三郡山のウラジロ群



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私の気づきの一つに、
この自分の生まれて来た目的は何なのかの問いかけがありました。

どうでしょう。
皆様方も、仮に街中を歩いていたり、
子どもから真面目にこれを問われたら、
自信を持って答えられるでしょうか。

もちろん、俗世間的な生活のために仕事をして、
人様のお役に立てるような人間として成長するため
などのことは答えられるでしょう。
私も今でもこれくらいのことしか答えれませんが、
当時は「?????」でしたから、
ここからこの答え探しが始まり今に至りました。

そして、たくさんの人や本から、
この世からあの世や宇宙のことまでをも学ばせていただきました。
もちろん、今でも皆様から平等に素直に学んでいます。
素直にというのは、私より年下のご縁ある方々や我が子からもです。
なぜなら、私以上に進化した、多くの学びを終えた魂と理解しているからです。

このようなたくさんの学びより、
人間そのものの目的や役割、
そして自分の人生の目的や役割などを学び、
今では自分なりに理解しています。

私の人生の目的を、参考までにお伝えしてみます。
それは、九歳の時に大工であった父とこの世での別れをしました。
まだ私も、父の私への思いは分かるはずもなく、
そして、成長の喜びも味わうことなく還りましたので、
この父の私への思いを出来るだけ知ること想うこと、
そして、自分の成長を喜ばせることと思っています。

その後は、私もこの世を終えて父の元に還って、
もし再会できるとしたら、
自信を持って自分のこの世での生き方を報告して喜んでもらうことです。
また、当然ですが私がお世話になり、
先に逝った先輩、親戚、知人、友人の方々にも、
同じような報告が出来るようにと思っています。
また現実の今の心掛けは、
母親が一人で五人の子どもを育ててくれましたので、
この母をこの世にいる間に出来るだけ
喜ばせてあげたいと思っています。

凡人の私には、このことが一番無理なく、
しかも自分に出来ることとして、
常にこれに照らし合わせて、
そして場合によっては、その方々の顔を思い出したりしています。

決して、世間のためや社会、国のために出来ることはありません。
凡人ですから。
しかし、このような自分の人生哲学や目標や目的を持つことにより、
日々が何か少しでも一つでも、
前日より成長したり、気持ち良くなったり、
時には反省したりと有意義に過ごせるようになりました。

二十一世紀は心の時代と言われて九年が経過しましたが、
生活環境は反対に、
そのようなことを考える余裕が無くなるほど、
時間の経過もより早くなったような気がしますし、
たくさんの問題も噴出しています。
しかし、このような時代だからこそ、
この生きる意味や目的を持っていないと、
光も目的地も見つけられないでしょう。
今年から、時代は益々混迷を深めるようです。

もし街中で、このような人生の目的などを聞かれたらとして、
自分に問いかけてみて答えを出して見て下さい。
そして、矛盾を感じない答えを持つことをお勧めいたします。
これからを生きるために、ぜひ必要と確信いたします。

今日も一日、出来るだけ自分の生きる目的にそう日でありますように。
御陰様で、ありがとうございました。