仏教日記(32)
前回は
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)
も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)
の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)
の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)
にも悟りの光があらわれますように
こういう心に抵抗を感じる人への慈しみ、
その心がけについて見てみました.
これを果たすには、前世からの因縁を想定して
(何分、過去世の記憶がないものだから、
因果律という計器のメーターを信じるしか
ありません.それにしたがって、
「この人は前世で私がいじめた人、その因縁で
今生、私に何かにつけ、いやみを言ってくる、
いやな人…
だけど、もともとは私が撒いた種、慈しみ、幸を
願いましょう」
と、まあ、ここまではいいのですが、
この先については、また別の計器があります.
その人が悪人なら、付き合ってはいけないのです.
その根拠は、『感興のことば(第25章 友)』に
あります.
善い友と交われ.尊い人と交われ.
11.どのような友をつくろうとも、どのような
人につき合おうとも、やがて人はその友のよう
な人になる.人とともにつき合うというのは、
そのようなことなのである.
12.それ故に、賢者は、自分は、果物籠が(中にい
れる果物に)影響されるようなものであると
いうことわりを見て、悪人と交わるな.
善人と交われ.
ということで、みなさま、嫌いな悪人に「悪をとどめ
るよう願ってさしあげることは、一向にかまわないの
ですが、つき合ってはだめ、誘われてもお断りして下