易経を学んで、運気の仕組みのことがわかるようになってから、運気が低い時期のことがあんまり気にならなくなってきました。
以前は、何かトラブルが起こって苦労する期間だと思い込んでいたので、その手前の時期になると憂鬱で気が重かったのですが、今は「天気予報で雨が降るって言ってたから、洗濯物は室内干しにして、折り畳み傘持って出掛けよう」というような感覚で、「良かれと思ったことが裏目に出やすい時期だから、慎重に行動しよう」と注意深くなりました。
そういう、認識の微妙な間違いが起こる原因になったのは、昔、出版物やテレビ番組で大殺界という言葉を広めたおばさんが、易経について、中途半端の知識だけで全てを知り尽くしたような気になってしゃべっていたからだったんだな、と思いました。
それも、高島易についての書物をちゃんと読んで学んだという訳ではなくて、配偶者だった師匠の受け売りだけでちゃんと学んだつもりになっていただけ、ということがわかるようになったのも、私が
↑の本を一通り読んで、易経の基本部分について学んだからなんですね。
それでも、基本のきの部分しか学べていないと思いますが。
その基本のきの部分だけでも、腑に落ちるまで学べたお陰で、それまでちんぷんかんぷんだったホロスコープのことも少しだけ理解できるようになりました。
スピリチュアルについて学び初めてから、六星占術だとか0星占術等の天中殺占い的な運の周期は気になりますが、よく雑誌の巻末や朝のニュース番組の占いは全く気にならなくなりました。
まあ、各惑星の運行と自分が生まれた時の各惑星の配置の違いによって発生するエネルギーというものが存在するんだろうけれども、それを計算しているうちに、運気が変わってしまうだろうから、よっぽど好きな人でもない限り、ホロスコープについては、自分の出生時の惑星の配置とその意味だけ知っていれば良いんじゃね?というのが、私のスタンスだったりします。
というのは、私個人に関して言えば、四柱推命の命式の方がわかりやすいからです(^∀^;)
色々、批判されていますが、假屋舞さんの子宮推命は、四柱推命を誰にでも超わかりやすく説明しているけれども、だからといって決してインチキでも間違いでもない(ということは、彼女にもちゃんとした四柱推命の師匠がいて、命式の読み方をしっかり教わっているということ)と思っています。
ただし、中森じゅあんさんの算命学との違いがあんまりわからないので、パクりじゃないかと言われても仕方ないとも思いますが。
それはともかくとして、前述の理由で、私は大殺界だからと言って、必ずトラブルが起こって苦労するとは思わなくなりました。
とはいっても、一番運気が強い時期と同じように過ごして良いとも思っていなくて。
雨の日に洗濯や外出を控えたり、どうしても出かける必要がある時は傘を持って出かけたり、真冬の寒い日にダウンコート着たりブーツ履いて出かけるのと同じように、大殺界(或いは0地点)の時期に応じた過ごし方というものがある、と考え方が変わっただけのことです。
易経の基本を学んだことで、そのことが理解できるようになりまして、大殺界の時は陰の気が一番強い時期である、という考え方に変わりまして、米農家の一年の仕事を参考に、それぞれの運気の時の過ごし方について考えるようになりまして。
それで、収穫が終わった農家が、田植えまでの間に何をするか?ということを考えると、その年の田植えから収穫までの反省と、次の一年間の準備ではないか?と考えました。
それで、今年は今までの12年間を振り返って、12年前はどうだったか?ということを思い出しつつ、これまでの反省をする、という一年に設定しました。
それで、新しいことを始めるのであれば、何をやりたいか?ということを考えることは良いけれども、その計画をするのは来年、そして準備を始めるのは再来年のことだと思いました。
それで、今年はとにかく、息子の就活と18歳成人の手続きを最優先にすること、そして今までの、特に12年前の失敗パターンを終わりにする、ということを徹底するようにしています。
なので、敢えて、今までの失敗について、これでもか、というぐらいに反省するようにしています。
それで見えてきたこともありますし。
私が反省することをしつこくやるのは、これで終わりにすることが目的だからなのですが。
そのことについて、横槍を入れてくる人がスピリチュアル関係の知人に特に多かったのですが、よく考えてみると、そういう人は「自分の非を認めない、反省することが嫌い」という傾向がある、という共通点があることに気がつきました。
それで、自分が反省することが嫌いだから、私が色々自省して状況を改善することで、反省することに利点があることがわかると困る、都合が悪いからだな、と感じまして、そういう人から足を引っ張られるのは嫌だな、と思いまして、そういう人とは基本的に接触しないようにしました。
私が小・中学生の時に経験したことなんですが、算数とか数学の計算問題が苦手で、同じ所でつまずいていました。
そういう時に、どうやって克服したのかといいますと、同じ問題を何度も、正解できるようになるまで、繰り返しやったのでした。
もちろん、正解の答えがわかれば、二度と間違えなくはなるのですが、どうしてそれが正解なのかということを、完全に理解するところまでやらないと、応用問題で正解できるようにはならない訳で。
中学の時などは、応用問題でも正解できるレベルまで、徹底的に補習を受けさせられました。
数学で例えるのが一番わかりやすいので、例に出しましたが、国語でも英語でも、基本的には同じことで。
でも、同じようなことが書かれていました。
勉強に限らず、仕事でも人間関係でも同じなんですけれども、失敗した時に、何が失敗の原因なのか?=うまくいくには、どこを改善するべきなのか?ということを考える時には、ちゃんと答え合わせをして、何が間違いの原因なのかということをきっちり把握する必要がある訳です。
で、陽の運気が強い時は、多少危なっかしくても帳尻を合わせることができるのですが、大殺界の時はごまかしがきかないので、そういう時に、自分の失敗パターンというか、トラブルの原因になりやすい悪い癖をしっかりチェックして改善する、ということだと、易経を学んだことで理解できるようになりました。
そういう訳で。
来年、これから自分はどうしていきたいのか?何を目指したいのか?ということを明確にする手がかりにするためにも、今年は後半も、自分自身と向き合って深掘りするということを徹底的にやり続けていきます。