ループ&ループ
金銭なり時間なり、なにかしら足りないものがある際には節約すればよい。ここで何を節約するかは人それぞれなのだが、そもそも節約の必要があるのか、というのもなかなかに難しいところである。
たとえば生活が苦しくて子供は一年中同じ服を着ている諸費納入袋には「スカ」とか書いた紙を入れて出す、というくらいの窮乏ぶりであればもう父さんは競馬やマージャンを控えるべきであり、母さんは美豚、じゃなかったヴィトンのバッグなぞ買ってはいけないのである。
また、漫画ばっかり読んで勉強しないとか、ブログに書くどうでもいい文章をあれこれ考えて日々ぼさーっと過ごすとか、「これが俺の勉強さ」とかほざいてネットの波を平泳ぎしながら世の雑文サイトに入り浸るとか、その結果楽器に全く触れなくなったりすると、これはなんとかせねばならない。つーか何やってんだふざけんな。
このように何を節約すればよいかはっきりしている場合は対策も取りやすいが、世の中もう少し複雑にできている。一例を挙げよう。
生活空間における余裕の面積を広げたい
これはどうか。古くからの伝承によれば人間は立ってれば0.5畳、寝っ転がっても1畳のスペースで生きて行けると言う。ならば部屋を広く使いたいなどという要求は住居において6畳間と10畳間を利用できる私には何の意味もないのではないか。
これがそうでもないのだ。できることなら部屋の端から端まで寝っ転がって、いもむしごろごろー、とかやれるスペースが欲しい。着替えひとつに熟練の飛び石スキルを持たねばやっていけないごっちゃごちゃの部屋など、アナタそれ人の住む空間じゃないっすよと思うのだ。広く正しく美しく。そんな風に生活してみたい。
一体何の話か。私は居住空間を足りないと感じており、そのために節約すべき邪魔なものがあると考えている、という話だ。要は部屋を片付けたいだけなのだが、ここで邪魔なものとは何か。
主に漫画と小説からなる書籍類
そう、本が邪魔なのだ。いや、昔は本に埋もれて生活したいと思っていた。部屋の四面は天井まで届く本棚で、床もどこで寝ればよいかわからぬほどに積んだ本でいっぱいで、その重さはアパートの床を抜いて千歳民報の取材が来る、というくらいの生活がしたかったのだ。
しかし今は事情が少し変わった。自分で言うと顔から出るもの火の如しなのだが、今の私は「音楽活動」にご執心である。そこで今、部屋の場所をふさいでいるのがこれだ。
パソコン、ギター、その他演奏及び録音機材
特にパソコンとギターはそりゃもう場所を取る。こいつらは何かの上にも置けないしこいつらの上に何も置けないという点で空間利用の効率が恐ろしく悪いのである。畜生、本ならこんなことで困らないというのに。
上に挙げたような、場所に遊びが無くては使えない道具が増えた現在。いまや空間の確保のため真っ先に処分すべき対象になるのが、ああ、なんとしたことか、本なのである。
かと言って今は本に執着していないのかと問われると、いいえぇ何を仰ってるのこのうすらとんかち好きよスキスキ大好きよ愛しちゃってでれんでれんだコノヤロウ世界の終りまで離さへんでえラブラブチュッチュッという状態である。どんな状態だ。
ということで別れがたき本を頑張って処分し快適な生活スペースを生み出すべく、今も処分する本を選別中なのである。選別という名目のもとに「ブラックジャック(※1)」や「味いちもんめ(※2)」、あろうことか「帝都物語(※3)」や「ザ・スタンド(※4)」までも一気読みしているだけ、というのはナイショだが。処分する気ゼロだこいつ。
まあ、ここで全てをひっくり返す話をしてしまうならば。
本や音楽機材はもちろん部屋の広さすらも私にとって「実は無くたって命には関わらない」という事実こそ、生活環境が改善しない本当の理由なのである。
じゃあ何だ、あれこれの不便さに対し私は何を優先すればいいのか、と悩んだところで思考は今回の書き出しに戻り、より良き身勝手な生活環境を求め堂々巡りを繰り返すのであった。狭いままの部屋にこもりながら。
いずれ趣味なんてそんなものであろう。違うかね、君タチ。
※偏愛対象の一角。
1)手塚治虫著、チャンピオンコミックス版で全25巻。
2)あべ善太原作/倉田よしみ画、通算60巻を越え連載中。
3)荒俣宏著、角川文庫新装版全6巻、田島昭宇のカバー素敵、すごく長い。
4)スティーブン・キング著、文春文庫完全版全5巻、かなり長い。