いとうあさが所属する劇団 山田ジャパン

今回は、愛称 蔑称

今回はかなりの社会派の話でした。


とある長閑な地方の町の中学校に東京から転校生がやってきた。


そして、いきなり母親が職員室に怒鳴り込んでくる。

理由は、息子が学校であだ名で呼ばれた。

あだ名は禁止せよ。


地方の先生たちは何を言っているのか意味がわからず、、、


あだ名で生徒の距離感が縮まり友達になれる。

なぜあだ名が禁止なのか。


実はこの転校生には兄がおり、東京であだ名をきっかけにいじめにあい、不登校に。


今時の話題です。


確かに悪意のあるあだ名や、本人が嫌なあだ名って存在する。

あだ名と蔑称の境目って曖昧。


でも、あだ名を禁止にしたとて、むしろ、蔑称は裏でささやかれ、いじめは減らないのでは?

表面的につくろうことに意味があるのか?

それより社会に出るにあたって人との距離感含めて人間関係の構築を身につけた方がいいのでは?


なんて思いながら見てました。


不適切にもほどがある

というドラマがちょうど話題になり、私自身も最近のコンプラ主張のご時世、なんでも平等にという空気感に嫌気がさしていたので、このテーマ、この母親に対してこういう極端な人がいるからおかしくなるんだよなぁって、拒否感丸出して観劇。


でも、舞台上の先生たちが偉いのは、なんとか理解しようと話し合いを持つ。

そして、都会で起きているこの風潮を調べて、自分たちとの感覚の違いを学ぼうとする。

アップデートの必要性もあるのでは?と。


偉いなぁ。私はアップデートって、本当にアップデートになってるのか?

長い歴史の中で最適化されてきたこともあるのにね。


今回は観劇しながら本当にいろんなことを考えました。

観劇終わってからも。

自分と違う考えを頭ごなしに拒否しようとしがちだった自分に反省。

考えさせるきっかけを作ってくれた山田ジャパンに感謝。


資本主義と共産主義で世界が二つに分かれた昭和。

自分たちが選んだ資本主義が正解だったと思いたい、そうするために世の中頑張った時代。

経済成長で、誰でも頑張れば頑張っただけのものを手に入れられた時代。

だから、平等なんていう考えは必要なかった。

だから資本主義が輝いていた。


考えてみれば、経済成長が止まって何十年か経ち、今の若者は頑張っても何も手に入らない、なのに、格差が広がる。

なんか不公平じゃないか?

平等、公平であるべきでは?


そんなふうに時代は変わってきてしまったんだなぁ、と妙に腑に落ちました。