昨日の「恐怖映画」
のつづき

イメージしてみてちょ~
最初の①を書いたときは
初めてかめさんの講座に参加したときのことを覚えてないのはなぜか、不思議だったけど
昨日書いてて
そりゃそうだよねって😁
自作自演の恐怖映画やってて
ゆとりがあるわけないやーん
いまさらながらしみじみ思うけど
聴けるカラダと
ココロをつくる
っていうときの「聴ける」は
じぶんのカラダの声やキモチを聴けるようにってことだね。
今までの記事のどっかで書いた気もするけどね😅
で、今思うに、「聴ける」状態てのは
じぶんの状態を
ちょっと離れたとこから
俯瞰してみれている(感じることができる?)
ことかな、と思う
ガッチガチに固まってる(じぶんと距離がとれていない)ときより、
ちょっとじぶんと距離をおけてる(ゆとりがある)ときのほうが
じぶんのこともみながら、
相手も視野に入ってきやすくない?
(ちょっと上空に舞う鳥みたく)
じぶんの状態がわかりつつ、
相手もしっかりみえている
そんなかんじ。
…めっちゃ漠然だな😁
えーと。どうしょ
私はたま~にだけど、
その状態になってるなぁと、ものすごくクリアに自覚できるときがあって。
そういうときは、
じぶんのことも相手のことも
びっくりするぐらいよくみえる
(感じられる)
相手の話すことも、スッと入ってくる。
そのときは、邪念?がまったくなくて
キモチがよい

でですね、そういうときは、
「恐怖映画」はやってないの
じぶんのことも相手のことも
信じてるというか
安心感があるというか
フラットになってるというか…
そうなれるときの、
その「場」が、安定、安心、安全?
ていうのもあるかも…
まだ漠然だなぁ
あかん、おてあげ
どんなかんじかは
これに来てくれぃ
(丸投げ
はたまた、かめさんのブログを拾い読みでもいいのでみてね~
(さらに丸投げ
実感として言えるのは
じぶんの声が聴けないときは
相手のことも聴けない
じぶんの声が聴けるときは
相手のことも聴ける
だからまずは
じぶんの声を聴けるようにしようぜぃ
てことは、
まずは、
じぶんをだいじに扱おうぜぃ
これにつきる
かめさんのどんなワークも、
そのゆくさきは
そこだ
(言い切っちゃった
じぶんの声を聴けるようになったら
どうなるの?って?