入院中、抗癌剤治療中にやれる事がないのでボーっとしてると青春時代の事も良く浮かんできた。YouTubeを聞き流していると懐かしい八十年代の昭和歌謡曲が流れてきた。何て心地よいメロディーであろうか。歌は世に連れ世は歌につれという昭和世代なら知っているであろう歌番組の司会者が使っていた名調子のまま歌を聞くとその時の事が思い出される。不思議と昔の事は良い事ばかりで直近の事で浮かんでくる事は嫌な事が多かった。色々な意味で寛容であった八十年代はアイドル全盛で毎日歌謡番組と昼はワイドショーという時代であった。セクハラやパワハラ、小分類された今の精神病の種類も当時はあったのか?一般人は知らなかったと思う。暴力団員への直接のインタビューや子供番組でも平気で女性が裸になっていた。それなりに苦情は来ていたのであろうが相当過激な事をしない限りは大騒ぎにはならなかった。今の100条問題なんてそこら中でやらかしていたんであろう。勿論肯定してはいない。あの稲盛翁の京セラでさえ、営業成績が悪い社員を殴るのは日常であったのをワイドショーでやっていた。しかし何でか昭和世代の被害者達は加害者であるのかも知れないが今になって笑い話にしている。何故そういう心境になれるのかを考えてみると精神的に逞しくなれる要素が見つかるのかも知れない。体育会なんてとても公に書けない事をしていたが笑い話になっている。中には洒落にならない事をした人間は嫌われてOB会に出て来られない人もいるが。やり過ぎな面もあったが世の中には八十年代のような、どこか寛容な部分もないと生きにくいと感じるのは私だけであろうか。その前まではまだ軍隊式のしきたりもあってもっと酷かったから理不尽さもマシになっていたのかもしれないが。一方で癌治療は進歩している。私は八十年代ならば生きていないであろう。しかし携帯電話で追い立てられて24時間仕事中みたいなストレスな事もなかったろう。投資も物質的には何もかも今程上手くいってないだろうけど銀行の定期は5%程あったのでリスキーな株式投資など知る事もなかったかもしれない。だから将来の不安も少なかったのかもしれない。鼻歌で演歌や歌謡曲を歌って風呂に入り、お洒落にカセットテープにサザンやナイアガラトライアングルや浜省を録音してかけ流しながら湘南海岸をドライブして、アイドルの写真を彼女の写真のように部屋に貼って、人口が増え続ける中で居酒屋を個人でやってもどうにか食べていけたのが八十年代だと思っている。そしてこれからジャパンアズナンバーワンの時代を迎える息吹があったのだろう。八十年代はちょうど良い塩梅の時代だったと感じられてならないのは私は昔を懐かしむ時代遅れの人間なのだろう。科学や医療が進歩していくのは有り難いし便利な時代だ。それにグローバル時代なので留学や知識吸収もお金があれば容易に出来るようになった。努力と運次第でお金も稼げる。豊かになったはずなのだが、、、。癌の事は別に考えても、何故不安なのであろうか。もう少しちょっと考えてみたい。次回まで。