先日の記事↓で、肝心のことを書ききれなかっていなかったと、アップした後に気がつきまして、その続きになります。
↑の記事で、私が洗濯物を干しに行っている間(ただし、コンロは使用中なので調理という作業は継続中)に勝手に甘酒をあると鍋で温めて私の作業を妨害したことにキレたことがきっかけで、リビングが片付かない原因について考えることになりました。

その結果、舅が自己中で物事の表面しか見ていないこと、舅が自分の身の回りのことが何一つできないのでそれを見て育った夫が似たような大人になってしまったことなど、自分に都合が悪い事実から目を背けるために責任を押し付けやすい私を悪者にしていること、私の両親が舅に対して夫が片付かない原因を作っていることを指摘して舅から反撃されることが嫌で、舅に同調して一緒になって私を攻撃していたこと等、今まで気がつかなかった現実が見えてきました。

その結果、舅と両親は完全に断捨離して良いな、と改めて確信しました。

もちろん、私の部屋もまだ散らかった状態なので、更に処分するべき物と残す物を見極める、という作業が必要なのですが、それをやるためには、自分を否定しない、ということが必要だということが 

  

 等の本を読んでいてわかってきました。


まあ、↑に書いた、リビングが片付かないという現実を作っている根本的な原因に気がついたのも、「自分を否定しない」ということを心がけたからだと思いますが。


とっかかりは家をきれいにしたい、ということだったのですが、そのためにどうすれば良いのか?ということを追究していった結果、「自分を否定しない」と「自分自身を知る」ということにたどり着きました。


それを実行していって、現実が変わり、それまで気づかなかった今までの現実を作っていた原因にも気がつくことになりました。


YouTubeのハイライトで私が「一度好きになったものから離れない」という自分の傾向に気づいたことによって、本当に好きな物は捨てないで残す、本当に手放すべき物は親からのもらい物など「たとえ高価な物であっても、実は気に入っていないもの」ということがわかるようになりました。


そうしていくうちに、息子もだんだん暴れることがなくなって、落ち着くようになりました。


これは、自分が好きな物を否定されることが本当は嫌だったということに気がついて、それを尊重するようになったことで、息子の好きなこと、やりたいことを否定しないようになってきたからじゃないか?と思いました。


息子のことについても、就職だとか自立について考えた時に、食べること以外に興味がないことが気になって、食べること以外に好きなことが見つかるようにという働きかけばかりしてきましたが、これも息子が好きな食べることを否定することだった、ということに気がつきました。


息子が食べることが好きなことから、料理番組や旅行番組に興味を持つようになり、「相葉マナブ」を見るようになったことで嵐が好きになった、という過程を経験しているので、食べることがとっかかりで良いので、そこからの広がりが大事だということがわかりましたので、今年は自分から息子に特定の方向に働きかけることを我慢して、見守るようにしようと思います。


その代わりに、自分自身にもっと興味を持つことを通して、自分自身の魂と繋がることを意識していきます。


以前、優花さんのセッションを受けた時に、自分の現世の課題として選んだことができるようになるためには、自分のガイドと繋がることが大事だとアドバイスをいただいたことがありました。


それからずっと、自分のガイドと繋がろうと努力してきたのですが、なかなか上手くいかなかったのは、自分を否定することが自分自身との繋がりを切断してしまうことだということに気づかなかったことと、他人を通して自分のガイドと繋がろうとしていたことが原因だったということに気がつきました。


その結果、真照さんのスクールをやめて独学することを選択することになったのですが。


真照さんのスクールをやめた時は、勢いでやめたような感じだったので、その選択が正しかったのかどうか自信がありませんでしたが、その後の気づきや自分や息子の変化を通して、表面的には勢いでやめたように見えるけれども、魂のレベルではそうではなくて、ちゃんと納得済みの出来事で、むしろ勢いがなければやめることができなかった、ということにも気がつきました。


YouTubeのハイライトの件一つとっても、普通ならAIから指摘されなくてもわかっていることが、指摘されるまで気づかなかったぐらいに、私は自分自身の意志を無視して生きてきた、ということがわかります。


なので今年は、片付けだけでなく買い物をする時であっても、それが本当に私が好きな物なのか?ということを意識して、逐一自問自答していくようにします。