星の王子さま(16)


ドゴール将軍はイギリスに亡命し、「自由フラン
ス」のレジスタンス(抵抗運動)に立ち上がって
占領ドイツ軍と戦うよう呼びかけた.これに対し、
サンテグジュペリはフランス人同士が殺し合うこ
とが耐えられず、アメリカの参戦を求めて亡命し
た.
 「人はどうして愛し合わず、戦わなければなら
ないのか」
 4歳で父を失い、母の愛情に包まれて育ったサ
ンテグジュペリには、戦争を認めることはできな
い.飛行士でもあり、空の高みから見る独特の視
座を持って争う人間世界を批判した.
「星の王子さま」を書き上げた1943年春、祖
国解放の戦いに参加するため、北アフリカ戦線に
向かう.このときも、戦闘機ではなく偵察用に改
造されたP─38ライトニング機に乗った.
 ドゴール将軍との確執は続いており、サンテグ
ジュペリが軍務につくことに反対し、妨害.この
ため、サンテグジュペリは連合軍のアイゼンハワ
ー総司令官(後の米大統領)に「祖国のために死
なせてくれ」と直訴しなければならなかった.
 それが、今も尾を引いている.
サンテグジュペリ機かもしれない残骸の徹底調査
にパリから待ったをかけられ、いらだつマルセイ
ユでは「政界中央や軍部には、いまなお作家を快
く思わない人々がいる」とささやかれていた.
 フランス文化省が引き揚げ調査を正式許可した
ことは、政治の風向きが変わったことをうかがわ
せる.イラク戦争をめぐってブッシュ政権と激し
く対立するシラク政権は、戦争と平和を考え、愛
を訴え続けたサンテグジュペリの搭乗機に政治的
な価値を見出したのかもしれない.
  コルシカ島のボルゴ空港には、2㍍近い石碑が
建っている.
 「コルシカ島は1944年7月31日、作家で
飛行士のド・サンテグジュペリがここから戦争
の最後の任務に飛び立ったことを忘れない」
 毎年、この日に関係者が集まり、花束を捧げ
てしのぶ.60年目の今年(2004年4月3
日の記事)は、「搭乗機発見」が報告されるは
ずだ.(サンケイ新聞コラム)



             【13】
 Le premier soir je me suis donc endormi sur
le  sable à mille milles de toute terre  habitée.
J'étais  bien  plus isolé qu'un naufragé sur un
radeau au milieu de l'océan.  


           ——訳——
 (不時着)1日目の夜は僕は砂の上で寝た.
人里離れて数千里の砂の上に寝たのだった.
大洋のただ中に浮かぶ筏の上の遭難者以上に
孤立した状態だった.



            《語句》
sable (m) 砂  plage de sable  砂浜、
   mer de sable  広大な砂丘
endormir (他) 眠らせる
s' endormir  眠る   
naufragé(e) (形、名) 遭難した、
          遭難者  
radeau (m)(pl, radeaux) 筏、 
      radeau de sauvetage  救命ゴムボート、救命筏
isolé (形) 孤立した