前回の記事からしばらく間が空いてしまいましたが。
その間、私だけでなく、夫も副鼻腔炎をこじらせて咳込むようになりまして、対策に追われていました
私だけでなく夫もといつことなので、原因は気候の乱高下に加えて、砂糖の摂り過ぎなんだろうな、と思います(@_@;)
というのは、息子の二十歳の誕生日祝いで某ホテルのスイーツビュッフェに行ったからでした(;^ω^)
パスタとかパエリアとか食事系メニューもありましたが。
これは紅茶がないと食べられないな、と思いましたし、スイーツビュッフェでマカロン2個はキツイな、ということがわかったので、次回から1個だけにしておきます。
スイーツビュッフェではなく、アフタヌーンティーだったら大丈夫なんですけれども(^_^;)
アフタヌーンティーだと取り過ぎることがないから、後で副鼻腔炎悪化させることにまではならないんだと思いました。
副鼻腔炎だとか花粉症の方は、なるべくスイーツビュッフェはやめて普通のランチビュッフェで好きなデザート多めに取る方がおすすめです。
そんな訳で、重症の副鼻腔炎をこじらせて呼吸しにくくなってしまい、また霊障か、と思ったりもしていたのですが、いつもの整骨院で施術してもらったら、呼吸が楽になりまして。
副鼻腔炎&喘息で背中がガチガチに硬直してしまっていたことから、呼吸がしづらくなっていた、ということもわかりました!
それ以来、背中をストレッチしたり、肩甲骨周りの筋膜リリースグッズを使ったりして、背中が硬直しないようにしています。
その一方で、副鼻腔炎の原因の一つにインナーチャイルドがあるように感じたことから、インナーチャイルドのヒーリングもやるようにしました。
検索して調べたら、ローズクオーツが効果があるとのことでしたが、私の場合はラブラドライトの方が効果があるように感じました。
それで、↑の記事も改めて読み返してみたのですが。
インナーチャイルドのトラウマの根源は、両親、特に母親が他人から必要以上に高く評価されたがることだった、のですが、その反動なのか、それとも私自身の魂の設定というか元々の性質なのか、他人からどう見られようと全く意に介さない、ということも改めて気がつきました。
私のこの性格は、幼少期からずっとそうだったので、今まで全く気にしていませんでしたし、社会人になってから、テレビ番組で瀬戸内寂聴さんが「他人なんて無責任だから好き勝手なことを言うんですよ」と話されていたのを聞いて、「やっぱり私の考え方は間違っていなかった」と自信を持つようになりました。
そういうこともありまして、両親、特に母親の言うことがバカバカしいと感じるようになり、更に自分が親になって母親の口先ばっかりで内容が全く伴っていない、という実態が見えるようになってからは、母親の言動が「愚の骨頂」にしか見えなくなり、さらには父ですら頭が悪い田舎者にしか見えなくなりました(^_^;)
私が他人の思惑を歯牙にかけないのは、「他人の思惑なんて気にしてたら、好きなことなんてできない」と思うからだったのですが、更に年頃になって恋愛するようにもなると、「相手に好かれようとして自分を良く見せようとしても、疲れるだけ」ということを悟ってからは、更に「そんなことに余計なエネルギーを使いたくない」と思うようになりました。
ただ、昔はお洒落は好きだったので、恋愛とか関係なく着飾っていましたが、コロナ禍前後からは心身の負担にならないものしか身に着けたくない、と思うようになりまして。
20代の頃、特に大学生の頃の服やアクセサリーや化粧品へのこだわりの強さが嘘のように感じるぐらい、今は服装に無頓着になっています。
それはともかくとして。
昨年末以降、ハンドメイド作家仲間のママ友との関係の変化が表面化したことについて、改めて振り返ってみましたら。
ママ友は、私が単なる自己開示として情報をオープンにしているだけのことであっても、自慢されていると解釈するから、対抗意識をむき出しにしたり、マウンティングしたりするんだな、と感じまして、それは、私がその話をしている意図まで読み取る能力が欠落しているからなんだな、と思いました。
早い話が、行間を読むことができない人、ということですね。
私の母親もそうですが、そういう人は自分が見ている、感じる世界だけが全てで、相手は同じ物を見ていたとしても、自分とは見え方も感じ方も全く違う、ということが理解できない、ということなんだと思います。
↑の記事で書いた、ママ友と兄弟構成がよく似ている知人も恐らく、同じカテゴリーの人で、この人は色々なスピリチュアルリーダーに就いて学んで、複数の資格を持っていた人なんですが、師匠から教わったことに徹底的に忠実ではあるんだけれども、ただ忠実であるだけで、応用が全くできず、自分のものにできていない人でした。
多分、応用するということが考え至らない人なんだと思うのですが。
応用できるレベルに自分のものにするということは、本質をきちんと理解できていないとできないことなんですが、こういう、教わったことに忠実だけれども、応用が全くできないという人は、多分、自分が本質を全く理解できていないことにすら気づかないんだな、と思いました。
わかりやすく、野球に例えますと、コーチから教わった通りのフォームで素振りをしたり、投げたり、捕球したりすることはできるんだと思います。
でも、試合に出ると、打てないし、打球が飛んできても捕れないし、ピッチャーやっても、すぐに打たれてしまって、選手としては全く使い物にならない訳です。
ママ友も、多分、高校生の時まではそれなりに成績は良かったんだと思います。
でも、学校で先生から習ったことを覚えているだけだったので、定期テストで良い成績は取れても、大学入試では合格できるような点数は取れなかったということなんだな、と思いました。
そういう人達から見ると、私は全然不真面目でいい加減な人間なように見えるだろうし、自分の方がよっぽど努力しているのに、努力も苦労もしてない癖に得ばっかりしてる!という風に見えるんだな、ということに気がつきました。
逆に私から見ると、そういう人達はどうでも良いことにばっかりエネルギーを無駄遣いするけど、大事なことは何一つわかっていない、という風にしか見えないんですけれども。
更に、そういう人は親や学校の先生からほめられて、認められて育ってきたから、自分が大事なことが見えていない、ということが理解できないし、そのことを大人になってから指摘されても受け入れることができないんですね。
私は、母親からネグレクトされて育ってきたので、自分で考えて何とかするしかやりようがない状況で生きてきましたので、どんな逆境でも、誰も助けてくれないから、自分で知恵を絞って乗り越えないと生きていくことができませんでした。
普通の人なら、親が助けてくれますが、その親が知らん顔を決め込んでしまい、更に他の大人に助けを求めても、親がそれを妨害してしまいましたので。
だから、自分で知恵を絞って考え、打開策を見つけて、やっとこさ、何とかここまで生きてこられました。
私の両親は、私が何とか自力で生きてこられたことで、ボロがでなかっただけだったことを、親として何もしなかったどころか、足を引っ張って妨害までしたということに気づくことができない、ということにも、今回、インナーチャイルドと向き合ったことで初めて気がつきました。
、私が自殺しても、多分、夫だとか息子だとか、舅だとか、自分以外の者のせいにして、反省することはない、ということも明白ですので、私が彼らを殺すことでもない限り、彼らが自分達の根本的な考えの間違いに気づくことはない、ということもわかりました。
私も、そんな出来が悪い両親のせいで自分の人生を台無しにしたくはないので、それはやりませんが。
もしかして、私の両親が一番恐れていることは、彼らが死んでも、私が全く悲しまない、むしろ喜ぶことや、葬儀に出ることもなければ、墓や位牌に手を合わせることもしないことかもしれない、と思いました。
両親が死んでも私が全く悲しまないことと、葬儀に出ることを拒否することは、既に確定していますし、それは両親の自己責任でしかないのですが。
その後のことは、両親が己の間違いを認めて受け入れることができるかどうかで、変わる可能性がなくはないとも思いました。
今までの過去生では、多分、両親が私を殺して、処罰されるとか報復を受けるというような報いを受けるか、逆に私に殺されるというか処刑されるという形で終わったんだと思いますが。
現世ではそういうバッドエンドにはせず、更に という記事に書いたように「私が経験した苦しみを一億倍味あわせる」という報復や「七回生まれ変わって報復する」というようなカルマの繰り越しもせずに根本的な考え方や価値観の間違いに気づかせて改めてさせること、がカルマの解消になるのかな、と思いました。
