話をしまし

た。奈良井の町は、江戸側から、下町・中町・上町と順に宿場が区分けされており、その要所要所に6か

所の「水場」があります。わき水をひいたもので、柄杓がそなえてあって、実際に飲むことが出来ます。「谷

深き 沢より 出ずる岩清水 のどうるほさん 旅のつかれに」(詠み人知らず)と下町の水場の裏に、句

が記されていました




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大きく町並みをさわっていないためか、問屋史料館や杉の森酒造などの大きな町屋だけでなく、間口が狭

い町屋、鍵の手になった道、水場や庚申塔、地蔵などがよく保存されています。社寺仏閣など信仰の場な

どもしっかり残されていました。




     
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特に、京風の千本格子や奈良井宿独特の鎧庇などがよかったです。鎧庇や猿頭は奈良井宿独特のもの

だそうです。鎧庇は、4~5枚の板を段状に並べ、桟木(さんぎ)によって板が押さえられています。この段

状に並べられた板々が、武者鎧の肩部分と同じように見えることから鎧庇と呼ばれ、この桟木を「猿頭」と

いいます。幾匹もの猿が、いまにも動き出しそうですね。庇をつるす金具も見事です。途中を捩って装飾に

したという工匠の枝。実に素朴で美しいです。京都の町家づくりの影響を受けたと思われる格調高い造形

の美です。さらに、この庇には実用的な面もあります。「逆さ釘」といって、猿頭の下場から打ち上げて板止

めしているそうです。泥棒がこの鎧庇に手や足を掛けようとすると、釘が抜け、庇が壊れて落ちる仕掛け

です。庇をつるす金具もやわい造りになっているそうです。昔の人の知恵ですね。



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連続テレビ小説「おひさま」の撮影が行われ、地元の皆さんがエキストラとして出演したそうです。関係の

ポスターや写真が家々に貼ってありました。



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奈良井駅の山手に八幡神社があり、階段の途中を右に折れ、その奥に、二百地蔵があります。

この仏たちは、明治期の国道開削・鉄道敷設の折に奈良井宿周辺から集められたそうです。

年代や場所、制作者が異なるため、表情に違いがあり独特な雰囲気を出しています。

ただ、地蔵様より観音様が多かったのは気になりますが。



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完全に観光化されていない奈良井宿は、生活感も感じられる好感がもてる町並みでした。

奈良井千軒とうたわれたほどの賑わいをみせた奈良井宿。

なだらかな坂に沿った町並みは、当時の様を色濃く残し、

十分に現代の旅人を古の世界に誘ってくれました。






2011.07.02 布引観音(長野)


釈尊寺は、長野県小諸市にある天台宗の寺院で、神亀元年の創建と伝えられています。

山号は布引山いいます。それよりも布引観音といわれ、信濃三十三観音霊場の第二十六番札所でもあ

ります。本尊は聖観世音菩薩です。

現在ある伽藍の多くは、小諸城主牧野周防守康明によって再建されたものです。

観音堂内にある「宮殿(くうでん)」は国の重要文化財に指定され、「白山社社殿」は県宝に指定されて

います。

た、「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地で、断崖絶壁にかかる観音堂(重文)に安置されている

のが、牛に化身して、強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音です。



「牛に引かれて善光寺参り」の説話

むかし信心のうすい老婆が住んでおりました。

ある日、千曲川で布を晒しておりますとどこからともなく一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出し

ました。老婆は驚いて、野を越え、山を越え、牛の後を追いかけました。

ふときがついてみますと信州の善光寺の境内まで来ておりました。

老婆は、やっとのことで牛に追いついたのかと思ったのもつかの間、牛は金堂あたりで、突然姿を消し

てしまったのではありませんか。驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、あっけにとられてその場にたたずんでしまいました。

日も暮れる頃、どこからともなく一条の光明がさし、その霊光の尊さに思わずひざまずいて、菩提心を起

こし一夜を金堂にこもって罪悪を詫び、家に帰ってまいりました。

ある日のこと、ふと布引山を仰ぎ見ますと、岩角にあの布が吹き付けられているではありませんか。

老婆は何とかして取り戻したいと思いましたが、断崖絶壁のことで取る術もありませんでした。

一心不乱に念じているうち、布とともに石と化してしまったということです。

この布引山の断崖には今も白く布の形をした岩肌が眺められます。

布引観音菩薩が牛に化して信心うすい老婆を、善光寺阿弥陀如来の許に導いて教化をしたのだそうで

す。

                    

この話は信濃四大伝説の一つとして今に語り伝えられています。




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参道入り口の駐車場に止め、布引観音をお参りにいきます。

ここからひたすら険しい山道を登って行く事になります。

道の途中には、滝や牛馬の形の岩、木彫り仏像など、多くの見所もあり、焦らず、足下を確かめながら

上がることですね。福島の「塔のへつり」のような岸壁が次々現れ、「へつり」を登っている感じです。

10分ほどで、仁王門が見えて来ました。雰囲気のある佇まいです。

門の上にば、崖にそびえ立つ観音堂が見え、清水寺のようにも見えました。

仁王門には、通り抜け禁止の竹の棒。その先は、草木が茂る藪でした。

昔はきっと、急な参道が観音堂へ繋がっていたのでしょう。

現在の参道は、山門を通り過ぎて石段を登る道となっています。数分登ると寺務所へ出ます。

社務所を通り過ぎ、現れたのは石の牛。そばの立て札には、「牛に引かれて善光寺参り」の説話が書

かれています。

護摩堂、白山社、太子堂を通と、岸壁をくり抜いた洞窟が現れた。きつと新参道のために彫られたのか

なと思いつつ、そこを抜けると現れたのは、閻魔様。なんと横には奪衣婆か???。

愛染明王堂の先に、観音堂が見えました。伝説の観音様が安置されています。

観音堂の岩屋内には、宮殿(くうでん)が安置されています。

観音堂の拝殿の上には、には、四つ割菱、すなわち武田菱がありました。

武田一門との関わりがあるのでしょうか。

さらに奥にも行けて、 眼下に千曲川、遠くに浅間山といった風景も見られるようですが、今回はここまで

としました。