先日、↓の記事で、障害児の親は現行の行政の福祉や既存の障害者施設をアテにせず、自分の子どものための制度や施設は自分で立ち上げる、ぐらいの気持ちを持つことが必須だと書きました。

群馬県の障害者作業所を見学して、障害者福祉事情についての詳しいお話を伺いましたが、群馬県が千葉県よりも恵まれているというか、手厚いように感じたのは、地方というか田舎は都会比べると人間関係が密なことから、面倒くさいことも多いけれども、その反面で助け合う土壌がしっかりある、ということの違いによるものなんだな、ということにも気がつきました。


既に人間関係が出来上がってしまっている土地に新たに移住して一から人間関係を築き直すのは結構ハードなことではあるとは思いますが。


それでも、人間関係が稀薄な土地で同じことをやるのも、困難さは同じなんじゃないかな、とも思いました。


↑の記事で書き漏らしてしまったことなのですが。


障害児の親であっても、定型発達児と同じ感覚で、入所施設やグループホーム、福祉作業所等のことを、学校や一般の企業とかのように、子どもが成人すれば受け入れ先はある、とか、市役所の担当者や相談支援事業所に相談すれば何とかしてくれる、というような感覚でいる人が、結局、療育センターや放デイ等の保護者会等の活動に非協力的になる、ということなんじゃないか?と感じました。


うちの息子が、療育センターに通所していた頃、療育センターにお母さん方の参考になる書籍が色々あって貸し出しされていたのですが。


その中に、ドラマ化された

 だとか


 

 というような本がありました。


私も、息子が療育センターに通っていた当時はこういう本を読んでいましたし、めちゃくちゃ影響を受けまして、頑張って健常児に近づけることが大事だと思い込んでいましたが。


かえって自分自身ががんじがらめに追い詰められる羽目になりました。


それから、頑張ることをやめて、息子も自分自身もありのままでいることを受け入れた結果、息子が精神的に安定しましたし、言葉を発することができるようになりました。


光とともに、の内容には色々、言いたいこともありますが、明石洋子さんについては、それが明石さんと息子さんには一番最適な方法だったけれども、そのやり方が合う人もいるけれども、合わない人が同じことをやっても上手くいかない、と思いました。


多分、療育センターには東田直樹さんの


 

 



 

 



 

 もあったと思いますが、これらの本は、息子が小学生になってから、自分で買って読みました。


健常児の親でもそうですが、自分の子どもの個性、特性に合う方法だったり進路を色々試行錯誤して探す、見つける、ということなんだと思います。


私の場合は、神原康弥さんの本


 

 



 

 も参考になりました。


私の場合は療育センターだけでなく、放デイの理事長さんや保護者会の卒業生のお母さん方との関わりの中で、これまでのお話を伺ってきましたので、「足りないものは自分で何とかする」という気持ちを養うことができたと思います。


まあ、私の場合は、保護者会の役員としての活動だけでなく、「他人任せにできなくて、自分でやらないと気が済まない」という、毛利元就公の隔世遺伝というかDNAの影響もあるとも思います(^∀^;)


徳川家康公は元就公のことを尊敬していて、元就公の生き方や「決して中央を望まず」という方針を参考にしていたとのことですが、元就公と違って、自分が遣らなくても良いようなことは、家臣や息子達、それから同盟相手(織田信長とか豊臣秀吉)に任せることができました。


それが、中国地方の覇者止まりの元就公と違って、最終的に天下人になった決め手かもしれません。


マニアックな戦国話はともかくとして。


障害児の親と一口に言っても、子どもの人数が多かったり、下に小さい子を抱えていたり、共働きだったり、離婚してシングルマザーだったり、と人によって事情がありますし、本当に大変な人は仕事して子どもを育てるだけで精一杯な人もいると思います。


私は息子は一人っ子だし、専業主婦なので、子ども達が成人した時、もしくは自分達が息子の面倒を見ることができなくなってしまった時に生活するための施設を作る、ということを先頭に立ってやる立場なんだろうな、ということはわかってきましたが。


私の場合は専業主婦だし息子以外の子どもがいないので、そういう余裕があるのですが、その一方で、実家の親族に助けてもらうことができなくて、自分で何とかするしかない、という状況で子育てしてきました。


あんまりこういうことを言いたくはないのですが、行政や既存の施設をアテにして、保護者会の活動を疎かにしてしまうお母さんというのは、たいてい、実家の親族に理解があって協力的で、「周囲は自分を助けてくれることが当たり前」という環境の人が多いような気がします。


そういう点を踏まえると、私は第一子長女で母親からネグレクトされていたので、窮地に立たされても誰も助けてくれることがなく、自分で何とかすることが当たり前になっているからでそういう考え方になっているのかもしれません。


…そういえば、毛利元就公も幼少期に実母を亡くして、父親も兄もアルコール依存症だったので、自分が家を守らなければならない、という状況で生きてきた方でした。


隔世遺伝の影響もあるでしょうが、生育過程に共通事項があるから、考え方も似てしまうのかもしれませんね( ;´・ω・`)