うちの夫は鉄ヲタでなおかつ松本零士ファンなので、ディアゴスティーニの銀河鉄道999のテレビアニメDVDシリーズを全話分コンプリートしていまして、休みの日の夜に息子と二人で見ています。


息子は、最初はあんまり興味なかったようですが、夫と一緒に見ているうちに興味を持ったらしくて、「これすき」と言ってました。


先日、「これからの星」というエピソードの回を見ていたので、私もつい一緒に見てしまいまして。


私も昔、リアルタイムで見ていまして、一番お気に入りのエピソードだったりします。


このエピソードは、999が停車した一惑星での一日の物語なのですが、昭和30年代の東京をほうふつとさせる風景の惑星で、鉄郎とメーテルは999の指定旅館に滞在します。


かなりのボロ旅館なのですが、働き者の夫婦が営んでいて、質素だけれども味は絶品な食事と宿の主人が薪を割って沸かしてくれるお風呂が絶品らしいです。


スケベエな主人がメーテルの入浴シーンを見て鼻の下伸ばしていましたが、美人な奥さんに殴られていました(^_^;)


それはともかくとして、この惑星では、強力な竜巻が頻発するらしくて、メーテルと鉄郎が寝ている間に竜巻が旅館を襲って建物ごと飛ばされてしまいまして。


旅館の主人と奥さんは、壊された旅館をご近所の人々と協力して再建の作業に取りかかるのですが、メーテルと鉄郎の荷物も999のパスも竜巻で飛ばされてしまいました。


それで途方にくれて999の停車駅前に座り込んでいたのですが。


星の住人の人々が食べ物を差し入れたり、二人に親切にしてくれまして。


メーテルは「パスが見つからなかったら、二人でこのままこの星で暮らさない?」と、鉄郎に言うのでした。


999の発車時刻が迫る頃、宿の主人夫婦が星の人々と手分けして、必死で探してくれた荷物とパスを届けてくれまして。


「このパス欲しくなかったの?」と言う鉄郎に、旅館の奥さんは「そんなもの、ほしくありません」と、答えます。


ご主人は「一生懸命働いていれば、いつか手に入るさ」と。


そんな星の人々に見送られて、鉄郎とメーテルは、この星こそ、宇宙で最も幸せな星だと感じた、というエピソードなんですが。


リアルタイムで見た小学生の頃は、ユーモアがあって心温まる良い話、というイメージでしたが、大人になってから見返すと、原作者の松本零士さんが福岡から上京して漫画家デビューした頃の東京の町の人々の暮らしを思い出して描かれたストーリーなんじゃないか?と感じました。


松本零士さんの若い頃を基にして描かれた代表作に


 

 



 

 

という作品がありますが。


アニメ化されて放送された1980年頃にはとっくに忘れ去られてしまっていた、東京の人々が助け合って生きていた情景の記憶を、松本先生ご本人もまだ鮮明なうちにまた描いておきたいと思われたのかもしれない、と40年後に見て思いました。


その昭和30年代の東京の下町の情景も、江戸の町の名残りのようなものだったんだろうな、と朝ドラや去年の大河ドラマのべらぼうを見て思います。


江戸時代から昭和30年代までの、人々が互いに協力して助け合って生きる、というコミュニティは、日本ではもうとっくに廃れてしまいましたが。


東南アジアやアフリカの一部の地域では、まだそういう生活を営んでいる人々もいるだろうと思います。


その一方で、999には、永久戦闘実験室というエピソードもありまして。


999が停車した惑星の中で、鉄郎とメーテルが滞在したホテルのレストランで戦争を見せられて食事をする羽目になるのですが、これは古代ローマのコロッセオで、格闘技とは名ばかりの人間同士が殺し合う姿を貴族達が客席でワインを飲みながら娯楽として見物していた、という話にヒントを得て描かれたエピソードだと思われます。


小学生の時にシェンキヴィチの

クォ・ヴァディス


 

 



 

 



 

 



 

 を読んだ時にも、「ローマの皇帝や貴族は野蛮というか悪趣味だなぁゲロー」と思いましたが。


古代ローマ人の価値観が精神的な基盤になっているせいか、欧米人には人間が互いに助け合って生きる、という概念が根本的に欠けているのではないか?と思いました。


古代中国の三皇五帝の皇帝・堯の「鼓腹撃壌」のエピソードや日本の古墳時代の仁徳天皇が民の家から煮炊きする煙が上がる様子を見て喜んで歌を詠んだというエピソードを読んでも、恐らく欧米人には理解できないでしょうし、ローマ帝国の五賢帝と呼ばれる皇帝達も、中国で暴君の代表のように言われる殷の紂王や隋の煬帝とどっこいどっこいなレベルなように思います。


そういえば、イエス・キリストの教え(≠キリスト教の教え)は虐げられている者と共に寄り添う、というのが基本というか根本原理なんですけれども。


それに対してブッダの教えは「慈悲の心」ですね。


慈悲という言葉の意味は、相手の悲しみや苦しみを抜き取り、楽しみを与えたい、ということなのですが。


何となく、日本では「相手を慈しみ、憐れむ心」というイメージで捉えられがちですね。


イエス・キリストは大工という一庶民の出ですが、ブッダの出自はシャーカ族の王子なので、そういう解釈がなされたのかもしれません。


仏教の日本への伝わり方を考えると、インドから東南アジア、中国を経て朝鮮半島の百済の聖明王から仏像が贈られる、という形で伝わり、用明天皇とその息子の厩戸皇子(聖徳太子)が信仰したことに始まって、蘇我氏・藤原氏といった有力貴族とその後の歴代天皇(特に聖武天皇)を中心に発展して、奈良時代の行基や平安時代の空也といった高僧達の努力によって庶民にも伝わるようになっていったことから、古代の日本の仏教は高貴な人々の心の持ち方、という感じの教えだったのかもしれない、とも思いました。


宗教の話は置いといて、本題の銀河鉄道999に戻しますと。


実際に、宇宙にはストーリーに出てくるような色々な惑星が存在するんだろうな、と思います。


999だけでなく、石ノ森章太郎のサイボーグ009のザ・ディープスペース編


 

 

とか、コスモチャイルド編


 

 のような話がありまして。


こういう昔のSFマンガやアニメは、発表された1980年代当時は突飛な感覚で捉えられていたかもしれませんが、今の時代の感覚で読むと自然に受け入れられるんじゃないかと思います。