2018(平成30)年12月3日(月)、最近の運の悪さを断ち切り、病気治癒の願掛けをする為に行ってきました。行く最大の理由は、病気治癒ですが、前日の12月2日(日)の百里基地航空祭に行く予定で、AM3時に起きたのですが、布団から起きようとしたら左足の太ももに激痛が走り、筋肉か筋を痛め、歩くのがきつかったので、行くのを中止しました。その前日(12月1日)も別の理由で峯岡山駐屯地のイベントに行けませんでした。偶然かも知れませんが、何らかの作用が働いたのかも知れず、その悪運も断ち切りたいので、何年も前から行こうと思っていましたが、今日、行く事が決断できました。
場所は都営三田線板橋本町駅から徒歩で5分ぐらいです。
お参りに行く前に、「縁切榎(えんきりえのき)」の前にあり、絵馬も購入できる「そば処 長寿庵」さんで、ランチとしました。
店が少し暇になったら絵馬を購入するつもりでしたので、さつまあげをつまみに、瓶ビールでチビリチビリやりました。
締めは、ざるそばで。12時から、ずっと満員でしたが、少し、空いてきたので、絵馬を購入しました。それにしても、たまたまかも知れませんが、次から次と、お客さんが来るので絵馬の販売どころではありませんね、、、。お参りに行きます。
「縁切榎(えんきりえのき)」は、マンションの隣の小さな一画にあります。信号機の左が3代目の榎。
標柱の後ろが3代目の榎木。榎の樹皮が剥がされないように竹で覆われています。樹皮を剥ぎ取って煎じて飲むと願いが成就されるそうです。
板橋区のHPによると、「江戸時代から板橋宿の名所として名高い縁切榎。もともと大六天神の神木でした。皇女和宮が降嫁の際、縁起が悪いと、この場所を迂回したという逸話が残っていますが、庶民の間では、悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれるというので礼拝の対象となっていました」。
以前、その榎木の御神木は旧中山道に面した場所にあり、道に張り出していたので、迂回したようです。
※和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)は、孝明天皇の異母妹で、徳川幕府14代将軍・徳川家茂の正室であり、明治天皇の甥でもあります。
小さな境内に入ると、気のせいか体が浄化されたような不思議な気分になりました、、、。
2018(平成30)年12月3日(月)現在の絵馬の販売店。向かいの長寿庵さんは、昼時は激混みなので厳しいのかも知れません。
氷川神社で絵馬のお焚き上げをするそうです。
社殿右脇にある初代の榎の一部。初代の榎は、1884(明治17)年の板橋大火で大半が焼失して枯れてしまったそうです。因みに初代の榎は、江戸時代は道路の向かいで、やや江戸寄りにあった旗本・近藤登之助(こんどうのぼりのすけ)の抱屋敷の中にあり、現在は、そこから30m離れた場所に移されていて、榎は3代目だそうです。2代目は、昭和30年代に土地所有者が植木職人に伐採させたが、伐採した植木職人が不慮の災いにあった為、「榎のたたり」と騒がれたようです。
※抱屋敷(かかえやしき) 江戸時代、囲・家屋を建設した屋敷地。
小さな境内の外に、こんなガチャガチャもありました。通り過ぎた時に、女性が購入していました。
絵馬と根付のセットで1000円です。初めて絵馬を掛けます。絵馬の裏には、びっしりと記入しました。
「そば処 長寿庵」の方から念入りに拝むようにアドバイスされたので、それに従って絵馬に病気治癒を記入して、病気と縁を切る為、念入りに拝んでから絵馬を掛けて帰宅しました。
後日譚。
手術しなければならない程ひどかった蓄膿症は、ある日を境に薬が効き始め、急激に良くなり、年明けには、ほぼ完治しました。この場所との因果関係は分かりませんが、、、、。