昔ばなし。 | 後藤邑子のTSUBUYAKI
2012-07-09 17:09:16

昔ばなし。

テーマ:闘病・治療
今日のブログは長くなります。なんせ私のほぼ半生ですから。
途中で飽きちゃうかもしれません。
でもよかったら最後まで付き合ってください。

以前のブログで中学の時に似た病気で闘病したと書きましたが、
退院してもその自己免疫疾患は治った訳じゃありません。
突発性血小板減少性紫斑病と言うもので、
基本的にずっと治療していかなければいけない病気です。

でも運良く受験に間に合い無事高校生になった私は、
体育の授業に参加できない以外は
それなりに普通の生活が送れてラッキーなんて思ってました。
人より弱めの体でも用心していれば長く生きられる。
それが何より大事な気がしていました。
実は東京での学生生活に憧れていたけど、
愛知県の大学に進んだのは市役所の職員になるためです。
当時、私の通った高校を出て私の通った大学を出れば
確実に地元市役所に入れると言われていました。
市役所の仕事を軽く考えた訳じゃないですが、
県庁でなく大きな市役所でもない地元の市役所、しかも近所だったら
身体に負担をかけずに働けると思ったのです。何より公務員。
長期の入院をしたとしても辞めさせられることはまずないだろうと、
そんな若者らしくない発想で地元の大学への進学を決めました。
いつしか私は希望を持たないことに長けた
やや枯れ気味の高校生になっていました。

でも、ある時、
好きなこともやりたいことも1度も考えずに、
そうまでして長く生きたいのって何故だろうと、
長さ自体に価値があるんだろうかと突然考えてしまいました。
それまでは敢えて考えずにいた気がします。
考えてしまえば我慢しなければいけなくなる。
両親は絶対に反対するだろうし、
経済的に自立していない私は自力では行動出来ない。
アルバイトをしようにも体力的に厳しいだろう。
結果諦めなければいけないなら妙な欲はかきたくない。
でもしまった。ついうっかり考えてしまった。

私は無宗教だから何の意味も使命もなく
自分は偶然この世に生まれたんだろうと思っています。
何かを背負う気も、生きる意義を考える気もありません。
でも限られた時間確かに生きるんだったら、
楽しい時間が多い方がいいんじゃないかと思いました。
ちょっと人生が短くなったってその方が価値があるんじゃないかと、
そう考え始めたらどうにも止まらなくなり、
勢い大学を中退して上京してしまった訳です。

親に内緒で退学届けを書きました。筆跡を変えて父親の署名をしました。
印鑑を買って押印した時にはもう心は落ち着いていました。
考え始めてから1週間後の行動だったので、
今思い返しても我ながら驚きのスピードです。

両親は泣きました。
両親が諦める番です。
1度言い出したら人の言うことを聞かない娘です。
父が先に頷きました。
最後まで反対したら邑子が家に帰りにくくなる。
だから家の敷居を低くするために父さんは賛成する。と言いました。
私はこの言葉をずっと忘れません。。
無理をしないこと、病院に通うことを約束して私は上京しました。

上京してからもずっと用心してやってきたつもりでした。
東京の病院に治療を引き継いでもらって毎週血液検査を受けました。
業界の飲み会に参加しなかったのも苦手と言うよりは体力温存です。
プライベートでは配送の病人食を食べました。
大好きなお酒は医者がオッケーだと言うので勿論飲みましたが、
睡眠時間も長く取り、週に3日は事務所に休みをもらう。
新人にしては珍しく、且つ、けしからん態度ですが、
持病があることを知らせていたので許されました。

でも仕事が楽しくなってしまったらもうダメでした。
無理をしてでもやりたいものはやりたいし、
私を選んでくれたんだったら全部の期待に応えたい。
そんな役者として当然の欲が出てきてしまいました。
私にとってそれだけこの仕事が楽しかったと言うことです。
夢中でした。
15歳の時からずっと色々なことを我慢してきました。
何1つ本気で打ち込んだことがありませんでした。
私はもう、やりたいことを何も我慢したくなかった。

そうして何年もするうちに血液の数値はどんどん下がっていきました。
当然体にも自覚できるくらいの症状が現れてきました。
だから本当は私は何年も前から
自分の病気が悪化していることを知っていました。
そのうち別の免疫疾患が発症した疑いが出て
主治医に改めて精密検査を勧められましたが
一次検査でひっかかったので二次検査を受けに行きませんでした。
きっと良くない結果が出ると思ったからです。
目の前にこんなにやりたい仕事があるのに
ここで止まりたくないと思いました。
そのうち倒れてもいいから今は走りたいと。
それから病院に行かなくなりました。
私はついに両親との約束を破りました。
実家に帰るたびに何度も検査結果は良好だと嘘をつきました。

3年くらい前から全身の痛みが我慢できなくなって、
痛み止めを飲みながら仕事をするようになりました。
そのうちスタジオで立ったり座ったりするのもしんどくなりました。
何とか保たせられないかと統合医療の病院に通ったけど無理でした。
去年から誰かに支えてもらわないと階段の登り降りが出来なくなりました。
収録は1人だけの抜き録りにしてもらいました。
イベントでは常に椅子を出してもらいました。
周りに心配させまいと思いながら、
私は周りに心配と迷惑をかけ続けました。

そしてついに事務所が嫌がる私を半ば力ずくで病院に運びこんで、
今にいたる訳です。

本当にありがたい。

私は自分のことばかり考えて、
そのうち倒れてもいいから今は走ろうなんて
一人よがりな覚悟をしました。
勝手です。なんてアホだったんだと思います。
その間ずっと見守ってた人達はどんな気持ちでいただろう。
そんなことも分からない私は本当に頭が悪い。

私が倒れてこんなに心配してこんなに悲しんでくれる人達がいました。
父さん母さんはもちろん、
スタッフ、友達、コメントやメールをくれるみんな、
私はやっとそのことに気付きました。
気付かせてくれたのはみんなの言葉です。
本当に遅いけど、ありがとう。

ここまで痛いことをたくさん書いたけど、
今回入院して何より嬉しい発見がありました。

自己免疫疾患の治療法がほぼ確立されていたことです。
私が15歳だった頃はまだほとんどの免疫疾患が
原因不明、不治と言われぶっちゃけ一か八かの方法が取られていました。
当時の主治医は両親に死の告知をしました。
それから20年以上の時間が経ったのが大きいのでしょう。
(あらおかしい。公表年齢と微妙に計算が合わないわ。)
症例数が多かったのも功を奏したのだと思います。
知らない間に医療は進んで、ほとんどが完治しないまでも
上手くコントロールして付き合っていける病気になっていました。
そんなことも知らず私は1人で足掻いていた訳です。
新たな自己免疫疾患の病名は全身性エリテマトーデスでした。
紫斑病を持ってる人はこっちにもなりやすいとのこと。
それを私に告げた主治医も
「この病気では死にません。それよりあなた、心臓です。」と言いました。
その時私はポカンとまぬけな顔をしていたと思います。
だって昔言われたこととあんまり違うんだもの。

今回このブログを書こうと思ったのは、
コメント欄に書いてくれた人はもちろん、
HPのメールに闘病中の人から多くのメールが届いたからです。
正直こんなにも大勢いるの?と驚きました。
でも皆さんが私にメールをくれたこととても嬉しかったです。
多くのメールに私のように明るく前向きになりたいと書いてありました。
だから、私も同じだよと言いたかったのです。
みんなのお手本になれるような病人では決してないです。
迷惑かけて、心配させて、嘘もついて、無知でネガティブなアホです。
考え方なんて中学生の頃から今の今までブレまくってます。
私の言葉で皆さんを救えるなんて思いません。ただ、
そうか、後藤さんもこんな風だったのかと、
皆さんの気持ちがほんの少しでも軽くなったらいいなと思います。

長い長いブログ。
最後まで付き合ってくれてありがとう。
次回からはまた日常のブログを書くね
(*^▽^*)

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