ながらく昭和の時代に伝えられている

動植物の美談がありますよね。

 

例えば、「獅子は千尋の谷に子を落とす」というものがあって

それが昭和の根性論の定番になっておりましたね。

 

実はこれは「子殺し」という主に肉食動物の性質の1つで

ライオンだけではなく、きつねなどにもみられます。

 

一般的な多くの動物の例ですが、

発情期になったオスというものは命がけでメスを求めるものでして

そのためにあれやこれやとメスにアピールするものです。

巣をつくったり、鳴き声やダンスを披露したりしますが、

多くのオスにとって子を宿すことが生きる意味になっています。

 

その中で子連れのメスをねらうことも多くあり

子を殺してメスと交尾するという若いオスもちらほら出てきます。

子を宿すと発情しなくなるので交尾していないオスにとって

子供は邪魔ってわけなんですね。

 

で、若いオスたちは時には共謀して「子殺し」をするわけなんですが、

子供を殺されたメスはそのオスに恨みを持つ…わけではなく、

そのまま発情して交尾に応じ、なにごともなかったかのように

子を宿し、育てていくわけなんです。

 

これが「獅子は千尋の谷に子を落とす」というものの

動物側からみた「事実」でして

それを外側からみた人間たちが勝手に

想像してありがたがったわけなんですね。

 

人で言えばレイプ犯たちが子連れのお母さんをおそって

子供を殺して・・・というなかなか世紀末な修羅場なのですが

そこでそのお母さんも殺された子に目もくれず

そのままレイプ犯の子を育てていくという

なんとも違和感を感じる感じにもなりますよね。

 

つまり、動物には動物の法則があり、

人間はおいそれと勝手に情感を持つことは

しない方がいいわけなんですね。

 

面白いことに人という生物は情感という

他の生物にはない性質があり、

1つの物事に対して妄想したり自分に置き換えたりして

それを行動の種にすることができます。

 

ただ、私たちの中にも「動物的な本能」というものがあり、

社会的に見れば「悪」とされている部分の根源になります。

性欲や食欲などから執着、嫉妬と呼ばれているもの

そのすべてが「動物」としての性質に由来していますね。

 

実はこのニンゲン社会は

「感情」や「欲望」があるから苦しいのであって

これらの「情」がなくなれば、

とても効率的かつイージーに生きやすくなります。

 

結局、「動物的な本能」を「悪」として

抑えることを「善」としたことで「感情」がない方が

生きやすい社会にしてしまったわけなんですね。

 

「水清くして魚棲まず」というのは

江戸時代の松平定信の厳格な改革を指して

人々がつぶやいた言葉ですが

 

私たちの根源は「動物」であることも視野に入れつつ、

これからの社会を世紀末な修羅場にしないために

「動物的な本能」とどう向き合い、

どうそんなカタルシスを解消させていくか

ということが課題なのかなと思ってしまいますね。

 

私はそのために「みんな、あそぼうぜ!」と

声を大にして言いますし

それを私の活動の軸かなと思っていますね。

 

実はこうやってああでもないこうでもないと書くのも

私なりの「あそび」です(笑)

 

そんなわけで今日のひとりごとでした。