仏教日記(番外):きょうは何の日
9月22日(木)
きょうはサイの日だそうです.
どうせなら3月1日にしておけばいいのに.
そう思ったのですが、「世界サイの日」なので
そうはいかない.日本語でのゴロ合わせは
世界に通じない.
絶滅危惧種に指定されたので、こういう日
が設けられたようである.
サイの角を引用したブッダの教えもたくさん
あるので、絶滅してもらっては困る.
こまるのだが、サイの角は薬効性があり、そのため
高価格で取引される.だから捕獲が絶えない.
保護種に指定されてからも密猟され、
サイは絶滅危惧種の道を進んでいます.
さて、サイの角は仏教でも教えの譬えに使われて
います.こちらはサイを捕獲したりしません.
それどころか、生き物の生命は大切に守れ
という教えが満載です.
「あらゆる生き物に対して暴力を加えることなく、
あらゆる生き物のいずれをも悩ますことなく、
また子を欲するなかれ.況んや朋友をや.
サイの角のようにただひとり歩め」
これは生き物を大切にしましょう、でも自分では
生き物を増やさないでおきましょう.
という教えです.
そして、ついでに
だからエッチもしない.
友だちもいらない.
ひとりで生きていけ!
お前さんは、きょうからサイの角じゃ.
ちょっと、変人みたいですけど、
これがブッダの教えですので.
快楽と不快を捨てる教えも、このサイの角
の教えにあります.
「以前に経験した楽しみと苦しみとを擲(なげう)ち、
また快さと憂いを擲って、清らかな平静と安(やす)
らいとを得て、サイの角のようにただひとり
歩め」
「以前に経験した楽しみを擲つ」とは、たとえば、
「ああ、あの湯郷グランドホテルで食べた
あのステーキはうまかったなあ」
などと、快楽の思い出に浸らないこと、
「以前に経験した苦しみを擲つ」とは、たとえば、
「とうとう、あいつはおれに金を返さずに、行き先も
いわず、引っ越していきやがった」
これは苦しみの一種だが、こういうことを繰り返し
思い出さない」ということを言ってます.
「なぜ?返してもらわないと困るから、そりゃいつまでも
覚えていますよ.」
それが普通、常識人の感覚です.
ブッダは
「過去世で、この人に給金を渡すまえに店が
潰れて不義理をしたままだった。その因縁で
今生、このような仕打ちになったのだろう.」
とかなんとか、思いめぐらせて、そのまま
水に流してしまう.
というような感じじゃないでしょうか.