そういう事なのかもしれない | ゴヤぴぃ日記

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(*´∀`)ノ ゴーヤです

今日、Amazonで東日本大震災でDVDや本を検索してる時にふと思った事があります


『何で俺はこんなにも必死に刻み込もうとしてるんだろう?』


あの日からもうすぐ二年の月日が流れようとしてます


今でもYouTubeで津波の動画を時々見たり、震災を扱った番組で気になったのがあれば録画をして忘れないように脳裏に刻み込んで来ました


もちろん、あの日は夕方からの仕事だったから出勤前までテレビを見続けてモ○ゲーの日記に得た情報をあげたりしました


それでも時々考える事もありました


復興支援団体Dandeらいおんさんと関わって1年ほど経過して

それでも自分には足りない『もの』があまりにも多すぎる気がする

そう感じています


その理由というか、原点となる出来事は今まで、高校の時にJRC(青少年赤十字)部に入った事だと思ってましたが、それにしても入れ込み過ぎているのかな?と思ったりしてました


実は山形県酒田市では昔、全国から復興支援をしてもらった事があります



酒田大火

1976年10月29日 夕刻(当時6才)

当時は大火の被災地の目の前に家がありました

父親が寿司屋をやってましたが、通りを渡った直ぐ先に火元となった映画館があって幼馴染みが泣きながら家に避難してきて、その後に俺達家族も裏口から商店街に出て親戚の叔父の車で出羽大橋を越えて親戚の知人宅に避難しました

車で出羽大橋を渡ってる時、窓から見た紅い光は今でも脳裏に焼き付いてます

翌日、母と姉達と一緒に瓦礫と化した商店街を歩きました

もし、風の方向が違ってれば当時の我が家の方角も危険だったと言われてます

これだけの範囲が焼けました

赤い○が恐らくは火元で、右側の新田川で止まりました

この川が無かったら被害はもっと出たのではないか、とも言われてます

火事だと知った時、見ようとしたら母に怒鳴られたのを覚えてます(笑)

あの時は東北の近隣各県から消防が駆けつけて明け方の4時か5時くらいに鎮火という大変な火事でした

大火の後、酒田市は支援物資とかも全国から頂いたらしいです
その辺の事は何せ可愛い子供時代の事なので最近まで知るよしもなかった訳ですが
(^-^)

そんな事があったから、今こうして応援を続けてるのかな?

そんな事を思いました


応援してる割には何もできてない気もするんだけどね
(^ー^(^ー^(^ー^;




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