科学の発達とは裏腹に、

いかがでしょうか。

人間本来が持っている五感や、

そして六感もだんだん鈍くなって

来てはいないでしょうか。

 

特に近年、携帯電話などの

ITが目覚ましく発達しましたので、

このことからも大いに

観じられるのではないでしょうか。

 

例えば、風の匂い香り、

肌での温度や湿度、

鳥のさえずり、渡り鳥の訪問、

土の感触や温もり、

美しい朝陽や夕陽、

満天の星の輝き等など、

こうして挙げてみれば、

なるほどと思えないでしょうか。

 

決して僕がこのようなことに

敏感と言う訳ではなく皆小さい頃、

あるいは、まだまだ今のように

科学が発達して便利な社会になる前は、

このようなことを普通に

観じていたのではないでしょうか。

 

このようなことを、

五感の全てで観じて、

季節の移り変わりを観じたり、

人によっては自分の体調管理にも

役立てておられたのではないでしょうか。

 

しかし、今では情報化デジタル化や、

情報端末機の携帯電話の

飛躍的な発達と普及により、

益々このような人間本来が持っている

感覚が鈍くなって来ている様な氣がします。

 

食物類の野菜でも、

旬が何時かさえも分らなくなっても

来ているのではと想います。

 

うがった観方をすると、

むしろ、そのように情報端末機によって

コントロールされたり、

その五感を鈍くしたり思考停止させて、

観じれないようにさえ

されているのではとも想います。。

 

よって、いよいよ心が失われたり、

何かと殺伐とした人社会になったり、

行く行くは、この社会の流れに

取り残されたと感じた人が、

人を周りを傷つけたり

しているようにさえ感じます。

被害妄想とでも言うのでしょうか。

 

心を育てるには、

心をたくさん動かして初めて

豊かに丸く大きくなると想います。

その為には、今の社会の様に

視覚だけからの情報だけでなく、

耳、鼻、手足、肌等からの温もり、匂い、

肌触り、伝わる感じるエネルギー等からも、

多角的に観じて初めて

豊かになるのではと想います。

 

むしろ、視覚だけからの喜びよりも、

そのような視えないものや

温もり温かさから観じる喜びの方が、

大きく心動かされ豊かさを

最大観じる時ではないでしょうか。

 

その典型が、人と人との心の温かさの

授受ではないでしょうか。

思い遣り氣遣い心配りや、

黙って手を差し伸べられたり

肩に手を添えられたりでしょうか。

この時は鳥肌立つ喜びと

感動を観じるいただけるのではないでしょうか。

 

僕は、知能指数が低いゆえの

ひがみかもしれませんが、

知識を知恵を習得し高めるほどに、

心の豊かさは反比例する様な氣がします。

 

知的ハンディキャップや

身体の何かの障がいを

持っておられる方の

心の美しさ清さ豊かさ

感性の豊かさを観じるにつけ、

このようなことでいつも心の洗濯や

豊かさに勤めています。

 

今日も一日、六感直感を大いに

働かせられる日でありますように。

御蔭様で、ありがとうございました。