先日、↓の記事で、私が結婚して間もない頃(一年になろうとする頃)に、仕事で近くに来たので家に泊まりに来た父から酷い暴力を振るわれた時点で、息子が知的障害を持って生まれて来ることが決まったことに気がついた、ということについて書きました。
その時に、父についても母親についても、嫌な気持ちにしかならないのは、二人が生きているからだということにも気がつきました。

まあ、実家の祖母について、生きている時は「とっとと死ねばいいのに」としか思っていませんでしたし、死んだ時も「この世から悪人が1人いなくなった、やれやれ」としか思わなかったですし、今も未浄化霊というか、ほぼ悪霊な状態で成仏できずにこの世に留まっていることに気がついたので、「死んでも悪人のままなのかよ」と、呆れる、もしくは生前のことを思うと、多少は「お祖父さんが戦争で亡くならなければ、そこまで堕ちずに済んだかもしれないな」と、多少は情状酌量する気持ちになることがある程度で、「もっと優しくしてあげればよかった」と後悔する気持ちには全くならない、ということを思うと、両親が死んだ後になっても「もっと優しくしてあげれば良かった」とか、「私が思っているよりも、実はマシな親だったな」と思うことはあんまりなさそうだな、と思います。

でも、「ろくでもない親だったけれども、愛情が皆無という訳ではなかったんだな」と思えるようになれば御の字なんだな、と思いました。

まあ、それが両親の業なんだな、と思います。

母方の祖母については、コロナ禍もあって、葬儀に顔を出すことすらできませんでしたが、最後に「私はおばあちゃんの孫で幸せです。ありがとう」とだけ、手紙に書いて感謝の気持ちを伝えることができたので、それだけで充分、私が自分でできる最大限のことをやって祖母を見送ることができたと思いまして、全く思い残すこともなかったのです。

それだけでなく、私が手紙に添えて贈った越路吹雪さんのCDを聞いて旅立ったということだったので、それが私にとっては何よりもの報いというか、神様の恩寵だと感じました。

私が、母親に対して絶縁状を叩きつける前に「私はイエス・キリストを父として、聖母マリアを母として育った」という皮肉を投げつけたことがありましたが。

今になって、皮肉というよりも、事実を言っただけだったんだな、と思いました。

…実際に、氷室奈美先生の透視画リーディングで出てきた私の指導霊がイエス・キリストでした(^∀^;)

私は両親からは愛情を与えられなかったというか、必要量に対して平成の初めの消費税導入当時の税率分程度でしかなかったけれども、ネグレクトを受けた割には円満に成人することができたのは、母方の祖母と母方の伯母と伯父が親代わりになってくれたお陰だったことはわかっていますし、それは両親がネグレクトすることを前提に、ちゃんと代わりになってくれる人の存在を確保して生まれてきたということもわかったので、納得しています。

結婚して息子が生まれるまでは、ずっと両親からの刷り込み等のせいで、ずっと自分に非があると思い込まされていましたが、息子が生まれて、自分も親になったことで、「間違っているのはむしろ親の方だ」ということに気づくことができました。

そして更に、スピリチュアルの世界に足を踏み入れて、前世だとか魂の仕組みとか、輪廻転生とかカルマの仕組みについて学んだお陰で、私がそれまでの人生で色々、苦渋を飲まされた原因がわかりまして、どうやったら本当に自分にとって幸せに生きることができるようになるのか?ということを学んでいます。

まあ、未だ今ココ、な状態ではありますが(^∀^;)

ここまで書いてきたところで、このブログを開設した当初からずっとフォローして色々と石について学ぶ参考にさせていただいている塔也さんのブログの記事

を読みまして、私も親との最終決戦をやっているんだな、と思いました。