昨日の夜、急に漫画が読みたくなった。

それも、とても深いテーマのもの。一筋縄ではいかない、人が誰しも生涯のうちに触れながらそれでも、目を逸らしてしまうようなテーマに、直向きに、ただ一生懸命に向き合う作品が読みたくなった。


そこで私は以前から気になっていた『トーマの心臓』を読むことにした。

私が詳しく語るべくもなく、不朽の名作と謳われる作品である。


私はフランス語の授業の後、友人と別れ学校の図書館で少しだけ新刊雑誌を物色した後、本屋街へとくりだした。下調べは、昨日のうちに終えてある。

向かったのは神保町の書泉グランデという本屋だ。初めて訪れたときは存外小さな本屋かと思ったが、ビルになっており建物そのものがすべて本屋なのだ。

これには東京に来たばかりの頃はとても驚いたものだ。

私の生まれ育った街で建物すべてが本屋だという店は一つしか知らない。後はどんなに皆広くとも古本屋以外は皆平屋の建物である。

今日は、グランデの地下に降りた。漫画本はどうやら地下にあるらしい、そこは池袋のジュンク堂と同じである。だが驚いたのは、どうやら地下には妖しげな本やDVDが売られているスペースが隣接しているらしい。

地下に降りる階段の途中、最初は漫画のポスターが貼られているのに、次第に妖しげなポスターが増えてくる.何処かに迷い込んでしまったかのような、錯覚。これから買う本が、まるで有害図書であるかのようで、くすりと笑ってしまった。有害であるもの程、人は魅かれてしまう。

だが東京の書店、そして名作。お目当ての本は直ぐに見つけることができた。

グランデ特有の洒落たブックカバーをかけて貰い、地下鉄のホームに降り電車を待ちながらさっそく読み始めた。


さて、完全なる読書には、いくつか作法がある。それは、読書家の拘りを何処まで追求するかだ。

あるものは物語に登場する音楽をかけながら読むし、あるものは上等な紅茶を入れてからページをめくる。

私が今回の読書にあたり拘ったのが、『トーマの心臓』が限りない名作故である。

漫画の名作は普通の単行本として出版された後、文庫化や愛蔵版、果ては完全版と形をかえ生まれ変わる。

出版される度に、本は様式を変え、荘重を変え、ページ数を変え、果ては収録する物語の量や話数さえも変わり往く。下調べとは、このことである。

現在市場に出版されている『トーマの心臓』は文庫版と完全版がある。

完全版の方は様々なイラストのカットが収録されているし、文庫本未収録の番外編的なストーリーも付いている。

これだけ云えば、大抵はならば完全版の方を購入すれば良いと思うであろう。

しかし、些かそうとも言えないのが読書の面白いところである。


これは私の個人的な意見であるし、一部の読者の考えなのだが、『トーマの心臓』を未読の方は、もしかしたら文庫版で先に読んだ方が良いのかも知れない。

というのも、完全版はたくさんのカットを網羅し収録する手前、どうしても物語の途中、途中でストーリーの流れを遮ってしまうのだそうだ。

このカットがストーリーの要所要所に挟まれることにより、物語から受けるイメージも色々と変化してしまう。

つまり、既に『トーマの心臓』を熟読している読者には、メインストーリー以外のショートストーリーも魅力的であれば、カットの一つ一つもゆっくり拝見したい。つまり完全版は大変魅力的なのである。

しかし、では未読の読者は?物語にまだ触れ合っていない読者は?となると、これはまた違った問題なのかもしれない。


なので、今回私は迷わず文庫本の方を購入した。

しかし、本来の原稿のサイズに近い形で出版される完全版は、やはり魅力的である。

私は絵を少し描くのだが、生原稿を見たことのある方なら分かるだろう、あの一コマに込められたニュアンスを、言葉を、意味を、登場人物の表情から伝わる、物語の流れを。


これこそが、私の読書の拘りである。

素晴らしい名作の為ならば、多少の出費は惜しめない。

まずは文庫本、そして完全版を。

私は、カットを作中に散りばめた出版社の意図も其処にあるのではないかと思う。

同じ物語を、今度は違ったニュアンスで。


きっと完全版にだけ収録されたショートストーリーは真に物語を愛する労を惜しまぬ者への御褒美なのであろう。



それにしても、金銭的に余裕のない学生であっても、それでもどうにか収集させようとさせる、素晴らしい物語だった。

願わくば、もっと若く、幼く、本当に生きることに苦しんだ、故郷に居た自分自身に読ましてやりたい作品だった。それだけを、残念に思う。


トーマの心臓 (小学館文庫)/萩尾 望都
¥710
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作品については、完全版もすべて熟読したうえでもう少し間を開けて語りたいと思う。

数十分前に読み終わったこの美しくも、各も『少年という人間性』を描きとったこの作品の余韻に、もう暫く浸っていたい。