先週の週末、ひょんなことがきっかけでキッチンとダイニングテーブルを片付けましたが。
その後もキッチンとテーブルの上の状態をキープしつつ、リビングや玄関、息子と夫が寝室として使っている和室も少しずつ片付けています。
まあ、私の部屋は依然として片付かないままのようになっていますが、よく考えてみると、未だ作らないままで放置している手芸キットを作って完成させる、という作業は、片付けの一環になっているようなところがある、ということに気がつきました。
何がきっかけでそういう成り行きになったのか?ということを振り返ってみると、その前に、Number_IのGOATのMV
(ちなみにダンスバージョンです)
をYouTubeで見ていた時に、たまたま貧乏神退散
という動画がおすすめに上がっていて、何となく、焚き火動画を見る感覚で見た、ということがありました(^∀^;)
もしかすると、この動画を見たことで、家をきれいにしたい、と常日頃思っていることけどできなかったのが、実現させるための行動を起こすことができるようになったのかな?と思いました。
去年の今頃、片付けよう❗️と思い立って、色々片付けの本を買いまくって、多少は片付けては見たけれども中途半端なままになっていたのですが。
その時に買った本の中に
という本がありまして。
この本の著者は空間心理カウンセラーの方で、他に
のような著書を持っていたりします(^∀^;)
最初に挙げた本は、貧乏神に不幸になるアドバイスをしてもらって、その反対をやってみた、というストーリーでして、貧乏神による不幸になるアドバイスの逆、ということの中に片付けるということもあった、ということでした。
片付けについては、また機会を改めて記事にしますが、この本の中では貧乏神が好きな空間は座敷わらしに嫌われて、最終的には貧乏神が出て行って座敷わらしが住み着くことになっています。
片付けとは関係がない話ですが、井口清満さん改め神楽京さんの
の中では、貧乏神は福の神と表裏一体の存在だと書かれていまして。
福の神がいる場所には、必ず貧乏神も存在する、ということでした。
ということは、豊かになるか貧しくなるか、幸せになるか不幸になるかは、本人の考え方や行動に左右されるもので、側にいて見守ってくださっている存在を福の神にするか貧乏神にするかは本人次第、ということなんだな、と思いました。
この豊かになるか貧しくなるかの考え方の違いについて考えていましたら、ちょうどその答えになりそうな情報が、すぅさんのブログの記事にありましたので、リブログさせていただきますね。
それから、片付けをしていて、私の場合は片付けに親、特に自分の母親を介入させないことが、リバウンドしない片付けのための絶対条件だな、ということに気がつきました。