ガットハロのブログ’混石’ -48ページ目

Eyes On Me

 パソコンの画面の一点だけ色が出なくなった。出なくなったと言っても光っている。白だか緑だかわからないがとにかく周りと違う一色で光り続けているのだ。ここまで10年以上パソコンをいじってきて初めて遭遇。これがあの「ドット落ち」というやつか。ほうほう。


 その時までは自分をそんなにパソコンの画像がどうとか解像度がああだとかウダウダ言わない人間であると認識しており、どうということはないぞよっしゃよっしゃと鷹揚に構えていたのである。いた。過去形。


気になるのだこれが。


 何光ってんのお前。何一人だけ目立とうとしてんの。どうせ目立つんなら光り方どうこうしてないでビームとか声の一つも出してみろや。「撃つぞおーっ」とか叫んでマウス蒸発させて見せろや。出来ねえべこのノーマルタイプ。文字通りグウの音も出ねえだろ平面野郎。出すなよ怖いから。


 と、一人部屋に座って液晶画面を相手におしゃべりしてもドット落ちは治らない。もちろんアムロの声もビームも出ない。そしてやっぱり気になる。


 理性的に考えれば本当にどうでもいいことのはずで、じきにそんな問題が起きた事すら忘れてしまうだろう。だのに何故今、こんなに気になるか。


そこばっかり見るからだ。


 現状を言うなら私のモニターにおけるドット落ちは画面中ほどのごく下段。我らがウィンドウズのメニューバー様が鎮座まします場所であり、あらゆる作業においてまじまじと見るような場所ではない。しかし見てしまうのだ。現に今も見てる。だから見るなってのに。


 しつこいようだが、これは知らなければ全く気にならない余計なことである。知らなければ、うちのパソコンいいパソコン/歌(mp3データ)を歌えば(私が)ねんねして/一人で置いても泣きません/泣いたらサビるわボケー/とか愉快にお歌を歌っていられたことであろう。別に歌う必要もないが。


 気付かなければ幸せだったのに、と思う。ああ、自分が幸せになるような事以外何一つ気付かないで生きていけたら。仮に自分がロボットワールドの乾電池として一生眠らされているとしても。私は青いカプセルを呑むぞモーフィアス。


 そうとも世の中にある全ての事柄を知るには、いずれ人生短すぎる。ならば都合の悪いことなど知らぬままへらへらと、ドット落ちも気付かず、私よりイイ男なぞ世界におらぬと信じ、世界は愛で満ちていると考える、そんな風に生きていけるならこれは文句なしの幸せなのではないか。丸出しでバカだが害はなさそうだし。全く不可能な生き方でもなさそうだし。


 知らぬ間に話がえらいこっちゃ拡大してしまったが、一たび知ってしまった以上はドット落ちを気にし続けていずれ忘れる、という長きイバラの道を進む他はない。後はあれか、皆さんのモニターも、よーく、探してみた方が、良いと思いませんか?とか言って無用の不幸を伝染させるくらいか。ほら、今夜はあなたのモニターが…!(SE:車のブレーキ音、直後にガラスの割れる音)


 さて、これにて一人か二人はここを見なければ気付かずにいられた自分ちのドット落ちを発見し、不幸のズンドコに引きずり降ろせるかも知れないので今回はオッケーとして、いやまあ色々オッケーじゃないが、残る問題。


 これを書いてしまったことにより私のモニターに発生したドット落ちに対する関心が少しだけ長持ちしてしまうわけで、ええい忘れろ今すぐいやいやムリっすよ、と今度はモニターもそっちのけで自分相手におしゃべりするハメになるという事である。である、じゃないだろネクラ野郎。