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> 一番近い人であろうと
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> 知っている誰かであろうと
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> 事実を知ったからには
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> 見ていられない性格なんだ。
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> 中学の時も
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> 友達のプロフが荒らされた時も 反抗しにいった覚えがある。
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> 俺が言いたいのは 、つまり、
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> 冗談がわからない人が一番困るということ。
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> 中学の時なんか増してや 多感の時期で 常に誰かに評価されてるか気になる。
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> そんな時期に 荒らすとか、悪口を書く。
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> 自分も自分で書かれたら困るくせに。
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> 先ほど ある人のブログに心無いコメントが寄せられた。
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> 芸能人でもなんでもない。
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> ましてや 火種になるようなことも一切ない人だ。
>
> そんな人でさえ 書かれてしまうのだ。
>
>
> 嫌な世の中だなあ。
>
>
> 気に食わないのはわかる、けど それを自分の意見として 押し通すのもどうかと思う。
>

どうだろう

あなたはどう思うだろう。


でわでわ。
>

思ったことがあるとして。


なんでもいい、テレビでも 誰かの話でも 猫のひげの事でも、

思ったことがあるとして。


それはまず 言葉にするだろう

文字にするかも知れない

しかし、

それが 共感を得ないと たちまち君は孤独におちいる。

つまり、

誰かの共感を得たいのだ。


誰からも共感を得ないと

なぜか悶々とする。

それは 自己嫌悪なのだろうか?

いや、

社会的に認められていない気分だから違うのだろう…


あるとき 自分は Twitterを使う。

つぶやく というより、

つぶやきを探す方に使ってる。

いま、この瞬間に思った事を パッと検索すると

同じ考えの人が たくさんいることを知る。


Twitterは 自分を肯定してくれるのさ。


とすると、

ふとした自分の つぶやき がそこで認められなくても この地球のどこかに 同じ意見を持っている人がいる ことがわかる。


こういうことが 情報化社会においての 新しい文化だと思う。


つまり、

ひとりひとりの意見が 大切にされてきているのかもしれない ということ。

思ったことが言える社会は

果たしてどれほど自由なのか。


けれども 全員が全員思っていることを言ったら

この社会はどうなるのだろう。


自分は、

自分勝手かもしれないけれど

自己を表現する側に立ちたい。


メッセージ、


それが一番 生活と直結しやすいものが音楽、


それが、






くだらない一日がきて

意味もない一日が過ぎる。


たいして決定的になるような答えもみつからない考え事をし、

うだるような暑さと 頭を叩く痛みとともに 目覚める。

なにかを懐かしむこともせず、

楽しいことなんて 想像する力もなしに。


やろうと思ってたことが出来ず、

人付き合いも悪くなってきた。


やがて 孤立するだろう


いや、してるのか。



雨音が強く鳴りだした。

新聞配達の排気に包まれ

扇風機から起こる風に

鼻水をすする自分。


なにがなんだかわからない世の中で

情報統制された世の中で

情報操作された世の中で


やる気のない相手と戦っている。

ああ、新聞配達のバイクが、、


雨音は 弱くなり

誰の声も聞こえず

昨日と同じ 今日のために寝息を吹かす


そういえば 孤独とはなにか見えなくなってきた

音に包まれてれば孤独じゃないのだと思えてくる。

現に 時間に束縛されることがなかった自分は かつてそうであった。

耳に伝わる鼓動が なにもかもを隠していた。


最近はありのままの自分を感じるようになった。

風にやられたり、ほこりに巻かれるとか、最悪、普通に過ごしても 鼻水が出てしまう。

安くもない耳鼻科に行く勇気もない。

また、なにとなく都合が悪くなると 理由をつけたがるんだ。

幸い、人のせいではなく 自分にまつわる物事のせいにしてる。


病んでいる、のかもしれない。

それなら、とっくに病んでいる。


行き当たりばったりが 行きもしなくなったら どうしたら良いのだろう。


不満、不満。

サティスファクション。

不満が人生を豊かにするのだと、


そしたら俺は 世界で最も幸せな一人になるだろうよ


なんて、

くだらない一日に相応しい

くだらないつぶやきでした。


以上、


























あ、高岡蒼甫Twitterにも来なくなり、どうしちゃったんだろうか。

あなたは 高岡蒼甫を正しく知っていますか?

テレビだけ見てると あなたは テレビにきっと洗脳されている。

彼は 正直者だ


彼みたいな存在は この国からはもう出ない

だからこそ、メディアから彼を守るべきだったんだ…