和歌山県~兵庫県 写生旅行(2015年5月)その2 | 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

後藤仁ブログ2~絵師(日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙)後藤仁の日本画・絵本・展覧会便り。東京藝大日本画卒,後藤純男門下。「アジア/日本の美人画」をテーマに描く。東京藝大,東京造形大講師。金唐革紙製作技術保持。日本美術家連盟,絵本学会,日中文化交流協会会員。

 2015年5月10日の 「後藤 仁 絵本原画展」 (和歌山県有田川町 JR藤並駅)のギャラリートーク・絵本朗読会という重責を終えました。当日は、なつかしい親戚から中学校と高校の恩師にまで再会でき、記帳によると小学校の恩師も別の日に来館されていた様で、その他、定員を超える多くの絵本ファンの皆様にお越しいただきました。

 5月11日。ご来館された皆様の顔を思い返し、「遠くまで出向いて良かったな・・・・」と回想しつつ、車窓を通り過ぎる風景をボンヤリと眺めていました。特急くろしお と新幹線を乗り継いで、夕方には故郷の兵庫県赤穂(あこう)市に着きました。ここには私のアトリエを兼ねた隠れ家があります。


 5月12日、この日は、私も所属する「この本だいすきの会(代表:小松崎 進 先生)」の上郡(かみごおり)支部の方にお会いする約束がありました。赤穂から車で20分あまりで上郡に着きます。その方が言うには、絵本画家の秋野亥左牟(いさむ)さんのアトリエがあるとか何とかという事で半信半疑ながら行ってみると、本当にアトリエ(現在は展示館になっています。)があり亥左牟さんの奥様が出迎えてくれました。秋野亥左牟さんは数年前に亡くなられたそうです。   

 私が絵本の仕事を始めた時、最初に福音館書店編集部の方が見本として持ってこられた絵本が、秋野亥左牟さんの『プンク マインチャ』と秋野不矩先生の『きんいろのしか』でした。『プンク マインチャ』はアジア好きネパール好きの私にとって、とても刺激的な絵本でした。強烈な色彩と不思議な画面構成に驚いたものです。秋野不矩先生は文化勲章も受章された日本画界の巨匠のお一人で、私は大学生の頃より存じており、私も興味の深いインドをテーマに描かれており、関心の高い日本画家でもありました。秋野不矩先生のご子息が亥左牟さんだと知ったのはごく最近です。

 少々テンションの上がった私は、亥左牟さんの原画を拝見したり、奥様から生前の亥左牟さんのお話しを聴いたりと、誠にうれしい時間を過ごしました。思いがけなく、奥様から亥左牟さんの絵本『神々の母に捧げる詩』(福音館書店)をプレゼントされ、亥左牟さんの手彫りの印章を押してもよいという事で、秋野不矩先生ご愛用の印泥(いんでい。一般に言う朱肉にあたるもの)を使わさせていただき押印しました。秋野不矩先生の手のぬくもりが印合(いんごう。印泥を入れた陶磁器等の器)から伝わって来て、亥左牟さんが押したであろう印章からも「次の時代を頼むぞ。」という声が聞こえてくる様で、絵描きならではの興趣にふけっていました・・・。

 絵描きにとっての貴重なこの経験は、決して忘れる事はないでしょう。生前の亥左牟さんとお話しができなかった事は実に残念ですが、私の生まれ故郷の赤穂のこんな近くに、秋野亥左牟さんの終(つい)のアトリエがあったとは、何かしらのご縁を感じずにはいられません。



兵庫の旅
 秋野不矩先生の印泥と、秋野亥左牟さんの手彫り印章


 5月13日から14日は一泊二日で、兵庫県の出石(いずし)と丹波篠山(たんばささやま)を回る事にしました。兵庫県周辺はほとんどの見どころを網羅しているのですが、それでもまだ訪れた事のない土地は残っています。

 13日の昼前に車で出石に到着。赤穂から山陽自動車道等を経由して3時間弱でしたでしょうか。出石城跡からかなり急な山道を登り、山頂の有子山(ありこやま)城跡に着きました。ここからは出石の街並みが一望でき爽快です。他には誰一人登って来ないので、風景も独り占めです。ここで持参したおにぎりをほおばりました~山頂での弁当は美味しいネ     ( ^^) _U~~ 。



兵庫の旅

 有子山城跡から出石の街並みを望む


 山をおりてふもとの神社仏閣を拝観しました。経王寺(きょうおうじ)という寺を出て、周囲を興味津々で見まわしながら歩いていると、何やら妙に弾力のある物を踏み付けました。足元を見ると蛇をまともに踏んでいるではありませんか。驚いた私は「ヒョーット」と奇妙な声を上げて飛びのきました。変な声を出してしまったので周りに人がいないか確認しましたが、誰もいなくてシーンとしており、ただの独り遊びでした。その蛇をよく見るとマムシです !('Д')! 。

 私は小学校2~3年生位の時に父の実家の大垣(おおがき)で、マムシに遭遇した事がありました。側溝のふたの隙間に蛇がとぐろを巻いていたので、興味本位で手を出すと、スッと飛びついて来て親指に牙がかすりました。子供の頃のやんちゃな私は度々シマヘビ等をつかまえては遊んでいたのですが、その時は子供ながらに危ないものを直感して、その場を去りました。蛇の体の不気味な小判模様が頭に焼き付きました。それがマムシだと知ったのは、随分後の中学~高校生の頃です。

 人生で2度目のマムシとの遭遇です。すかさず観察しました。マムシは私の方に鎌首をもたげ、しっぽの先を振って、威嚇して来ました。ガラガラヘビの様にしっぽの先を振るとシュルシュルと警告音がしました。マムシは普通の蛇より小さめですが、胴体は結構太くて、顔のえらがはっており、しっぽは急速に細くなっています。エサでお腹のふくれたマムシをツチノコだと思い込んだという説は納得できます。スケッチしようと思ったのですが、すぐに岩の隙間に逃げて行ってしまい写真におさめただけでした。しかし、子供の時もそうですが、今回も一歩間違えたら噛まれていたかも知れず危ない所でした。


兵庫の旅

 威嚇して来るマムシ


 その後、出石明治館、宗鏡寺(すきょうじ)と回りました。宗鏡寺は別名、沢庵寺(たくあんでら)と呼ばれ沢庵和尚が修業した事で知られています。寺の若いご住職が丁寧に庭の解説をしてくれました。ここの庭園はとても美しくてゆったりと観賞できます。

 次に暑い日差しの中、酒蔵(出石酒造)を1時間近くスケッチしました。その後、出石史料館、辰鼓楼を見て、ここの名物・出石皿そばを「正覚田中屋」で食べました。小皿に盛られたそばは見た目も楽しいものです。


兵庫の旅

 宗鏡寺宗鏡寺(沢庵寺)


兵庫の旅

 出石皿そば(正覚田中屋)


 その後、おりゅう灯籠(船着場灯籠)、見性寺(けんしょうじ)、出石永楽館(近畿最古の芝居小屋)を回ると夕方になっていました。城下町の風情を思いっきり楽しめた私はひとまず満足し、次の丹波篠山を目指して地図と格闘しながら車を進めました。


 薄暗くなる頃、丹波篠山に到着。少々道に迷いながら、ガイドブックで見当を付けておいた「県立新たんば荘」という宿に飛び込みました。素泊まりで5940円です。明日は丹波篠山の街並みを歩きますが、その模様は次回といたしましょう。


  日本画家・絵本画家 後藤 仁