わたしのほっと一息つけるとき、

その1:洗濯物を干し終わったとき:きょうの日記を書きにきます.

その2:スーパーからその日の食材を買って帰ってきたとき:

同じくきょうの日記をここに書きにきます.

 

きょうの日記といっても、その日の雑記ではなく、

語学の学習日記と仏教日記を書いているのですが、

これがまた楽しくて、楽しくて….一体何度楽しんだか、

日記に番号を振ってみたら、1000回を越えていたのです…

 

本日現在で、1555回.ただし読者はほとんどいない.

「でもそんなの関係ねえ」どこかの芸能タレントの言葉を

かりるとそういうことです.

 

 

書いている日記、「語学学習日記」と「仏教日記」のうち、

「仏教日記」のほうが

圧倒的に少ない.仏教日記としては、まだ17回目なのだ.

なのだが、中身が濃いから、これでバランスが取れて

いるような気がする.仏教日記とは何であるか?

それはホトケ様のみ教えの実践、

その成就または失敗の記録を描く

予定のものですが、今のところ、まだ実践編ではなく、理論編です.

 

 

ホトケ様は私たちに何を実践せよと、教えていたか、

それを先に調べ上げておく必要があるもので、

それが現在までの17回でほぼまとまってきました.

ズバリ仏様が私たちに教えてくださったのは、

「おこったらあかんよ」ということで、それにこたえて「おこれへんで」

という報告日記を今後は書いていくことになると思います.

「おこれへんで」と決心しても、なかなかむつかしいのですが、

それをクリアするお経文がこれ:

 

「今我が疾苦は皆過去に由る.今生の修福は将来にあり」.

 

どういうことかというと、

「この腹の立つ出来事は、過去に撒いた自分の種である.

腹を立てず、責任を取って摘み取れ.

その摘み取る行為は、また将来への福の種となる.」

 

そこまではいいのだが、実際にむかっ腹が立ったときに、

瞬時にこの「お経文」を思い浮かべて、自制できるかどうかがかなり問題となる.

 

武道家が、突然敵に襲われても、瞬時に敵を投げ倒せるようになるまで、

そうとうの年月を要するようなものだ.

 

そう、この仏教日記は、姿三四郎の柔道に譬えると、

腹を立てない心の柔道、柔よく剛(いかり)を制する道、

それの修行なのである.

 

「お前、あほか」と言われて、ムカッとくるようでは、まだまだ初心者…

3級になると、そういう相手に忠告ができる.

「おお、同じことを前世でぼくは君に言ったんだ.これは因果応報.」

 

これをもって仏道3級を認定する.

ゴタぴょん心の柔道(師範不在).いつの日か師範になれたらいいな.いつだろね.

永遠に来ないかもしれないけど、まあこれを書くだけでも楽しいので、いいかも!

コーヒー引換券くれ!

ゴタぴょん本舗でした.

あなたのほっと一息つけるとき

 

 

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