「親の価値観が子供の価値観を作る」

 

三歳くらいの子どもを連れた母親が、

水道工事をしているしている人たちの

そばを通りながら語って聞かせています。

「おじさんたちが、こうして働いてくださるおかげで、

 坊やはおいしい水が飲めるのよ。

 ありがとうと言って通りましょうね」

 

同じところを、これまた幼い子を連れた

別の母親が通りかかります。

子どもに向かって言いました。

「坊やも勉強しないと、

 こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

 

価値観はこのようにして、

親から子どもに伝えられることがあるのです。

最初の母親は、人間はお互い同志、

ささえ合っていきること、

労働への感謝の念を子どもの心に

植え付けたのに対して、

二番目の母親は、職業に対する偏見と、

人間を学歴などで差別する価値観を

植え付けたのではないでしょうか。

 

私の母は、決して学歴の

ある人ではありませんでしたが、

人間として大切にしなければならないことを、

しっかりと伝えてくれました。

 

聖書を一度も手にすることなく

人生を終えた母でしたが、

思い起こすと、母の価値観の中には、

キリストが大切になさったことが、

たくさん含まれていたことに氣付きます。

 

「わが身をつねって、人の痛さを知れ」

意地の悪い私が、

母からよく聞かされた言葉です。

これは、「他人からしてほしいと思うことを、

 あなたたちも他人に行いなさい」

というキリストの愛と思いやりを

他の側面から表現したものといってよいでしょう。

 

「人をつねってはいけない」と、

禁止の言葉で教えるのではなく、

まず自分自身をつねって、

つねられた痛みのわかる人に

なりなさいということでした。

価値観は言葉以上に、

それを実行している人の姿によって

伝えられるものなのです。

 

価値観は言葉以上に、

実行している人の姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

 

今日も一日、自分の後ろ姿を

確認できる日でありますように。

御陰様で、ありがとうございます。