どうして、こんなにいきなり暑いのか。

なので月湖が昨年の秋、ふと思い立って書いた端書を載せてみる。

故に季節感ガン無視。







 ひらり、陰が落ちる。

 つと、書物から視線をやれば紅に衣を変えた落葉が何時の間に高くなった空からはらはらと降っている。
 古書の柔い白と滲む黒の優美な羅列に、それは実に艶やかであった。

「紅葉が降る衣を錦に喩えたのは誰であったか」
「藤原公任であろう」

 ふと手元から今度は庭へと視線をやると、何時の間にやって来たのか学生帽を傍らに持った少年が庭に佇んでいた。

「調子はどうだい」
「まあまあといった処だ」
「そいつは結構」

彼は微笑むと黒い学生服を脱いで傍らに放った。
そうして静かに庭に歩を踏み始めた。
その横顔を眺めながら、ふと向かいの家が眼に入った。向かいといってもこの屋敷からは大分離れているのだ が、そういえば其処の住人のことを自分はなにも知らない。そう思い窓に視線をやった途端、さっと陰が揺れた。
窓を覆う白い布が締められ、なかの暗闇が遮られたのだと直ぐに気が付いた。残ったのはそこに佇む、白い壁。
古びた洋館だけであった。 偶々であろうがその一連の出来事に些か私はどきりとした。
そうしてなんとも云い表せない、引っ掛かるような不快さと、僅かに背を掬う冷たさが残る。
私は歩を踏む少年に尋ねた。

「あの家には誰が住んでいる?」

少年は私の問いに、その動きを一度、僅かに止めた。
横顔の侭であったが僅かに瞳を瞬かせた気がしたが、またすぐに歩を進めた。

「君の方が詳しかろう」

その声は僅かに笑みさえ乗せた明朗としたものではあったが、不思議と何処か謎めいて見えた。別段少年が面白がっていないことは判じられた。

「私はなにも知らない」

お前の方が、私よりもよっぽど物を知っているではないかと言外に滲ませると、少年は今度は楽しそうにくつくつ喉を鳴らした。

「そういうな」

彼の靴が庭の土を踏む音が響く。

「この家は君が継ぐのだ」

秋の空から、紅の錦がひとひら、ひとひら、落ちてくる。
それを純白のカッターシャツに纏い彼は、肌寒くなった空気のなか、静かな庭で歩を踏み続ける。

「それはなんだ?」
「それ?」

あまりにもそれが自然であったため、彼が踏むその不思議な歩みについて訊くのが遅れた。

「ああ」

意図を察したらしい少年は笑った。
そのすらりとした身体で、姿勢を傾けることなく、足を高くあげては交互に地を踏み。独特の歩数を繰り返し、また戻る。

「これは兎歩だ」
「兎歩?」
少年は頷く。
彼がたん、と靴底で踏む地面の音がなんだか心地よい。

「久しぶりに練習して置こうと思ったのだ」

右足から始まり、左、そして右、足を休め、今度は左から。ただ歩くだけの規則的な一連のその動きが、存外静謐かつ優美であり、神聖なものにみえた。寂れたこの広いだけが自慢の庭と、降る紅葉と、彼の切りそろえた黒き髪が揺れる。私は暫し黙ってその景を縁側の薄暗い処から眺めた。
少年が、歩を踏みながら呟くのが聞こえた。

「今晩、これが必要になる」
「今晩?」

なにがあるのだ、と尋ねようとしたそのとき、僅かに強い風が吹いた。
紅の錦達が踊り、ざっとこちらにやって来ては秋風と共に頬を撫でる。
ひらりと、その秋の錦は私の鼻を掠め、そうして風の誘う侭に通りすぎていった。
ふと後ろを見ると、ああと溜め息がでた。
開け放した障子のなかも、紅錦が遊んでいた。
其処は私の部屋である。
もう一度かたちだけの溜め息を尽いた。
しかしそんな仕草とは裏腹にそれは別段、其処まで厭うほどのことではないような気がした。

「寒いのか?」

今度は先程よりも随分近い場所で声が落ちてきた。
縁側に陰が落ち見上げれば、はらりと学生服が肩に掛けられた。

「そろそろ日が落ちる、なかに入れ」

寄せた学生服から、僅かに甘い芳香がした。
女にでも会っていたのか、と意地悪く揶揄してやる。
だがその眼を見ることは出来ず、私は縁側の檜の木目を眺める降りをして瞼を伏せた。
しかし彼はなんのことだと瞬いた後に、嗚呼と庭に引き返し、学生帽を掴んで戻ってきた。

「咲き初めだったから、貰ってきたのだ」

帽のなかには鮮やかな青々とした茎に、可憐な白い花弁と芳しい清潔なる香りがした。
まだ若い寒水仙を帽子から出すと少年は差し出した。

「見舞いだよ」

私はそれを受け取ると、小さく水仙の香り吸った。
それは肺を満たして、秋の空気にささやかな彩りを添える。
だがより切なく寂しくなるのは、やはり秋のせいか。
それとも夕暮れが悪いのか。

「やあ」

少年は朗々として笑った。
縁側に白い寝着の侭、書を読んでいた私の姿に咎めるでもなく彼は眼を細めて微笑する。

「随分、紅の錦を着込んだものだ」



                                   一、紅葉