嬉しいことと哀しいことが同時にありました。
ここには嬉しいことだけ書こうか迷ったけど、
みんなにも聞いてほしくなっちゃって…
今日は哀しいことを書きます。

私と同じように長期入院してる患者さん達は
それぞれ薬の強さは違っても似た治療をしてる人が多いです。
だから知り合ってすぐに仲良くなったりするんだけど、
途中で白血球が減り過ぎて治療を続けられなくなった人や、
緩和ケアに移ってしまった人や、
亡くなってしまった人もいて、
私はこの半年間で知り合った何人かを見送りました。

連日苦しいねって愚痴って、
「ご飯食べられないけどメロンならいけるわ!」
とか言ってお互いのお見舞いを分けあって、
看護師さんの誰が採血上手だなんて情報交換して、
先は長いけど頑張ろうねって励ましあった人達。
私が最後まで乗りきれたのは
彼女達のおかげであるところがとても大きいのです。

中でも1人。
特別に仲良くなった人がいました。
4年間闘病を続けている癌の患者さんでした。
いつも優しく朗らかで、そんなに重い症状だと思わなかった。
私は治療の辛さで余裕を無くしてて、
ずいぶん傲慢な性格になってたから。
すぐに不機嫌になったり、我が儘を言ったり、
周りを気遣えず、理由も無くイライラし
自分がどんどん嫌なヤツになっていくのがわかったけど
こんなに辛いんだから仕方ないって言い訳してました。
でもそんな自分が嫌いでした。

彼女は私より強い薬を長年使ってて、
輸血も採血も私よりずっと多くて、
骨も血管も脆くなってるから全ての処置が大変で、
なのに新人の看護師さんに注射失敗しまくられても
ユーモアなんか混ぜて笑ってあげてた。
私だったらできない。
でも、できたい。(変な日本語)
弱っても辛くても、人に優しくあることは可能なんだと、
荒んでた私に見せてくれた彼女をとても好きになりました。

院内に飾られた七夕の短冊にこっそり
私の病気が治るようにと書いてくれていました。
いつだったか談話室にたむろする高校生を叱った時も
患者が勝手なことしちゃいけないって
私は病院側から注意されたんだけど、
彼女は、あなたは正しいことをしたんだからって。
きっと彼らのためにもなったって。
体の自由が利いたら私も一緒に談話室まで
叱りに行ったのにって言ってくれました。
一番欲しい言葉をくれる人でした。

ついこの間、彼女は亡くなりました。
治療のインターバルで自宅待機してた時に容態が急変しました。
私達はちょくちょくメールしてたけど、
彼女からの「全く歩けなくなっちゃった(+o+)」
と言う報せに返信した私のメールへの返信は
彼女の娘さんから届きました。

彼女は友達であり、灯台でした。
正しい方角を照らしてくれた。
彼女が大丈夫って言ってくれれば大丈夫な気がした。

娘さんのメールに
「私にはもったいないくらいの素敵なお母さんでした」
と書いてありました。
これほど幸せな言葉はないと思う。
最期は穏やかな、笑っているような顔だったそうです。
長く戦ってきた彼女が安らかであればいいと思います。
今はたまらなく寂しいけど。
私はあなたに学んで、救われて、
あなたのようになりたいと思った。
この病気になって1つだけ幸運だったことは
あなたに会えたことでした。

彼女が仲良しのご主人と経営するお店にサインを描きました。
私は病院内では名前も職業も伏せてもらってるけど
彼女には声優だと明かしました。
(実は娘さんが気付いてくれていたそうです。)
サインすごく喜んでくれて嬉しかった。
最初で最後のプレゼント。
明日からかな?お店に飾ってくれるそうです。
みんなも近くに来たらぜひ寄って見てみてね。
久しぶりの力作なんだ(*^_^*)v
後藤邑子のTSUBUYAKI

一緒に4人部屋で過ごした頃は夏でしたね。
晴れると遠くの山が海のように見えましたね。
心からご冥福を祈ります。
さようなら、大好きな人。
ありがとう。忘れません。
後藤邑子のTSUBUYAKI