仏教セミナー(1)

 

これを書くのは、私、もと僧侶見習い.もっと正しく

言うと、修行が辛くて、途中でお寺を逃げ出してきた

元脱走坊主.

 

そんなやつが仏教セミナーを書いていいのか?

いいだろう.お寺での仏教セミナーを高級中華料理店

にたとえると、ここは屋台のラーメン店だ.

 

僧侶資格のない、もぐりの坊主が書くセミナーである.

ではスタート.

 

さて、みなさん、ブッダは、菩提樹の下で何を覚った

のでしょうか? 通説では十二因縁だといわれていま

す.でも果たしてそうでしょうか? 紙も鉛筆もなか

った時代、瞑想だけで、そんな細目まで、まとめ上げ

られるでしょうか?

 

それはきっと、のちに高僧たちが、仏教理論を構築す

るため、作り上げたものだと思うのです.

 

実際の覚りとはもっと単純なものだったのではないで

しょうか?

 

それは「因縁」と「因果関係」それに、深い瞑想によ

り幾つものご自身の「過去世」をながめた.そこには

「生」次の「生」また次の「生」と続き、それらの

「生」の連続の中に、原因と結果を見出した、とい

うことなのではないでしょうか?

 

そこが通説とまったく逆で、ブッダは覚りを得てか

ら、過去世を知ったのではなく、過去世を知ったか

ら覚りを得たのでしょう.

 

 

では私たちは、どうすれば覚りに至ることができる

か?

残念ながら、まず無理です.ブッダの時代は、洞窟

の中で瞑想したらしいのですが、いまは勝手に他人

の土地に入ることは許されません.修行の場がなく

なってしまったのです.托鉢僧侶になっても、じゅ

うぶんな糧は得られません.結局、生きていくため

には、経済活動に参加しなくてはならず、100%

の出家はままなりません.

 

しかし、過去世を体験できなくても、そういうもの

があったのだろう、と考えることは出来る.「信じ

る」ことはできる.

「知る」ことに代えて「信じる」ことで、覚りの相

似形に到達することはできる.

 

相似形と書きましたが、天台の相似即のことではあ

りません.

 

そもそも覚りに6段階とか、52段階とかはないは

ずです.これらは、のちの世に、教団を律する必要

が出来たときに作られたピラミッド式階級だと思う

のです.

 

覚りはもっと単純だったはずです.