2012(平成24)年9月5日(水)、69年前に十和田湖の湖底深く沈んでいた旧日本陸軍の「一式双発高等練習機」が引き上げられました。それを見学すべく青森県三沢市の三沢基地の隣にある「青森県立三沢航空科学館」を訪れました。

 旧日本陸軍の「一式双発高等練習機」は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年9月27日(水)、秋田の能代から百式司令部偵察機(旧日本陸軍の戦略偵察機) の部品を八戸基地に取りに行く途中に、十和田湖上空を飛行中に何らかのトラブルが発生して、そのまま十和田湖に墜落して機体は水没、搭乗者4名の内3名 が殉職しました。それ以来、機体は太陽の光も届かない湖の奥底の冷たい湖水の中で、永遠の眠りについていました。しかし、当時、墜落を目撃した地元の方の熱意により、69年ぶりに十和田湖の深い湖底から引き揚げられ、無事帰還を果たしました。

           「訪問日・2016(平成28)年5月25日(水)」

 

 

 




十和田湖の最深部は326mの深さですが、沈没した場所は最深部に近い300mの場所で水温が4度以下だった為、機体の腐食は69年も経過しているのにも係わらず少なかったようです。









日の丸の塗装もしっかり残っていました。

 

 






製作は立川飛行機です。因みに旧陸軍の「一式戦闘機 隼」の製造も行っていました。






数万機も製造された旧日本陸海軍の現存する数少ない戦争遺産として、末永く保存してもらいたいものです。

 

 



「青森県立三沢航空科学館」の展望デッキから空自の三沢基地が一望できます。

 








しかし、右側は、このような注意書きがありました。

 

 

 

 

飛び立った米軍のF-16を待っていると、空自のE-2C早期警戒機(ホークアイ)が着陸してきました。あと10分ぐらい居たかったのですが、帰りの新幹線の時間があったので、F-16の雄姿は諦め下に降りると。

 

 


わずか5分後にF-16、4機が連続して降りてきました。たかが5分、されど5分。3、4時間待っても駄目な時は駄目だし、この場合は飛び立っているので1時間以内には戻って来るのは分かってましたが、複雑な気持ちで帰途に着きました。

 

 

近況ですが、6月の上旬にギックリ腰になり、12日(日)の横須賀のYYフェスタに行けず、14日(火)の長福寿寺の紅花祭にも行けず、最悪の日々でした。

 

 

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