今朝の虎に翼を見ていて思ったことです。


梅子さんの三男にしても、花江ちゃんの長男というか寅子の甥にしても、子どもというのは親のことを親が子どもを見る以上によく見ている、と感じました。


実際に、そのことは私自身が親として息子を育てていて、日々、痛感することで。


知的障害がある息子であっても、親のことをよく観察していて、私は息子が私や夫を見るほど、息子のことをちゃんと見ているのだろうか?とその度に思います。


自分自身がそう思う一方で、両親に対して、本人達は私のことをよくわかっていると、口先では言っているけれども、本人達はわかっていると勝手にというか一方的に思い込んでいるだけで、それほどよく見ている訳でもないし、話をする時にも、父はまだ私の話を聞いている方ではありますが、それは父が許容している範疇の話であって、不都合なことは聞く耳持っていませんし、地雷踏めば暴力を振るって黙らせているだけで、それって、わかっている範疇には入らないよね、と思えるようになったのは、ごくごく最近になってからのことでした。


母親に至っては、私のことを見てもいないし、話もろくに聞かないので、論外ですが。


私が母方の祖母と伯母には心をひらいているので、祖母と伯母経由の情報と、日記を盗み見したり机の引き出しやカバンだけでなく、ごみ箱まで漁って手紙の書き損じ等を盗み読みして得た情報でわかったつもりになっているだけのことでした。


そういう母親の所業を私は卑しい、と蔑んでいる訳ですが。


両親がそういう勘違いをしているのも、↑の真実に未だに気づいていないからなんだな、と、今朝の虎に翼を見ていて気がつきました。


もちろん、両親だけでなく、弟はもちろん、父方の伯母も従兄弟姉妹達も同様だと思います。


だからこそ、「大学に入ったのに幼稚園の先生になるなんて」等という、馬鹿丸出しの発言を平気でするんだな、と思いました。


子どもは、親だけでなく、幼稚園や小学校の先生も含めて、周囲の大人のことを実によく観察しています。


私が幼稚園の教育実習の時にも、当然、実習先の園児達から、色々と厳しくチェック入れられました(^∀^;)


その後、保育園の時間外保育のパートやってた時は、子ども達と関わる時間が長くて、関わり方も深くなった分、実習生の時以上に容赦なかったですゲロー



そんな風に、自分自身が子どもという立場だった時の記憶だけでなく、自分も大人になってから、子ども達の容赦ない目に晒される機会が多かったこともあって、私は子ども達が大人達が思っている以上に大人達をシビアに観察している、ということを経験してきましたが。


私の両親のように、「どうせ子どもだから何もわからない」と見くびっている大人というのは、結構多いのかな、と思います。


子どもが大人よりも弱い立場に追いやられている理由は、子どもが無知で無力だからなのですが。


私の両親、特に母親は子どもが無知で無力だということを利用して、自分の不都合なことを隠蔽したり、支配してきまして。


私が、両親、特に母親に対して許しがたいと想うのは、この相手が無知で無力であることを良いことに、己の悪意を正当化し続けてきたことでした。


子どもが無知で無力なのは人生のごく数十年の間だけのことで。


その間に教育を受け、色々な経験を積んでいくうちに、自力で生きるために必要な情報や知恵と力を身につけていきます。


その時に、それまでの大人が言ってきたことが嘘であることを悟るようになります。(私は今ココ❗️)


子ども達に誠実に向き合って生きてきた大人は、子ども達の成長を素直に喜び、歓迎することができますが、子どもが無知で無力であることを良いことに、嘘をつき続け、好き勝手してきた大人は、子どもが成人した時に、自分達がやってきた嘘がもはや通用しなくなる時がきます。


残念ながら、今の日本の社会では、私の両親のように、子どもの無知と無力を良いことに、嘘をつき、好き勝手し続けてきた大人の方が大多数を占めます。


私が大学4年生で就活していた頃から就職氷河期が始まりましたが、若者がちゃんと定職に就けない、自立できるだけの収入を得ることが難しい世の中になってしまったのは、その親世代の大人たちがやりたい放題やり過ぎて、自分達の欺瞞を若者に見抜かれることを恐れた、という側面も、間違いなくあったんだな、と改めて感じました。


虎に翼を見ていると、かつての日本では、男達が女性から経済力を奪い、教育の機会を奪って無力な立場に追いやって、好き勝手していたことがよくわかりますが。


現在は、女性の立場は多少はマシにはなったけれども、その代わりに若者や子ども達がかつての女性達の立場に追いやられているような部分もあるんじゃないか?と感じました。