ロビンソン・クルーソー(16)

 

 

 

————————【赤色部分が今回の学習】—————————————

 
  Being the third son of the family,  and not

bred to any trade, my head began to be fill'd

very early with rambling thoughts:
 

.————————————(訳)——————————––——————

  私は三男だったし、それに商人になるようには

育てられなかった.

 

 

.————————————≪解説≫————————––————————

 
商人という単語は trader や merchant なので
文中に、そういう単語は見当たりません.
しかし [be bred to + 職業] で、その業務に携わる者として
育てられる、という意味になります.trade の意味は
下記の通り.
 
trade:(名詞)  商売、貿易
     (動詞) 商売をする
 
not ~ any で「どんな~も」
 
つまり、「どんな商売向きの人間にも育てられなかった」
と言っています.
 
 
【教訓】 「何者かになるよう育てられたかったなあ」と思うなら、
     遅まきでもいいじゃないですか、自分で自分を育てあげ
     ましょう.
 
 
   ≪教訓の質問コーナ-≫
––— 遅まきだと年齢制限のある職業には就けないぞ.
––— いいじゃない、就けなくても、趣味にすれば?
––— いやじゃ、それで飯食いたい.
––— 来世の手回しにして、楽しみに待ってね!
––— そんなに待てない!
––— え?すぐ死にたいの?
––— それもいや.
––— 来世に備えて、今から練習しましょ.
   何になりたかったの?
––— 歌手!
––— 今からでも遅くないよ.
 
 
以上です. 
 
 
————————————≪参考≫————————––————————
 
 これまでの学習記録


I  was  born in the year  1632,  in the city of York,

of a good family,  tho'  not of  that  country,  my

father  being a foreigner of  Bremen,  who  settled 

first at  Hull :   He  got  a good estate  by  merchandise, 

and leaving off  his trade, lived  afterward  at York, 

from  whence  he had  married  my mother,  whose
relations  were  named  Robinson,  a very  good 

family  in  that  country,  and from  whom  I was  call'd 

Robinson  Kreutznaer,  but  by  the usual corruption
of  words  in England,  we  are  now call'd,  nay we call 

our selves,  and write our name  Crusoe,  and  so  my

companions  always call'd me.

 

I  had  two elder brothers,  one of  which  was Lietenant
Collonel  to  an  English  regiment  of  foot  in  Flanders,  
formerly  commanded   by  the  famous   Coll.  Lockhart,  
and  was  killed  at the battle  near  Dunkirk  against  the
Spaniards.

 What  became  of  my second  brother I never knew

any more  than  my father or mother  did know what was 

become of  me.

 

 

———————————(訳)——————————––————————

 

私は1632年、ヨーク市で生まれた。土地の者では

なかったが、家柄はよかった。 父は外国人でブレーメン

出身でした。初めはハルに定住した:
商業を営んで、そこそこの財産を得ました。そして、事業

はやめて、後にヨーク 市に移り住んだ。 そこで結婚した

のが私の母だった。母方の親戚はロビンソン姓だった。

その州のきわめてよい家柄だった。その姓をもらって、私は

ロビンソン・クロイツェルと名付けられた。しかし英国風の
音声脱落により、そう呼ばずに、そして、読みだけでなく綴

りもクルーソーとなりました。私の周囲もみんな、そう呼び

ました。
 

私には2人の兄がいました.その一人はフランドル方
面英陸軍歩兵連隊付中佐でした.この兄は)嘗て、かの
有名なロックハート大佐指揮下にあったが、ダンキルク
近郊の戦いでスペイン軍に倒れ戦死しました.

 

二番目の兄がどうなったかは私はわかりませんでした.
それは私の父、あるいは母が私がどうなったかを
知らないことと同様です.