仏教入門
                        【1】
ブッダは、青年期、鳥が虫をついばむのを見て、思い悩んだという。
自然界での普通のできごとなのだが、青年ブッダには、耐えがたいことだったようである。
後年、悟りを開いてからも、人と人の争いは、出来る限り、止めようとした。

なので、仏教といえば、殺生はしない、というのが、基本姿勢となる。

ただ、そんなことを真に受けていては、肉も魚も食べられないから、
そこそこにする、というのが、普通のレベルの人間。

肉も魚も食べない、というのは、禅寺の修行僧と、健康食志向の人だろうか。
本来、仏教では、宗旨を問わず、魚肉は食さないはずなのだが、
どこで、どう習い損じたか、わが法華宗のお坊さま方は、みなさん、魚肉OK

見ていて、あまりに、ふがいないから、ゴタが、手本を示して、
肉食禁止の生活をしてみようか、とも思っています。

そうなると、いままで、何気なく、我が家を寺、と呼んでいたのが、
もっと、積極的に、「寺」を自称したくなる。

吾田平寺では、魚肉を禁ずる。牛乳も準禁。

ただし、お客様と食事に行くときは、認めることにする。

                        【2】
  ブッダの従弟にダイバダッタという人がいた。
ある日、ブッダにこう言った。

  「肉食べたらあかんよ。」

ブッダ   : ええねん。信者さんの施しものや。
        ありがたく、いただきなはれ。

ダイバダッタ: あかんやん。


 その後、ダイバダッタは、教団を分裂させようとして、仏敵と言われることになった。
 ブッダは、信者の施す気持ちを大切にしたようである。
 なので、ゴタも、「魚肉を食べない」とは、宣言したものの、あまり
 こだわらず、やっていきます。

                     【3】
2時限目。フランス語教室。

「ひとりで学ぶフランス語」112ページまでやって来た。

Il pense à d'autres choses.

彼はほかのことを考えている。

なのですが、autre chose は、単数形で使うもののはずなのに、複数形になっている。

なんでだろう?と思うゴタ。

思うヒマがあったら、さっさとページを進めばいいのだが、
こういうところで、こだわって、動かないゴタは、何者だ?

  「わははは。俺様は、ゴタ仮面じゃ。わかったか。ははは」

こんなところで、ゴタ仮面を登場させてもいいのでしょうか?

  「ええやん。どうせ、無責任日記なんだから。」


ゴタ、今度は、文法の本が必要になって来た。

autre chose について、詳しく書かれた文法書を探しに行かなくちゃ。

ちなみに、 autre chose は 中性である。

中性とは何か?

なんでもええやん。もう次に進もうよ。ゴタ君。




  夕べ、悩んでいた文法(autre chose を複数形で使ってもいいのかという悩み)を
晴らしたいと思い、文法書を1冊取り寄せることにした。

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%83%95%E3%83%A9E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E+%E6%96%87%E6%B3%95

ところで、昇龍堂出版の「基本フランス語文法」は、
中古で出ている・・・ということは、もう、絶版なのか?

この本は、ゴタが学生時代?(中退したのでそんな時代はなかったのだが)
から持っている千社札みたいなものだ。
今もあるが、もう、背装が外れて、見開くのも、難しい。

たとえば、年老いた人が、よぼよぼ手押し車を押して歩くように、
よぼよぼとしか、ぺージは、めくることができない。

パラパラとは、めくることができないので、新しく買いたいとは、思っていたのだが・・。数年前、なんばのジュンク堂で売られているのを見たが、それ以来、知らない。
ジュンク堂は、今はなくなって、ドンキホーテになっている。

大きな本屋さんは、どんどん、なくなっている。
honto(ジュンク堂)やアマゾンで買えるからだ。

さて、アマゾンでも、hontoでもチェックしてみたが、
今回のゴタの悩みを解決してくれそうな本はなさそうである。

まあ、1冊は買うことにするが、あまり期待はできない。
来世、パリかどこか、フランスに生まれてきて、
フランス語を母語としたとき、この悩みは解決するだろう。

それまで、待ちましょう。
鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス。

J'attendrais jusqu'il chante, si le coucou ne chante pas. かな?

でも、贅沢な悩みですよね。
自分が発話するときは、単数形でしゃべればいいのだから。

彼はほかのことを考えている
Il pense à autre chose.

でいいのだから。

autre chose が文法的に中性代名詞だとしても、
扱いは、男性にすればよい。
実際の例を辞書で引くと、

Si nous parlions d'autre chose de plus interessant ?
もっと面白い別の話をしよう。

(引用は、ロベール仏和大辞典)

si + 直接法半過去形、で「誘い表現」をしている。
de plus interessant が男性単数形になっている(つまりautre choseも男性単数)

しかし、この辞書によると、une autre chose なら女性形だし、
cette autre chose も女性形だと書かれている。

そりゃそうだ。実際の言葉は、モノと言った場合、どんなものでも指すのだからね。
特に、指定がなければ、「男性単数」ということだろうね。

だから、昨夜、悩んでいたのは、

彼は、いろいろ別のことを考えたので、複数形になったのだろう。

Il pense à d'autres choses.

それでも
d' が何なのかは、まだわからないが・・・
de の縮約形なら

à のあとに de が来る?

ゴタ、もうここで結論を出すと、

これって、

Il pense à autre chose.

の植字ミスだな。


 【ゴタの日記】

スペイン語の通訳ガイドさんから、車+ドライバー手配の依頼がきました。

ジャンボタクシーを紹介したが、京都のジャンボタクシーは、4月から大幅値上げで
現行の1時間6300円から、9000円に上がる。
4時間観光だと、36000円になるので、ゴタ観光に回って来た。

4時間ドライブをプロドライバー集団「皐月会」に依頼すると、
5000円。みなさん、この格安料金でも、引き受けてくれるという。

  「どうせ、あそんでいるんだから、こづかい稼ぎだよ。」

ありがたいです。このグループは、退職ドライバーの会なので、全員60歳以上の
ご高齢。なので、75歳以上の人は、自主的にログアウトしてもらっています。

             【4】
 その後、「詳解フランス文典」(駿河台出版社)に当たったところ、
210ページに、

 autre chose : 不定代名詞 常に無冠詞、単数  意味は、「別の物、こと」
                              「別問題」

une autre chose : chose を名詞(女性単数) として扱う   「

d'autres choses : choses を名詞(複数形)として扱う

とあった。

この複数形の付加形容詞 d'autres のd は何か?
名詞chosesが複数であるので、不定冠詞がつくとしたら、
des であるところ。

しかし、des autres についていえば、

フランス語では、複数名詞の前に付加形容詞(これも複数形になる)
がつくと、

  des → de

になる、という規則があります。

おそらく、
des のsが後ろの形容詞に移動したためだろうと思う。

 des autres choses → d'autres shoses


これを 「恋人Sに逃げられた不定冠詞の法則」と名付ける。

ただし、よそで、言わないように。恥かきますヨ。

ちなみに、形容詞が名詞の後ろに付くときは、des のまま。


des jardins public 公園

de beaux jardins 美しい庭
 

はい、それでは、きょうの学習を終わります。
ほな、さいなら。


   「異邦人」を読みました。のっけからつまずきました。
やはり、家庭教師みおなく、塾にもいかず、安く済ませようと
しているので、どこかに、無理が生じる。

つまずいた箇所は下記の通り。


On aurait dit un jacassement assourdi de perruches.

まるでインコが小声でさえずっておるようだった。


なんで、このような対訳になっているのかが、よくわからず、
1時間以上、学習は、ストップしてしまいました。

そして、わかったことは、
On aurait dit  に 「まるで~のようだった。」
という意味があるらしいのです。

「~だと、人は言っただろう。」というのが直訳です。

「~だと人は言っただろう。」→「まるで~のようだった。」

少しひねって訳せばよかったようです。

しかし、はじめに辞書を引いたところが、jacassement(おしゃべり)
だったので、dire jacassement (おしゃべりをする)
という見出し項目を見つけてしまった。

そうなると、こっこの訳は、

インコによって耳をつんざくほどのやかましい声でおしゃべりしたようだった。

という奇怪な文章ができあがる。

assourdir には、意味がふたつあって、
1:(騒音などが)耳を聾する。耳にがんがん響く 
   (おしゃべりで)うんざりさせる。人をいらだたせる

2: 弱める。和らげる

しかも、その現在分詞がassourdissant(e) (騒々しい)であることと、

de には、par と同じく、受動態の動作主を導く機能があるため、

ついつい、

人はインコによって、騒々しくなったようなおしゃべりをしただろう。

と訳して、「なんじゃ、これ?」

と、なってしまった。

やはり、言葉というのは、最初に間違った情報を得てしまったら、最後、
ドツボにハマってしまう。

しかも、フランス語の辞書の場合、英語ほど、充実はしていないので、
語彙の訳出にも、あまり、現実に沿った日本語が充てられていない。

辞書の訳語と現実に運用されている意味とには、
かなり開きがある、ということなのです。


 ブッダが説いた仏滅後の500年が過ぎようとしたころ、
仏教教団は、部派仏教と大乗仏教とに分裂を始めた。
まさに正法の500年が過ぎようとしていた紀元0年前後のことです。

このころに、たくさんの大乗仏教典が編纂されたらしい。
まさに、ブッダが説かれた像法(形だけの仏教)、多読誦堅固の時代と一致する。



部派仏教教団では、ブッダの教えの解釈の研究に専念するあまり、
教えを説いたり、大衆に広めたり、ということはしなかった。

多くの人を救うのが、ブッダ(釈尊)の生涯であったはず。
そう考えた修行増たちは、ストゥーパ(仏塔)信仰する大衆たちに、
教えを説いた。そして、彼らのために、多くの経典を編纂した。
これが大乗仏教の起こりであるが、この大乗仏教は
北伝と呼ばれ、西域~中国経由で日本に伝わった。

アビダルマ(経典解釈)に没頭していた部派仏教は南伝とよばれ、
タイ、ビルマ、スリランカなど、南域に伝わった。

この南伝の仏教は、アショーカ王(2,3世紀のインドの王様)
の時代に編まれた仏典を保持しているので、
かなり、ブッダが説いた教えに近いとされています。

では日本に伝わった大乗仏教はブッダの教えではないのか?という疑問が
生じますが、答は、「はい、ブッダの教えではありません。」

  「しかし、ブッダの教えを含んでいます。」

なので、捨てさることはできません。
たとえば、100万円の札束を古新聞紙に包んで、
これは、古新聞紙だから捨てましょう。とは、ならないように。

古新聞紙の部分にあたるのが、頌偈(詩歌形式の部分)だったり、
菩薩の思想だったり、インド文学との融合だったり、また、中国に
取り入れられてからは、儒教の要素が入ったりで、
もとの教え20%、後世に組み入れられたのは、80%ぐらいかと思います。

でも、それをそのまま、広義の仏教としてそのまま受け入れている
というのが、今の日本の仏教界です。

古新聞紙ごと、通貨として使っているみたいな。

我が、日蓮宗のお寺でも、

 日蓮聖人いわく、「袋汚しとて、黄金を捨つるなかれ」

として聞いております。



一方、南伝仏教はというと、古新聞紙の部分がない分、かなり原型に
近いと言われています。たとえば、岩波文庫で出ている

 「ブッダのことば」 「感興のことば・真理のことば」
 「ブッダ最後の旅」

など。

でもこれらの教えは、どちらかというと、仏教というより、
道徳や倫理みたいなもので、どこにも、たいして不思議なことや
奇蹟話は説かれていません。ちょっとがっかりかも。

どちらかというと、中国の諸子百家たちの孔子、老子、韓非子なんかのほうが、
わかりやすく、実践もしやすい。そして、自己への啓発や戒めに役立つかも。 

私、個人的には、奇蹟や、不思議がないと、信仰の対象になりにくいと
思っています。つまり、菩薩や、夜叉や鬼神、竜王などが登場して
最後に釈尊に説き伏せられ、めでたし、めでたし、となるストーリー
でないと、安心できない。そうおもうのであります。


 大乗仏教(Mahayana) が非仏説という論義もよくなされる。

大乗仏教の経典は、仏滅後、ストゥーパ(仏塔)参拝にきた巡礼者たちに
教えを施す法話として編まれたのだ。

「大乗経典が仏説でない」という主張は、ストゥーパ(仏塔)が
「生きたブッダではない」と言っているようなものだ。

かと言って、遠方よりはるばる参拝にきた巡礼者たちに
「お布施、ありがとうね。」とだけ言って、お帰りいただく、というのも
心ずらいですよね。

仏塔管理グループは、説一切有部などの部派から先生を招いて
コーチになってもらって、新たな仏教経典を編んだことでしょう。

さらには、仏教文学者とも交流し、本生譚(ジャータカ)をも参考に
新たな仏典を編んだのかもしれません。

このように、仏滅後に、部派の仏教教団にいた出家僧侶ではない
部外者の手で、仏塔、仏像、大乗経典は作られていった。

仏塔も仏像も生きたブッダではない。でも仏像は、あるいは、仏塔は、
生きた生身のブッダとして礼拝された。
仏典も部派の仏典を荘厳し、ブッダを如来に神格化し、
菩薩という架空の弟子たちも登場させ、編まれていった。

その意味では、大乗は仏説ではない。
もとの仏典から雪だるま式に膨れ上がった文学ともいえる。

その点では、原始仏教経典のスッタニパータ
などのほうが、ブッダの言行録に近い。

こうして大乗仏教典が誕生すると、これまでの
「修行によって悟りを得る」、という概念は塗り替えられた。

「ブッダは・・・如来は。この世に生まれてきて、
 29歳で出家して、35歳で悟りを得たのではない。
 前世で、またさらにその前の前世で、何度も、何度も修行していたのだ。」

いわゆる歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)の思想を生んだ。
つまり、出家して6年間の修行で、悟ったのではない、と言っている。
今の私たちからすれば、

  「さあ、どっちだ?」

と迷ってしまいそうな、新しい思想である。

小さな女の子が囲碁初段でプロの棋士になった。
そして大人の先輩のプロ棋士たちを負かせて話題になっている。

そういう子も、ある意味では、前世で囲碁の修行をしていた
とみても、いいのかもしれない。

それは、まあ、謎のままにしておきましょう。

西遊記のもとになった玄奘が中国からインドへ経典を取りに行ったとき、
玄奘は、インドのナーランダ仏教学院でしばらく学んだという。

当時(7世紀初頭)ナーランダ仏教学院では、
大乗仏教も小乗仏教も併学できた。

当時の学生たちは、原始仏教典と、
大乗、そして注釈書を学んだものと思われます。

注釈書というのは、中観思想や、空(くう)の思想、
瑜伽行、唯識思想など。

そんなコムツカシイことを
ブッダは決して説かなかったとは思うが・・・

たとえば、英語の学習をする。
そこそこの英文法は確かに学ぶ。
しかし、ほとんどが実践だ。実践で学ぶ。
文法書には頼らない。

文法書は図書館に行けば、山ほどある。
「前置詞論」だけで、分厚い一冊がある。
「冠詞論」も分厚い一冊がある。

しかし、そんなもの、通訳ガイドはきっと読まない。

同様に、お寺の僧侶さんたちもきっと難しい注釈書は
あまり読まないかなと思っています。
これも「大智度論」をはじめ、「中論」「如来象」・・
山ほどあります。・

要は、悟りを得て、苦しみから解放されれば、
そして、生死の長夜から解放されればいいのですから。

 

 

      フランス語入門と仏教入門

 

ブッダはアシヴァッタ樹の木の下で悟りを開いた。
その木はのちに、菩提樹とよばれるようになった。
ただし、これはインドボダイジュのことでクワ科に属する樹木。
イチジク属の判落葉高木だそうだ。

ドイツの菩提樹、リンデンバウムは欧州シナノキ科

(中国原産なのでシナノキ科と命名されている)
で、別物である。
でもどちらも大きいので我々には、どっちだっていいかもしれない。

さて、悟りを開いてのち、一週間、ブッダは、この菩提樹の下で
瞑想をつづけた。悟った内容を反復して、味わっていたという。

それから、場所を移動してこんどは、アジャパーラ溶樹の下で、
同じく結跏趺坐して、瞑想をつづけた。

さらに一週間して、今度は、ムチャリンダ樹の下に場所を変えた。
ここでも瞑想に入ったのだが、このとき、
雨が降って来た。
すると、ムチャリンダ竜が降りてきて、ブッダの身体を巻き包んで
雨から守った。

そして、次の一週間、
ラージャーヤタナ樹の下で瞑想を楽しんだ。
このとき、2人の商人が信者になった。


さてその7日目の終わりに、天から梵天が降りてきて、
ブッダに懇願した。

「教えを衆生に説いてください。」と。

このところ、経典によって、ばらつきがあって、
28日間の瞑想のあと、ふたたび、アジャパーラ樹の下に
おもむいて、瞑想を続けたとする経典もある。

ただし、そんなことを言っていたら、なかなか前に進まないので
ゴタの日記では、4週間説を採用する。

4週間ってなかなか、味のある長さです。
ゴタが最近ヤフオクで入手した「フランス語4週間」
これは、4週間であなたもフランス語がマスターできるという
夢のような本。

実際に、4週間でマスターできるのかどうか、、やってみます。
きょうから、4週間したら、仏検4級の申し込みしてきましょうかね。
4級をもって、「マスターした」というのは、厚かましいか?

えーと話が脱線したが、ブッダは、悟りを得て、しばらくは
瞑想したままだった。その間におそらく、教えを
どのように伝道するかについて、考えていたのでしょう。


今みている本によると、ブッダは、7週間を瞑想で過ごした。
すなわち、49日目に梵天勧請があったことになっている。

49日目に帝釈天がおりてきて、食物と歯を磨く薬草を
供養したとあります。

さて、いよいよ、伝道を開始します。
まず、悟りにもっとも近い人物は誰か?
その人は、はじめにブッダが教えを受けたアーラーラ・カーマ-ラである。

 「今はどこにいるのだろうか?」

ブッダは、瞑想により神通力で探した。
そしたら、1週間前に、亡くなっていた。

仕方がない。では、その次に悟りに近い人物は?
それは、最後に教えを受けたウッダカ・ラーマ・プッタだ。

しかし、同じく、神通力で居場所をみたが、
彼も、昨夜、亡くなった。

そこで、その次にブッダの悟りの内容を理解できる人は?
と思いめぐらしたとき、思い浮かんだのが、嘗て一緒に
修行していた5人の仲間たちであった。

彼らは今、ベナレス(鹿の園)にいる。神通力で彼らの居場所を
探したブッダは、ベナレスのサールナートに入った。

そこで彼らと再会を果たした。
5人の元修行仲間のうち、最初に悟ったのが、コンダンニャであった。
このとき、ブッダは喜んだ。思わず声を上げたという。

  「コンダンニャが悟った。コンダンニャが悟った。」

そして、残りの4人もやがて悟った。
こうして、この世に6人のブッダが誕生した。

しかし、悟ってブッダになったにもかかわらず、釈尊入滅後は、
いくら悟りを得てブッダと同格になった人々は、
ブッダより、一段引き下ろされて、阿羅漢という低い地位が充てられた。

これにより、ブッダの教えは、「苦しみからの解放」ではなく、

 「宗教」

になった。


それはそうとして、
サールナートでの5人の元修行仲間あちの教化のあと、
ブッダは、ヤサという青年を教化する。

良家の子、ヤサは鹿の園で、ブッダと出会う。
ヤサの悩みをブッダは、教えを説いて解決に導いた。
ヤサは、ただちにブッダの弟子になり、ブッダの下で修行した。

やがてヤサは悟りを得た。この時点で、地上にブッダは7人となった。
そして、ヤサの4人の友人たちもブッダの下で出家した。

みんなりっぱに修行し、悟りを得た。これで地上に11人のブッダが生まれた。

さらにタサの友人50名も出家し、地上にブッダは、61名となった。


【ウルヴェーラーへ】

ベナレスでの教化活動を終えて、はじめに悟りを得た場所(ブッダガヤー)に近い
ウルヴェーラーへ行く。

ウルヴェーラーへ向かう途中、ブッダは密林で遊女を追っている青年に出会う。 
そして教化します。

青年  :女を探しているのですが見かけませんでしたか?

ブッダ :女を探すより、自分自身を探しませんか?

青年  :え?どゆこと?

 
さらに、3人の髪結いのバラモンを教化します。さて、初期の教えは
どんな内容だったか?
そのテーマは、「苦しみからの解放」だったと言われている。
その説法方法は、「四つの聖なる真理」という4段階テーマだった。
それは「四諦(したい)」と呼ばれているものです。
すなわち

① 苦諦、(くたい)    迷いのこの世は一切が苦
② 集諦 (じったい)  苦の原因は煩悩・妄執、愛執である
③ 滅諦 (めったい)  苦しみを滅するにはどうするか
④ 道諦 (どうたい)  悟りに至る道の実践=八正道

の4つだ。
ただし、当時のブッダがこんな難しい言葉は使わなかったと思います。

ゴタには、さっぱりわかりません。こんなんで悟れますのか?

おそらく2500年の間に少しづつゆがめられて伝えられてきたのだと
思います。ゴタ流解釈はこうだ。

① あなたが楽しいと思っていることは、実は苦しみの種なのだ。
② その苦しみの種は、遅かれ早かれ、咲き乱れるときがくる。
③ そうなる前に、憂いの種を摘み取ろう。
④ 楽しいことも、苦しいことも、淡々と受け流そう。
  それが、心の雲を追い払う悟りへの道だ。

こういう風に解釈すると、ほとんどの経典と矛盾なく理解できる。

ウルヴェーラー村でブッダは、
500人の弟子をもつウルヴェーラー・カッサパと
300人の弟子をもつナディー・カッサパと、
200人の弟子をもつガヤー・カッサパを
それぞれ、神通力合戦をして、勝利をおさめ教化した。

ウルヴェーラー・カッサパ(ウルヴェーラーに住むカッサパ)と
ナディー・カッサパ(ネーランジャラー河に住むカッサパ)と、
ガヤー・カッサパ(ガヤー市に住むカッサパ)は、
3人兄弟だった。彼らはみな、火の神を祀るであったが、
この教化で、1000人の弟子が誕生した。

その後、まもなく、ブッダは、この大集団を率いて
ガヤー市の西南5里にある象頭山(ぞうずせん)に登り、
「燃える火の教え」を説いたという。

「修行僧らよ。すべては燃えている。すべてには終わりがあり、
 それに向かって燃えている。」

これだけでは、わからないので、ゴタ流注釈をつけると、

「すべては、燃えて、灰と化すように、変化し流転し、
 無常を秘めている。それゆえ、すべては失われるモノである。
 失う苦しみから逃れよ。物事に執着するな。サラリと受け流そう。」

こんな感じの説法だったのではないかと想像します。


  ブッダは、ウルヴェーラーで教化した弟子1000人余りを率いて
今度は、ラージャガハ(マガタ国の王舎城)に向かった。
ここでマガタ国王、ビンビサーラがブッダに帰依した。

ビンビサーラ王は、王舎城近郊の竹林精舎をブッダの仏教教団に寄進した。

王舎城で、サーリプッタとモッガラーナが弟子となる。
彼らは、他宗、サンジャヤの弟子だったが、この教えに満足しておらず、
サンジャヤの弟子を連れてブッダに弟子入りしたものだから、
サンジャヤは口から火を吐いた
と言われている。

口から火を吐いたというのは、悪態の限りを突いたというほどの意味だと思います。

わーい(嬉しい顔)

その後、ブッダは、生まれ故郷、カピラヴァットゥに帰る。
実に悟りを開いてから15年。
カピラ城の下で、托鉢をしている自分の息子をみて、
父、シュッドーダナは、びっくりする。

 「おい、息子よ。そんなみっともない真似はやめてくれ。」

 「しかし、これが、出家者の習わしなので・・・」

 「とにかく、お弟子さんたちにも、食事を用意するから、
  城では、おとなしくしていてくれ。」

さて、夫に黙って出て行かれた妃、ヤショーダラ妃は、
すぐさま、息子、ラーフラを呼びつけてこう言う。

 「ご覧、あれがお前のお父さんだよ。
  さあ、お前はお父さんのところに行って、こうお言い。
  (お父様、私にすべての財産を譲ってください)と。」

ラーフラは、母に言われた通り、父のもとに駆け寄って、

  「お父様、私にお父様の財産のすべてを譲ってください。」

そういわれたブッダは、その場でラーフラを出家させてしまった。

  「息子よ。これが、私の大いなる財産である。
   金銀財宝は、苦しみの種だ。今、父はお前に
   永遠に苦しみから解放されるすばらしい父の財産を
   授けよう。」

そういって、息子ラーフラを出家させてしまった。
このとき、従弟のアーナンダ、異母弟のナンダ、理容師の
ウパーリが出家した。

さらに、育ての母、マハーパジャパティも出家した。
(彼女の出家委は、ブッダが2度目に帰郷したときに叶った。
 ブッダははじめは女性の出家を受け入れなかった。
 男女が共にいると、瞑想や思念に乱れが生じるためだと思う。
 アーナンダの強い懇請があって、ようやく認められた。) 

あまりに多くの身内が出家する様をみて、父、シュッドーダナは
ブッダに懇願する。

  「世尊よ、お願いですから、もうこれ以上、身内を出家させるのは
   やめてください。これ以上、身内がいなくなると、
   カピラ城の存続が危ぶまれます。」

さすがに、父のこの懇願は受け入れて、
これ以上の出家はさせない、と約束をしたといいます。  


さて、そんな話はこのくらいにして、
いよいよ本題。

ブッダの教えは、
 

① 怒らないこと:  実は①と②とはつながっていると感じました。
           富士五湖が水底でつながっているように。
           元品の無明といいますが、水底のつながって
           いる部分があると思います。
           


② 情欲を離れること:これは、離れる以前に、女性に無縁なので
           問題外。ただし、Hなサイトには行かないよう
           自制しましょう。


③ 我執を捨てる: 凡夫の浅い知恵で仏説を批判することは慎みます。


④ 瞑想:     ブッダ在世のころの尼僧たちの告白を読んでいると
          みなさん、悟りを得る前に深い瞑想により、
          前世の記憶を呼び覚まし、そして、すべてが
          理解できて、悟りを得ています。
          まあ、ここまでの瞑想はゴタには、とてもできません・・、
      

 

フランス語入門と仏教入門 併修コース(つづき)

 

王舎城のあるマガタ国の隣国はコーサラ国で、当時このふたつの国が
インドをほぼ二分して支配していた。
コーサラ国の首都は、サーバッティ市。
このサーバッティ市には、スダッタという富豪がいた。
彼はこの上ない慈善家で、「孤独な人々に食を給する人」と呼ばれていた。
【漢訳の経典では、「給孤独長者(ぎこどくちょうじゃ)」】


彼はある日、商用でマガタ国の王舎城に出向いた。そのとき、ブッダを見て
その神々しい姿に畏敬の念が生じ、その場で帰依したという。
在家信者として受け入れられたスダッタは、ブッダに

 「ぜひともコーサラ国においでいただきたい」

と懇願し、受け入れられた。

故郷のコーサラ国に戻ったスダッタは、ブッダとその一行に
マガタ国でみたような、りっぱな精舎を寄進したいと思い、
よい場所を探していた。
そして、ついに最適の場所を見つけた。そこは、ジェータ林という
閑静な場所で托鉢するに町から遠からず、瞑想するに、街の喧騒から離れている。

スダッタは、この土地の持ち主、ジェータ太子に掛けあう。

 「この土地をゆずってください。」

 「だめだ。ほしかったら金貨をこの土地に敷き詰めてみろ。」 

スダッタが本当に、金貨を運んできて、地面に並べているのを太子が見て、

  「おい、やめなさい。もうそれで十分だ。
   残りの土地は、私がブッダの一行に寄進しましょう。」

そしてついに誕生したのが、「祇園精舎」
精舎というのは、僧院のことです。大寺院。

金貨が敷き詰められなかった場所には、ジェータ太子が門と門屋を建造した。

つづいて、スダッタが精舎、僧房、勤行堂、経行処、厨房、井戸と井堂、厠房、火堂、
池、延堂を造営。りっぱな精舎が完成した。

ただし、今のお寺のような暮らしではなく、
質素で、まるで仙人が住んでいるようだったと伝えられています。



インドの地図を見ると、ラージギルという都市があります。
これが、当時のラージャガハ(王舎城)です。

ブッダ何度も、サーバッティ市の祇園精舎とラージャガハの竹林精舎を
行き来したようです。

とくにラージャガハでは近郊に「鷲の峯」という山があります。
その山で、数々の教えを説いたと言われています。
法華経もここで説かれたことになっています。

(ただし実際に法華経が編まれたのは、仏滅後400年ほどたってから)

法華経序品には、眷属1万2000人と供なりき、と書かれていますが、
あそこの場所は、せいぜい30人。観光バス1台の客までしか見物できません。
(行ったことないけどね。写真で見る限りとても狭い)

しかし、重要な教えはここで説かれたとのことですから、見過ごせません。
ここでの説法は、これまでの
対機説法とはちがいます。大勢の前での説法ですから、万人に当てはまることしか、
述べられません。つまり、誰が聞いても聴く価値のある説法だったというわけです。

対機説法をたとえると、町医者の診察室。
先生はその人の病気に応じた薬を処方してくれます。
一方、鷲の峯での説法は、医学全書。
どっかのページにあなたの病気のことが書かれています。

さてこの鷲の峯、
今風に言えば、30人ほどの部屋で、特別集中ゼミに参加するようなもの。
法華経には、繰り返し、

  「わが滅度のち、誰が私の教えであるこの経を伝えるのか?」

と聴衆に聞きます。それほど、後世にも通用する教えが説かれていたのですね。


ということで、これより、お話のテーマをブッダの教導記から、「法華経」
に変更します。

 この

 「わが滅度のち、誰が私の教えであるこの経を伝えるのか?」

 というブッダのセリフは法華経の「従地湧出品第15」に出てきます。

みなさんと一緒にみていきましょう。

このとき、大地が揺れます。ガタガタガタ・・・地震でしょうか?
すると、地面から、たくさんの菩薩が出てきます。
湧き出すように多くの菩薩が出てきます。
彼らの身は金色に輝いています。

そして彼らは言います。

 「世尊よ。後の世には、私たちがこの教えを伝えてまいります。」

法華経はこのあと、「如来寿量品」に進みます。

この章では、仏は自分の寿命はもっと長いのだと宣言します。
つまり、

  「私はBC.463年に生まれて、同383年に入滅するブッダではなく、
   本当は、もっと昔から生きていたし、これからももっと生きてます。」

と宣言しました。

これはすごいことをおっしゃいました。
ゴタも何か、すごいことをいうとしたら、

   「私は、フランス語四週間の本を読むのは初めてだが、
    実はもっと前に学習したことがある。その本は
    (ひとりで学ぶフランス語)という本だった。
    ただし、復習しなかったので、ほとんど忘れた。」

法華経とは、全然、違うけどな。

ところで、「従地湧出品第15」は何を言おうとしているのか?

はい、お米は白米ではなく、玄米を食べましょう、と言っています。
なんで?
はい、もっぺん読んでみましょう。

このとき、大地が揺れます。ガタガタガタ・・・地震でしょうか?
すると、地面から、たくさんの菩薩が出てきます。
湧き出すように多くの菩薩が出てきます。
彼らの身は金色に輝いています。
それぞれの菩薩が、また多くの眷属(身内)を伴っています。
・・・・

これは、お米です。地面から生えてくる。
菩薩というのは人を助けます。
自分を犠牲にしてでも助けます。
つまりお米は自分の身を人に捧げています。
身は金色。
お米は、秋には黄金色をしています。

それぞれ眷属を伴っています。
一本の稲には、多くの米粒ができます。

玄米を食べると、病気も治るらしいです。
てか、こんなことを言う前に、自分で
玄米食を実践しないといけませんけど。

いちおう、そのつもりで、玄米30キロを
ヤフーショッピングで買いました。ボサツ様を買いました。

ここ2週間、玄米食をしています。
父の血糖値は、下っております。
ゴタ、血圧は正常値を維持しております。

玄米食  2週間 現在完了形
フランス語4週間 未来形

 

 

 

          


ゴタぴょん