福岡の仏壇メーカーさんに、

「は○がわ」さんがありますが、

そこのCMが

「お手手の皺と皺を合わせて幸せ」

と流れています。

 

幸せは正にその右と左、

つまり、幸と不幸の両方を合わせて

幸せになると実感します。

 

なぜなら、不幸せと裏腹や隣合わせで

幸せも存在しているからです。

お互い相対するものがあるから

それを実感出来るのであって、

幸せばかりだと幸せと

観じれないのだはないでしょうか。

 

いかがでしょう。

よく、乗り越えられない苦労はない、

その人の背中に追い切れない苦労は

決してやっては来ない、

苦難の先に喜びが等の、

人生の励まし言葉もあります。

先日も書きましたが、

この世は必ずや運やツキが巡って来たり、

悩みが解決したり光が射したり

するようになっています。

 

その上、そのピンチの裏側の先に、

その苦しみ耐えた辛抱した大きさに

見合うだけの喜びも褒美も、

ちゃんと準備されているようです。

いや、サムシング・グレートや

神様仏様先祖様に準備していただいています。

 

決して諦めることなく、

坦々とコツコツと歩んでさえいれば、

お天道様は観ていてくれています。

 

いかがでしょう。

決して人様に言えない苦労をされた人程、

すばらしい明るい笑顔だったり、

包容(抱擁)力があったり、

そばに居るだけで癒しのオーラを

観じたりするのではないでしょうか。

 

仮に、自分は一生不幸な人生であったと

想ってこの世を去っても、

最後まで諦めずに投げだすことなく、

自分なりに一生懸命に生き抜くことにより、

その褒美は子どもや孫に

受け継がれることによって、

空からあの世から、その喜びを視れるようです。

 

また、その手と手を合わせる、

つまり「御蔭様」の想いを気持ちを

決して忘れなければ、

その仕合わせ(幸せ)を迎える呼べることが

必ず出来ると想います。

 

その手を合わすと、

自然に先祖や神様仏様のことを想い浮かべたり、

大切な方々を気遣ったりの

想いのエネルギーが発生発信されて、

それが届くようです。

 

単純にその「手を合わせる」その行為ですが、

心の平穏、視えない部分への意識、

自分との対峙、祈り、融合和合等の、

すばらしい有形無形の美しい作法や

形ではないでしょうか。

 

一日一回は、仏壇や神棚に向かってこの行為を、

あるいは、想いついた時に心の中で、

この手を合わすことによって、

幸せを呼びたいものです。

 

そうすることで、悩みや苦しみや怒りや

エゴも少なく抑えられたり

無くなったりするのではないでしょうか。

これも一つの、良心を通しての

宇宙と繋がれる方法ではと想います。

 

今日も一日、いつかどこかで

手と手を合わせる日でありますように。

御蔭様で、ありがとうございました。