仏教セミナー(2)
『ブッダのことば』(岩波文庫)を読みます.
第1 蛇の章
1.ヘビ
❶ 蛇の毒が(身体のすみずみに)広がるのを薬で制するように、
怒りが起こったのを制する修行者(比丘*)は、この世とかの世と
をともに捨てる.——蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなもの
である.
❷ 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を
断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る.
——蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである.
————————————≪解説≫—————————————————
❶と❷を同時に学習します.❶の「怒り」と❷の「愛欲」は、深いところで
繋がっているのです.
たとえば、富士五湖のように.富士五湖をご存じでしょうか?
富士山周辺の5つの湖のことです.
本栖湖 〈もとすこ〉(富士河口湖町、身延町)
精進湖 〈しょうじこ〉(富士河口湖町)
西湖 〈さいこ〉(富士河口湖町)
河口湖 〈かわぐちこ〉(富士河口湖町)
山中湖 〈やまなかこ〉(山中湖村)
の5つなのですが、この5つのうち、 本栖湖、精進湖、西湖の3つは湖底で
それぞれつながっており、水面の高さが同じなのです.すなわち、この3つ
常に水面の標高が同じ900mなのです.
私たちの「怒り」の心も、これに似ていて、「怒り」という湖の湖底は、
「欲望」という湖の湖底に繋がっていて、一方が完全に制御されれば、もう
一方も自然に、たやすく制御できるようになります.
仏教では、「怒り」(瞋恚[シンニ]とも言います)は「欲望」(貪欲)と
「愚痴」(愚かさ)とともに、三毒と言って、私たちをむしばむものです.
「トリカブト」と「ドクゼリ」と「ドクウツギ」が三大有毒植物と言われて
おりますが、これらが身体の毒であるように、「怒り」「欲望」「愚か」は
心に生える毒草だと思って下さい.
「怒り」と「欲望」というのは、容易に理解できますが、「愚か」
というのは、ちょっと理解がむつかしいかもしれません.だって、「愚か」
といわれても、本人の責任じゃありませんし.
ここでいう「愚か」とは、仏教の根本思想であるところの、因果の法則
のことです.仏教では、どんな出来事、物事にも、それが起こった原因
がある、とします.この道理を理解しないことを「愚か」と言ってあります.
でも、みなさん、このことの理解は、なかなか難しいものなのです.
けっして「愚か」なことではありません.
「原因があって結果がある」という教えは、簡単にわかることもあれば、
なかなか結果が出てこないこともある.
中には、今生、その結果が出ずに、来世回しになることもある.
こうなると、もう話はそう簡単ではありません.
今度は、過去世を信じなければ、どうにも解決がおさまらないことも
いろいろと出て来る.
「過去、現在、未来に渡る壮大な時空の中での因果律を受け入れる」、
そういう必要が出て来るのですが、なかなか難しいことです.
というわけで、
「怒り」、「欲望」、「愚か」はどれひとつ抑えることが簡単なものでは
ありません.
ありませんが、これを抑える、あるいは取り除くことが出来るとき、
それは、覚りの第一階梯になります.
菩提樹下でお釈迦様が覚りを開いたときも、様々な過去世を見たと言います.
そしてその過去世を貫いている法則を見たと言います.そこには
「原因」と「結果」が数珠繋ぎで連綿と続いていたのです.
よく言われるのがお釈迦様は「十二因縁」を覚った、ということですが、
実際には、原因結果が12段階の層を成していたわけではなく、
深い瞑想により、過去世を体験し、因果律を覚った、という辺りだと
思います.
さて、ヘビの毒は薬で消すのですが、「怒り」の毒は、どのような薬で消すか、
それは、まさに、過去世の因縁を信じることによって消す、ということになり
ます.
タコ焼きを買おうとして列に並んで待つ.自分の前で「売り切れです」
と言われて、「バカヤロー」と怒鳴りたくなるのは人情.しかし仏教の教え
では、「怒り」ません」.過去世を信じます.
過去の世において、私はタコ焼き屋をしていたことがある.
そのとき、この人の前で「もう売り切れです」と何度もそういう
つらい目に合わせてしまった.「申し訳ない」と瞬時に思えるとしたら、
あなたは、この点において、「解脱」を果たしたことになります.
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* 「びく」と読みます.出家者のことですが、このブッダの教えは
第1章から最終章まで、すべて出家者に限らず、在家者にも向けられて
います. 現代のわたしたちにも当てはまりますので、学習することは大
変有意義なことだと思われます.