衆院選は終わった。
休息という言葉を知らないかのように
休む間もなく次のハードルに向かって突き進む。
豪志の胸に去来するのは、
寒風吹きすさぶ中でプレハブ暮らしを続ける避難民の声か。
失った小さな命に報いるため、子供たちへ、未来への責任を果たすため、
あいつは最後まで力を振り絞るだろう。
トニー・ブレアが来日した時
「労働党が政権に返り咲くのに10年の歳月が必要だったのですよ。それを忘れないでください」
と語った。
ブレアが党首になったのは41歳の時だった。
細野豪志43歳。
日本における「第三の道」を切り拓くために、
挑戦する君に佐佐木幸綱のうたを贈ろう。
「たちまち朝 たちまちの晴
一閃の雄心として 飛べ つばくらめ」
【Wikiprdia「第三の道」から引用】
ブレア労働党は、保守党の市場化一辺倒、労働党の市場化への適応不足という袋小路に陥った状況を乗り越える路線として、市場の効率性を重視しつつも国家の補完による公正の確保を指向するという、従来の保守-労働の二元論とは異なるもう一つの新しい路線を目指すと主張した。これが、イギリスにおける「第三の道」である。
この第三の道における公正は、伝統的社民主義の哲学が提示する結果の平等ではなく、教育の充実などの政策に立脚した上での、機会の平等に重きを置いている。これにより、移民政策にも通じる多様な文化的「差異」を前提としてグローバリゼーションへの対応を指向する。
具体的に行われた政策としては、保守党が重視してきた所得税や法人税の軽減などを継承する一方で、より社会の下層に配慮し公正を目指す就労支援や公立校改革などを展開すること、また、弱者を手当て(ネガティブウェルフェア,依存型福祉)するのではなく、家族形成や就労を含めて「社会参加」の動機づけを持つ者を支援(ポジティブウェルフェア,自立型福祉)すること、そして、公共サービスでのPPP(Public-Private Partnership)による官民連携、さらに、サッチャーによる中央集権政策への反省から地方の自治・自立を促す地方分権(スコットランド・ウェールズ・北アイルランド各地方へ地方議会の設置)などがある。