こんにちはナカジーです。
昨日のブログでは音楽・映像配信が招いた功罪について書きました。
45年前はLed Zeppelinの映画を遠く名古屋まで道に迷いながら観に行き、そこで観た曲をギターで弾けるまで膨大な時間と学生にとっては痛すぎる出費を費やしたのが、現在ではスマホをタップするだけの一瞬の時間とほぼ無償で譜面も手に入れることが出来ます。
まさにミュージシャンやプロデューサーをはじめとした制作スタッフ、そして周辺のビジネス関係者さらにCDショップに楽器屋さんにとっては本当に”地獄に真っ逆さま”ですよね。
というかすでに仕事を引退したり、店を閉めたしまった方も多いかと思います。
しかしながらこの厳しい現実は元に戻ることは決してありません。
先日ある女性ミュージシャンが「サブスクを考えた人は地獄に落ちて欲しい。」と発言し話題になりましたが、言葉の表現は違えど往年のミュージシャンは少なからず同じ感情は抱いているかと思います。
サブスクを批判する曲では「斉藤和義」の”さよならキャデラック”が風刺が効いていてユニークで、まるで酔った勢いで文句言ってる痛快さすら覚えます。
”昔は一発ヒット曲を当てればキャデラックが買えたのが、その夢も過去のもので、作る側が試行錯誤しながら考えたアルバムの曲順も好きなようにシャッフルされる始末”と的を得ています。(でもこの曲をボクが知ったのもサブスクなんですよね。)
ボク自身が音楽配信を相当利用しているので、それに対しての評価をするのは馬鹿げたことになってしまうので避けますが、「人は便利になった状態からは容易には引き返らない。」ことは事実だと思います。
音楽や映像などの分かり易い業界から例をあげて長々と文章を書きましたが、自分の周辺、あるいはあなたの会社や業界などは過去から劇的に変化していますか?
もし変化の度合いが少なければ、それはピンチでありチャンスでもあるということではないでしょうか?
Led Zeppelinを聴きながら昔を思い出し、そんなことを延々考えていた週末の夜でした。
でも変わらないのはロックの名曲の数々とそれぞれにまつわる思い出はボクの中では永遠ということです。