【3】
いいことをすれば、いい報いが来る。
悪いことをすれば、悪い報いが来る。
そうだということは、長年の信条ではあるが、
それが、どのタイミングでいつ来るかが、わからないので、
「やっぱり、そういう報いは関係ないんじゃないの?」
と思ってしまって、つい、このテーマをおろそかにしがちである。
でもそれじゃ、せっかくの、「善因善果、悪因悪果」という
ブッダの聖なる教えも、無駄になる。
大切な教えを、まるでゴミ箱にでも、捨て去るようなものだ。
もったいない。
おそらく、100万円の札束をゴミ箱に捨て去るようなものだ。
さあ、みなさん、
100万円を儲けたと思って、今一度、
このテーマをもって、人生をやっていきましょう。
真実の言葉 第5章
69番:愚かな者は、悪いことをおこなっても、その報いの
現れないあいだは、それを密のように思っている。
しかし、その罪の報いが現れたときには、苦悩を受ける。
71番:悪事をしても、その業(カルマ)(は、搾りたての牛乳のように、
すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら
愚者につきまとう。
まあ、そういうことであるから、
「いいことをしたのに、結果が現れない」
と嘆くことはありません。いいことをしても、「搾りたての牛乳の法則」が
あてはまりますから、気長にまっていましょう。
以前、うちにいたネコが気長でしたね。
穴に追い詰めた獲物を、穴のそばで、いつまでも、じっと待っていました。
出てきたときに食べていました。
気長に待つこと。それがすべて。
と、今まではそのように、簡単に考えていたのですが、
この「善因善果、悪因悪果」の法則、実は、
過去世からの因縁も作用しているらしいのです。
こうなったら、前世の記憶がない以上は
幸不幸の原因を追究することは不可能。
ただ信じるしかない。
通りを歩いていて、よくあることですが
自転車がすれすれを猛スピードで追い抜いていくことがある。
それも、ベルをならさずすっ飛んでいく。
何と危ないこと。
「すみません」
の一言もないやつもいる。
こういうとき、頭にくるが・・・・
そこで、この過去世の因縁を考える。
「ああ、前の世で、おいら、逆に、あの人が歩いている
そばを、猛スピードで、追い抜いて行ったんだなあ。
じゃ、これで、おあいこだから、もうおしまい。忘れよう。」
と、自分を言い聞かせる・・・ことにしたのだが、
そううまいこと、自分をコントロールできない。
それは、やはり、そう思えるまで、修行だな。
これを名付けて、「前世因縁すみやかに信じ、はらをたてない道」
という武道の一種と考えるべきか?
ならば、本日、この道場に入門しよう。
もう少し、短い名前にしよう。
「前世信じる道場」
かな?
お釈迦様の時代では、お弟子さんたちが、深い瞑想で
前世の記憶を呼び起こして、どう自分を矯正していくかを
学んでいたとか。
でも、そんなこと、今の時代、とてもできないし、ありえない。
まあ、信じるしかないだろうね。そういうこともあるだろねと。
フランス語学習のお時間
仏作文:ポールはマリーに宝石をあげる。
英作文なら、
Paul gives Marie a jewel.
として涼しい顔していてもいいのですが、フランス語で
Paul donne Marie un bijou.
ポール ドーヌ マリー アン ビジュー
( donne が英語の gives に相当。bijou は宝石。)
とすると、これは、答案としては、間違いなのだそうな。
フランス語では、だめなのだそうです。
文法書には、
フランス語は英語と違って、名詞の目的語をふたつとも、
前置詞なして並べることはできません、と書かれている。
さて、この仏作文に必要なフランス語の単語を見てみましょう。
~に = à (アと読みます)前置詞です。英語の to に相当します。
与える=donner (ドネと読みます)
この動詞を6通りに人称活用させると
je donne ジュドーヌ 私は与える
tu donnes トゥ ドーヌ 君は与える
il donne イル ドーヌ 彼は与える
nous donnons ヌードノン 私たちは与える
vous donnez ヴー ドネ あなたたちは与える
ils donnent イル ドーヌ 彼らは与える
それで先の文章の正しいフランス語は
Paul donne un bijou à Mare.
ポール ドーヌ アン ビジュー ア マリー。
前置詞つきの名詞は「間接目的語」と呼ばれています。
à Marie (ア マリー)
「マリーに 」 という意味になります。
【練習】
まず単語学習
me ( ム と読みます。 メではない) 「私に」という意味
livre (リーブル と読みます) 「本」 という意味。男性名詞です。
フランス語では名詞はすべて、男性名詞と女性名詞に分かれます。
いけめん男性名詞とか、そういうのは、ありません。
では次のフランス語の意味を考えましょう。
Marie me donne un livre.
マリー ム ドーヌ アン リーブル
マリーさんは本を私に与える。
じゃ次の練習問題ね。
私はマリーさんに本をあげる。
これをフランス語で言ってみましょう。
正解は
Je donne un livre à Marie.
ジュ ドーヌ アン リーブル ア マリー
です。
でも、聞き手がどの本のことかがわかっていれば、
un を le (ルと読む)に変えます。
Je donne le livre à Marie.
ジュ ドーヌ ル リーブル ア マリー
「私は」 は je (ジュ)
「私に」 は me (ム)
では、「~は」も「~に」も使わない「私」だけなら、どういう?
「私」 は moi (モワ) といいます。
昔、トワ・エ・モワ という二人組のフォークグループがありました。
トワ toi は 「君」という意味。
モワ moi は 「私」
エ et というのは、「そして」 の意味。
【4】
「ブッダのことば」を読んでみると、すっかり煩悩を捨てた僧侶の
すばらしいことが、いっぱい書いてあります。
でも、どのようにして「煩悩」を捨てるのかについては、何も
書かれていません。
たとえば、お金儲けできたら、すばらしいことが
いっぱいあるでしょうけど、
どのようにしたら、儲かるかについては、誰も言ってくれない。
結局、肝心かなめのところは、自分ひとりで
生み出さなければならない。
たとえば、出産する女性は、旦那に半分出産してもらうわけにはいかない。
自分でする。産婆さんは「がんばれ」というだけ。
生まれてきた赤ちゃんは取り上げてくれるけど・・・
金もうけも、悟りへの道も。出産も。
生まれてくる子も、ひとりで生まれてこなくてはならない。
人は、大事なことは、自分ひとりですることになる。
漢文のお経文がありがたいといっても、
残念ながら、読んでも、意味などわかるはずもありません。
仏教が我が国に伝わって以来、修行者はあまたしゅつらいしたが、
第二のブッダはいまだ現れていない。
たとえば、料理の本があるからと言って、
美味しい料理が作れるというわけにはいかない。
まして、こちら、仏教本は、意味のわからない漢文だ。
これをチンプンかんぶんという。
でもありがたいことに、お経文は、
今では岩波文庫で日本語訳で読める。
「法華経」には崖から落ちていく人が、
「南無観世音菩薩」
と叫ぶと、空中に浮かぶと書かれています。
でも、それは物理的にありえません。
そんなことで空中に浮かんだら、ヒコーキ事故で人は
全員助かります。
ここでいう、「空中に浮かぶ」 というのは
この世のものに、一切囚われがなくなるということだと思います。
深く、菩薩(観音様でなくてもいいっしょ。虚空蔵菩薩様でも、薬王菩薩様でもOK)
様に帰依すれば、煩悩を断ち切ることができる、という意味解釈でよいと思います。
「法華経」によると、この経典を祀って供養せよとあります。
ということは、「法華経」そのものが、菩薩様の代わりをしてあげる、と
言っているようなものだ。
なので、煩悩は菩薩様の代わりに、その経典そのものを
おまつりして、帰依すればよい、ということになる。
それで、南無妙法蓮華経 と叫ぶ。一応、筋は通っています。
この経典を後の世に伝えるため、古代インド人たちが工夫を凝らした
ということが見て取れます。
その古代インドでは、洞窟の中で、瞑想し修行したといいます。
夜中に、トラが叫ぶと、恐怖でおののいたといいます。
修行者はみんな、この恐怖と戦ってきた。
今の日本では、トラは動物園の檻の中で
おとなしくしています。
でも見に行くなら、トラではなく、アルパカを見に行きたいな。
さて、フランス語のお時間にしましょ。
Voici un livre.
ヴォアスィ アン リーブル
ここに本があります。
Voici ma pomme.
ヴォアスィ マ ポーム
ここに私のりんごがあります。
Voici (ヴォアスィ)は
ここに~があります。という単語です。
Voici のあとに、人でも、物でも置いて大丈夫です。
Voici une fille.
ヴォアスィ ユヌ フィーユ
ここに女の子がいます。
日本語では、
人: ~がいる
物: ~がある
と使い分けをしますが、
フランス語の voici は、人でもモノでも voici です。
次に voilà (ヴォアラ)を 覚えましょう。voilà は
あそこに~があります(います) という意味です。
Voilà un chat.
ヴォアラ アンシャ
あそこにネコがいます。
ヾ(@^▽^@)ノ
またね
ゴタぴょん
【5】
明日の分のフランス語のおべんきょの時間も入ってます。
その部分は明日だよ。ゴタは明日は不在なので。
【スーパー】
レジ : お兄ちゃん、ネスカフェ、チラシ入った日に買わな。
きょうは1080円やん。
ゴタ : チラシなあ。今度から見とくわ。
レジ : せやで。あんた。安売りの日は680円やん。
もう、あんたお金持ちやから。
ゴタ : あるか。なんちゅーことを。
貧乏人つかまえて。
ゴタ家では、たまたまコーヒーを切らして近所の
スーパーに買いに来たのだが、レジのおばちゃんには、かなわんよ。
贅沢な日もある。インドネシアのコーヒー豆が近所の喫茶店で売っている。
【近所の喫茶店】
コーヒー豆を買いに行った日のこと
店長 : このコーヒー、おいしいで。
インドネシアのコーヒー。
ゴタ : インドネシア? カリマンタンが山火事で豆焼けたとこ。
あれで、イギリス人が飲むコーヒーがなくなったとか。
店長 : いつの話や。
ゴタ : だいぶ前やけど、あっこのコーヒー豆は
ロブスタ種やろ?苦いゆうてたで。
豆はやっぱり、アラビカ種でないと。
店長 : そんなん、決まってるかいな。
まあ、飲んでみいな。
うちで出してるコーヒーや。まずいことあれへん。
まあ、
お店の話では、大阪は軟水なので
酸味は感じても苦みは感じないらしい。
苦みは炒り加減ででも変わる。
お店では、カネフォラ種とアラビカ種が売られています。
【再びスーパーの話】
それで、ここのコーヒー200g、1080円
それとスーパーのネスカフェが1080円だったので、
何も気にせず買ったのだが、金銭感覚の敏感な主婦の
レジの奥様方のご意見は尊重すべきですね。
フランス語のおべんきょの時間だよん。
フランス語のおべんきょの時間です。④
動詞 être (エートル) を学びましょう。
être とは何か?
それは、主語 と述語 が イコール になることを説明する動詞で、
繋辞(けいじ)とかコピュラとかの名前で呼ばれています。
「~です。」という意味。
「です」とか「だ」の意味しかない影の薄い存在ですが、
あとでだんだん、効き目がわかってくる不思議な動詞。
親の意見と冷酒があとで、効いてくるように。
と書いたけど、わからん人が多いかも。
主語(しゅご)というのは、その文のテーマです。「~は」とか。
「~がさあ・・・」
で始まることば。~ の部分のこと。
述語(じゅつご)とは、主語を受けて、「~なんだよ。」 と説明することばで
~ の部分のこと。フランス語では、補語と呼んでいます。ホゴね、ホゴ。
何?さっぱりわからん? じゃ、実践でわかってもらっていいですか?
わては学生でんねん。
わては = 主語
学生でんねん= 述語 (中国語の先生の中には、客語という人もいます。)
(この学生ということばが、フランス語では補語といいます。)
さっそくフランス語でやってみよう。
Je suis étudiant. (ジュ スュイ エテュディアン)
なのですが、この étudianは男性名詞、
つまり、男子学生を指して言う言葉なのです。
ですから、あなたがが女性なら、
補語を女子学生という意味の
étudiante (エテュディアント)
にしなければなりません。
Je suis étudiante. (ジュ スュイ エテュディアント) 私は女子学生です。
となります。
じゃ、 「私はOLです。」 というのは?
実はゴタも知らないので、ネット検索してみたら、あった。
une employée de bureau
だってさ。
そのページのURLです。
https://commelesoiseaux.blog.ss-blog.jp/2013-01-19
Je suis employée de bureau.
(ジュ スュイ アンプロワィエ ドゥ ビュロー)
と、なるわけですね。
本日(あしただよ)はここまで。
仏検5級候補性の生徒のゴタでした。
【6】
たとえば、みなさん、どこかのお寺に行って
そこの釈迦如来坐像に向かって、
「ゴータマさん・・・」
と呼びかけたら、どうでしょう?
だめですよね。
でも、古代インドで、お釈迦様がいらしたときは、
普通に周囲の人々は
「ゴータマさん」
と呼びかけていました。
これはどういうことかと言いますと、
古代インド、つまり、仏教がまだブッダ在世のころは、
仏教は、まだ仏教ではなかったということでしょうね。
当時は、お釈迦さまは人々に、よりよい生き方を
説いて回っていた。
仏教は、まだ倫理学とか、道徳の域だったようです。
いつからこの倫理の先生は、宗教の教祖になったか?
それは、仏滅後です。
ブッダが入滅すると、その葬儀は、在家信者たちがとりおこなった。
出家者は、葬儀に関しては、一切をその土地の部族にゆだねた。
そして、その後約百年間、ブッダの教えは守られ、正しく修業され、
悟りを得るものも多くいた・・・
その後、ブッダの教えを確かめ合う結集があって、そのころに、
仏教教団は分裂した。
どう分裂したかといえば、「お金」のことで意見が分かれた。
このころになると、貨幣経済が発達し、
釈迦在世のころと社会の様相はかなり違ってきていた。
「お金」を所持してはいけない、ちゃんと教えを守れ、という
上座部と、いや、そんなことを言っていちゃ、時代にそぐわない、
教えを広めるためには、お金も必要だ、と言った大衆部に分かれた。
そして、一度分裂がなされると、どんどん、分裂が進み、20数部に分裂
した。いわゆる部派仏教である。
一方、ブッダが入滅し、ストゥーパ(仏塔)が建てられると、
その仏塔に参拝する信者が続出した。
仏塔管理をする在家信者の集団は、参拝した信者が仏塔に
布施したお金を管理した。
お金がたまると、働かなくても、仏道修行ができる。
仏塔管理グループは、在家信者の集まりであったが、
出家者と同じか、それ以上に仏道修行に打ち込むことができた。
そのグループは、仏塔崇拝に必要な仏典を編んだ。
いわゆる「大乗仏教」経典である。
時をほぼ同じくして、インドの西方ガンダーラ地方では、
シルクロードを介して、ギリシャ文化が入り、
土地の文化と融合し、新しいガンダーラ文化が生まれ
そこで、ブッダは、仏像となった。
倫理の先生は、ここで「先生」ではなく「如来」となり、
「ゴータマさん」と呼べなくなった。
ブッダの教えは、誰でも悟りを得て苦しみから脱出できる、と説いたのだが、
如来となった日から、誰も悟りを得ることなどできないことになってしまった。
それは、どういうことかといえば、仏教が後の世に伝わるために
必要な保存料だった。神格化されたからこそ、今日まで伝わって来た。
でなければ、ブッダの教えは、ただ単なる「倫理生活」で終わってしまって、
埋没していたかもしれない。
神格化され、荘厳されたからこそ、今日まで伝わった。
そういうことだな。
で、私たちは、この神格化された仏教を正しく味わうためには、
荘厳化されたクルミのような殻を一度割って、中身を味わうことが大切だ。
そして中味を味わったら、また神格の包装をして、後世に伝えるのがいい。
中味はどうだったか?
中味は、出離による苦しみからの解放。
心を常に安定させること。
そういうことかも。
そのためにブッダは、如来坐像になって(化けて)
衆生を驚かせ、導いているのだろう。
「ゴータマさん」なんて呼ばせていたら、なめられてしまう。
フランス語のおべんきょの時間です。
【仏作文】
問題1: 次の日本語をフランス語にせよ。
① ペンギンは鳥である。
Le pingouin est un oiseau.
ル パングァン エ タ ノワゾ-
pingouin は「ペンギン」
oiseau (オワゾー)は「鳥」
est (エ)は イコールの意味、たとえば A est B ならA=B
訳すときは、「AはBです」と訳す。
では次の問題はどうでしょう。
② クジラは哺乳類だ。
La baleine est un mammifère.
ラ バレーヌ エ タン マニフェール
un はアンと発音するのですが、その前にある est のtは
次に母音がくると、t は発音されます。さぼっていた仕事を始めるのです。
これをリエゾンと呼びます。
ゴタがアルバイト先で主人が来たら、急に仕事をするようなものです。
un oiseau(鳥)
も アン オワゾー ですが、
unのnと oiseau の o が連絡しあって ノ と読まれます。
これをアンシェヌマンと呼んでいます。
baleine (バレーヌ)は「鯨(くじら)」
mammifère (マニフェール)は「哺乳類」
次の問題もほとんど同じ大問題をはらんでいる。
③ キリンは哺乳類である。
La girafe est un mammifère.
ラ ジラーフ エ タン マニフェール
girafe は キリン です。
どちらも、主語が女性で
属詞(述語部分)が男性!
フランス語はどの名詞も男性と女性に分かれている。
これはすごいことです。
よくもまあ、すべての名詞を男性と女性に分けたものです。
「赤ちゃん」という単語はbébé (ベベと読む)ですが、これは男性名詞になります。
なので、不定冠詞をつけると、un bébé なんですが、この赤ちゃん、女の子でも
un bébé で押し通します。何が何でも「un bébé 」。
とりあえず、生まれたときはまだ性別がわからないということで「un bébé 」。
これは納得できる。
Un bébé vient de naître./ 赤ちゃんが生まれたところだ。
Fille ou garçon ? ——C'est une fille !
女?男? ——女だ!
しかし、二度目には男か女かは答えなくてはならない。なぜなら、
あそこを見れば、男か女かは、すぐわかる。
チョロロンが付いていれば男だ。
主語が男性名詞、同定部の述語が女性名詞という不思議な文もできる。
Ce bébé est une petite fille./ その赤ん坊は女の子だ。
toi et moi は「君と僕」