先日、ネット記事を見て


 

 という本というかマンガを買いました。


このマンガの作者本人も、毒親サバイバーで、両親が毒親であることに気づくまで、それから気づいた後に家を出て親と決別するまでの過程が、冒頭で描かれていました。


そのほか、何人かの方のケースが紹介されていますが。


この本を読んでわかることは、毒親が改心することは100%あり得ないのですということです。


私も、昨年になってやっと自分の携帯と家電で父の携帯番号を着信拒否設定しましたが。


それがかなり遅すぎるぐらいだった、とこの本を読んで思いました(^∀^;)


それから更に、99.9の第2シーズンの6話目、木村文乃さんが演じている元判事の尾崎弁護士の弟役で、佐藤勝利くんが出演していて、その弟が殺人容疑で逮捕される、というエピソードでした。


勝利くんは、シーズンの第1話から、回想シーンとして、ほんのワンシーンだけ登場していましたが。


その前の話のラストで、その少年が弟だということが判明しました。


それで、尾崎弁護士と弟に何があったか?という真相がこのエピソードで判明するので、勝利くんのゲスト回だとミーハー的に期待して見ていましたが。


弟の殺人容疑はもちろん、前科の窃盗も実は濡れ衣で、当時判事だった姉が、被害者と示談してしまえば量刑が軽くなる、と勝手に判断して容疑を認めさせられてしまったことで、無実を訴えている自分を信じてくれなかった、ということで、弟が尾崎弁護士に対して根深い不信感を抱いていたことが、松潤の深山弁護士が接見したことで判明した、というくだりがありました。


そのくだりを見ていて、私の両親に対する不信感の根源って、これじゃないか?ということに気がつきました。


この尾崎弁護士の場合は、たった一度だけのこと(それにしてはかなり重大なことなんですけれども)、でもこれだけ深刻な不信感を持ち続けて、心を閉ざしてしまうのに、私のようにそれが長い年月の間、日常化して当たり前のようになってしまっている状況なら、心を開く方がおかしい、というか、よっぽど頭がイカれている人間でない限り、信用することはないよね、と改めて感じました。


両親が私のことを信用せずに、他人の言うことを鵜呑みにするのは、はっきり言って保身と世間体を取り繕うため、弟の場合は「かわいがりたい方をかわいがる」というだけのことだったんだな、と思いました。


私が再三、引用している「霜を踏んで堅氷に至る」という易経の言葉の通り、尾崎弁護士はまだ道に霜がおりている、もしくは霜柱になっている状態のところで引き返すことができましたが、両親はもう既に猛吹雪の中で引き返す道すら塞がれてしまって、凍死するのを待っている状況なんだな、と察しました。


尾崎弁護士の状況であれば、両親が己の間違いに気づいて正す機会を天が与えてくれるけれども、多分、もうその機会は来ないだろうな、とこのドラマを見ていて感じました。


多分、残されている唯一の機会があるとすれば、


 

 で萩尾望都さんがご自身の経験を書いておられるのと同様に、父が死んだ後のことになるんだろうな、と思います。


まあ、そのチャンスにそれまでずっと目を背け続けてきた自分自身の業=自分自身の非を認めず、他人のせいにする、他人によく見られようとして上っ面だけ取り繕うことに過剰にエネルギーを浪費する、ということを直視して受け入れる、反省する、ということができなければ、来世のカルマとして、かなりの利子をつけて持ち越すことになるだろう、ということに気がつきました。


多分、父もそうですが、母親も来世はこの地球ではなくて、もっと次元が低い世界にしか行くことができなくなる、ということらしいのですが。


私は、その件に関して元々関与する気は全くありませんが、守護の存在はもちろん、その上に控えている存在も、「手出し無用」ということなんだな、と思いました。


輪廻転生とかカルマの仕組みについては、手塚治虫の火の鳥の異形編だとか、去年日テレで放送されたブラッシュアップライフというドラマで、一つの人生を何度も繰り返すのではなくて、時代と設定を変更して繰り返しているようなもの、と言えばわかりやすいと思いますが。


両親のやってることは、ブラッシュアップライフで言うと、どんどん次元が低い生き物に転生するような結果になってしまっている、ということなんだな、と思いました。


私は、夫だけでなく、両親についても、カルマの清算人的な役割を持っているらしいのですが、夫については、かなり危険な状況というか、イエローカード一枚出していた状況でしたが、何とかそこから脱することはできたようです。