仏教日記(37

 

「快楽」と「不快」を捨てた人というのは、はたから見ていると、

実に退屈である.しかし、おそらく、それがブッダの真相である.

実に「つまんない」のである.

 

だから悪魔もあほらしくなって、見放したのだと思う.

 

「つまんない」けれど、苦しみから逃れている.

これは長期的展望で見ると、やはり「幸福」なのでしょう.

 

凡夫には、「面白くもねえ幸福」だが、

智慧を以て見れば、浮き沈みのないのが「ありがたい」

ことであり、「幸福」である、と言えるのだと思います.

智慧のない私には、想像で言うしかないのですが…

 

タイム・マシン

2500年前の古代インド、マガダ国の「鷲の峰」行き

のタイムマシンにご乗車の方、お急ぎください.

出発します.

 

では出発~ ギュ~~ン

 

到着で~す.

 

ガイド:あ、あの人がブッダです.

 

ツアー客:なんだ、座禅したままじゃないか.退屈そうな人だなあ.

 

ガイド:いいえ、本人は自受法楽(じじゅほうらく)という

    楽しみに浸っておられます.

 

ツアー客:まあ、好きなことは十人十色だわな.

     わしはこんな退屈なことはご免被るよ.

     

ガイド:でもこれが幸福の姿なのです.

 

ツアー客:わしにとって幸福とは

   「うまいもん食いたい、楽したい、よそのべっぴん抱いてみたい」

 

ガイド:よそのべっぴんさん抱いたら、あとが高くつきまっせ.

   「快楽大なれば、不快また大なり」

 

ツアー客:おめえさんも、面白くない人だねえ.

     おめえさん、ヨロコビもカナシミも

     ないお人だなあ.

 

ガイド:それを目標にしていますので.

 

ツアー客:おめえさんも、つまんねえお人だ.

    まあいいや、ガイドしてもらってんだから、

    ほらよ、チップとっときな.

 

ガイド:ありがとうございます.