今朝、25日の中日新聞に
インタビューが載りました♪
田舎の虚弱な中学生が
病棟で猛勉強をして
無理めな名門進学校に進み、
燃え尽き症候群から
わかりやすく問題児になり、
でも決定的な夢を見つけて、
その方向だけを定めて
テレビ局のADを始めた後に
上京して声優になったお話です。
持病と付き合いながらの
私の、全体的に無謀な
決してお手本にはならない
青春時代を語った上で、
若者たちへのエールを
全力で送ってみたつもりです。
機会があったら
ぜひ読んでみてください♪♪
そうそう、取材時に、
「高校時代の日常のお写真を
お借りできれば」
との打診があったのですが…、
日常の写真が無いの(;・∀・)
そもそも写真自体が少ないの!
同級生に聞いてみても
みんな同じ写真しか持ってない。
そりゃそうだ、
同じフィルム焼き増したんだから。
そう、私たちの学生時代には
スマホも携帯もデジカメも
プリクラもポケベルも
ありませんでした。
写真を撮る手段は
インスタントカメラ、一択。
カメラ自体が決して安くはなく、
そのフィルムの現像にも、
当然焼き増しにも
お金がかかるので、
そもそも、日常、撮らない。
特別な日しか撮らない。
なのでかき集めた写真は
遠足、体育祭、修学旅行、
お花見、卒業旅行と、
日常にかすらない
行楽のものでした( ;∀;)
この中では一番日常っぽい?
体育祭の写真が載りました♪
私たちの高校は体育祭の時に、
それぞれのチームカラーの
手作りグッズを作るのが
伝統でした。
写真を見て改めて
思い返せたのが嬉しい。
うちのチームは
黄色だったよね。
当時流行っていたミサンガ風に
ハチマキを編んだんだよ。
懐かしいなぁ(*^-^*)
こっちは修学旅行で行った
淡路島の旅館での1枚。
「何の場面なんですか?」
「そして何で後藤さん
バナナ持ってるんですか?」
と記者の方に聞かれました。
はい。
この過程、覚えています。
普段、頑なにスカートを
穿かなかった私を
見かねていた友人が
「旅館の大広間で催される
阿波踊り大会で、
うちのクラスが優勝したら
スカートを穿くってどう?」
なんてことを言い出しました。
ノリで了承したら
うちのクラス優勝しまして。
てゆうかこの賭けのために
何故かえらい気合いで踊った
メンバーが数人いまして
ぶっちぎりの優勝!( ゚Д゚)
ミニスカートを穿くことに
なった訳です。
そんな私のスカート姿を見ようと
他クラスの子も集まってきて、
撮影会になりました。
その時の写真です。
そしてバナナは
大会優勝の賞品です。
もぐもぐ。
当時の体重は68kg。
かなりボリューミーですね。
薬の副作用でむくんでいるのだと
言い続けていました。
太い足を出したくないと
パンツスタイルに徹していました。
そんな恥ずかしがり屋の
思春期の私に…
この先の人生、
この比じゃないレベルの
凄まじい衣装を
何のためらいも無く着るような
人間になるんだ!君は!!
安心しなさい!!
と言ってあげたい!(笑)
いやそれもいろいろ間違い!
こうしてミニスカートを
恥ずかしがりながらも
大笑いして穿いている。
あんなに全力で
阿波踊りを踊った友人たちを
思い出すと今も笑える。
なんて良い思い出♪
さて最後に、
ラジオやイベントで
折に触れ語ってきた
履歴書に同封した
中国服の写真がこれです。
採用して下さった会社の皆様
正気ですか?
広い心で受け止めていただき、
本当にありがとうございました!
おかげさまで
いまの私があります。
ふぅ♪
写真を撮る回数が
少ないからこそなのか、
一枚一枚、
それがどんな場面だったのか
具体的に思い出せる。
こんなことを
高校の友人たちとの
グループラインで
久しぶりに話しました♪
さらに中日新聞の誌面も
写メってくれました。
こんな感じ。
嬉しい!!
私たちの母校の
100周年記念の企画、
「ヤリ高」と言う
ニックネームで呼ばれていた
母校ならではの
「一本槍」と言うタイトル
お気に入りです(*^-^*)