今週の出張は東北。
東日本大震災から7年たち、少し記憶が風化してきたこの時期に、あえて三陸の状況が知りたくて 岩手の宮古にいくことに。
乗車した新幹線は盛岡で秋田へいく車両と函館にいく車両に分かれる。
盛岡から宮古へは車で移動。
思った以上に内陸にある盛岡。
高速はなく山道を百キロ以上の移動。
二時間以上かかったので、宮古についたら夜です。
震災復興以前に岩手の交通事情の悪さに驚く、、
そして、夜の宮古の町は意外にも賑やかにみえ、復興を遂げているように感じました。
駅前のお店は昔からの装いで津波の被害は感じられず、お店が連なる。
よかった。
夜の会食はそんな駅前の人気店
ホテルはルートイン宮古
目の前は海。絶対に津波が来てるはずの場所に背の低い横広のホテル。アメリカのモーテルみたい、
調べてみたらやっぱり復興支援ホテルとして2013年に建てられてました。
被災したゴルフ練習場の跡地に建てられたもので復興の作業員の方達が泊まれるようにとのこと。
7年たった今も作業員のかたが多く泊まられてました。やっぱり復興は終わってないんですね。
そして、ホテルの目の前は、海ですが国道と海の間には無機質な塀が、、
↓グーグルマップの写真です
(被害のあった場所を撮るのが憚られたので、写真はネットから)
駅前は震災の痕はわかりませんでしたが、少し海岸へ移動しだけで街中に津波の高さを表す標識が。
一階部分は浸水してたようです。
宮古駅前から北上します、
景勝地の浄土ケ浜
途中にある中の浜の震災メモリアルパークへ。
ここはキャンプ場だった場所で15メートルの津波が押し寄せ全てを破壊された場所。
そのままの様子を保存されてます。
写真はグーグルマップとホームページから。
キャンプのお手洗いは流されずに残ってます。
ズタズタにされてますが。
こちらは炊事棟。
山の壁面には津波の高さが印されてますが驚くほど高い位置です。
そして、最後に田老町へ。
万里の長城と言われる高さが10メートルの防潮堤を備え津波対策万全と言われた町。
しかし、津波は簡単に防潮堤を乗り越えて、町を破壊し尽くした。
道の駅や復興建設の野球場が海ぎわにポツンとある。
あとは瓦礫を撤去し土地をならして止まっている。
そこに海に向かって異様な違和感で立つ人工建造物の壁
↓写真はネットニュースより
まるで、進撃の巨人にでてくる壁のよう。
高さ15メートル。
外と内を遮断する壁。
そこにあるはずの海は見えない。
壁の内側にできる町は
もはや海とともに生きる町ではない。
海と決別した町のように見える。
100年に一度ぐらいに起こる自然の力、地球の力の暴発を人が完全に抑え込むなんてことはできないんじゃないでしょうか。
巨大な防潮堤をみるとバベルの塔の話を思い浮かべてしまいました。
どんなに壁を高くしても想定外の事態は起こる。
ならば、人の命を救うべく避難ルートの改善を図る、脚の悪い人や老人などどんな方でもすぐに逃げられるルートを確保する。
どうしても被害を受けたくないのなら高台に移り住む。
海とともに生きる町はどうあるべきなのだろうか。
復興とはどうあるべきなのか、災害から守る街づくりとはどうあるべきなのか、根本的なことを改めて考えさせられました。