皆様
いつも大変お世話になっております。
歳も暮れ…いよいよ年末へまっしぐらですね。
今俺は何を思う。。。
答えはこうだ。
特にありません。
フラットでいたい。
皆様はクリスマスとか…年末のお休みの計画とか…
大いに楽しんでもらいたい。
強がってるみたいだけど…寂しくなんかない。
といえば嘘になる。
私だって人間だ。
仕事してるより、街にでてクリスマスのネオンみたり、年末はおいしいものを食べて酒も飲んでいたい。
許されないんだ。
俺はそんなことをしたらいけないんだと自分にいつも言い聞かせてる。
溺れそうだから。
快楽という魔物に飲まれてしまいそうだから。
だから自分を戒める意味でも、深追いなんかしちゃいけない。
何なんだろうね…自分で自分を窮屈にしてるよね。
解放されたいけど、気持ちの部分がそうはさせてくれないから。
ちょっとくらいいいじゃない?
ダメだ。
その隙を付け込まれたら一貫の終わり。
自制心。
けど、そんなことまでして自分がどうなりたいんだ?と聞かれたら…
答えられない。
一言でいえば、自分はお金に執着している人間なので、お金に困らず豊かに過ごしたい。
なんだけど、もちろんそれの対価というものは払っているわけで…
自由というものを捧げている。
冒頭の話に戻ると、クリスマスで浮かれたり、休みを自由でいられる人。
自分は真逆に生きてるから。
果たして天秤にかけた時…どっちが幸せなんだろうなと思うこともある。
お金がなくたって、楽しい時間はいくらでも過ごせるし。
なきゃないで豊かさは絶対に買えないと思っているし、、、
人類でもまだ死から逃れた人はいまだかつていない。
その死に向かって人は歩いている。
要は歩き方の問題だ。
自分は例えるならば、険しく厳しい道を選んで頂を目指そうとしている。
先ほどの自由のある人というのは人それぞれだけど、極端に楽している人というのは
簡単で楽な道を選んで頂を目指している。
こうやって分析してみると、どちらも一長一短だなとも思う。
まずは自分に関してだけど、何か困ったことがあっても…ある程度の耐性はできてるから乗り越えられるだろうと。
でも楽な道を歩いていないから、楽を知らない。
対極に生きている人は俺の逆だよね。
毎日平坦で生きてるからこそ急な勾配があったら…必ずつまづく。
でも、その日暮らしじゃないけど今を楽しく生きられるというね。
人間いつ死ぬかもわからない。
明日かもしれない。
となるとだ…楽に生きている人たちというのも一概に否定はできないよね。
だって俺は楽というものを人生の後回しにして生きているから。
今を頑張って後で楽をするというね。
もちろんそれによって得た対価というのも相応なものはあると思うが…
楽しむ前に死んだら元も子もないと。
そして、、、死というものとは関係なく、若いうちのほうが体も動くし楽しみは感じられると思う。
老いぼれになってから楽しもうったって、そうはいかんだろう…
生きていても、どこかに障害を持ったり、重い病気にかかっていたらどうしようもないよね。
自問自答してみよう。
そうだとしたら…今後はどうするべきなのか?
小生も40半ばに差し掛かり、人生の分岐点には立ったと思う。
今の精一杯の答えはこうだ。
自分にも守るべきものができた。
それは家族。
子宝にも恵まれて2人の子の父親となることができた。
自分の欲望を満たすより、この子達に未来を託したい。
俺はきっと死ぬまで楽に生きようなんて考えられない人間だから。
有事の際には頼れる父親でありたい。
けど…今日ブログをこうやって綴ってみて…思ったこともある。
俺も人間だ。
欲がないなんてロボットじゃあるまいし。
もう少し子供が大きくなったら、旅に出たり…自分に由る人生も過ごしてみようか。
それだけの蓄えは十分すぎるほど作ったから。
ではごきげんよう…